「あなたは、クラーク博士の言葉を知っていますか?」

「あなたは クラーク博士の言葉を知っていますか?」
 
そう聞くとおそらく多くの人が クラークの博士の言葉知っていますよ、少年よ、大志を抱けですと答えるのではないでしょうか。
 
これを読んでいるあなたもおそらくそう答えるように私には思えます。でも それは 正解でしょうか?
 
私は違うように思うのです。
 
何を言っているんだ。クラーク博士の言葉は、「少年よ、大志を抱け」で間違いないよとあなたは再びそう思い、違うんじゃないですかと言った私の言葉に耳を貸そうとはしないでしょう。
 
ですが 本当にそうなんでしょうか。
 
クラーク博士の言葉は 「少年よ、大志を抱け」なのでしょうか?
 
私はやっぱり違うと思うのです。
 
さあ それでは 私の答えを言いましょう。私は、クラーク博士の言葉は「Boys, be ambitious.」(ボーイズ ビー アンビシャス)だと思うのです。
 
だからそれを訳したら少年よ大志を抱けではないかとあなたは思うでしょう。
 
しかし 決して クラーク博士が少年よ大志を抱け とは言っていないということが重要だと思うのです。
 
少年よ大志を抱け とクラーク博士が言ったということを基にして、例えば 学校では大志を持ちなさいと、そういうことを言われた経験があるのではないでしょうか。
 
私はどうも、それは違うのではないかなと思うのです。
 
「Boys, be ambitious.」の中のどこに「抱け」が入っているのでしょうか?
 
Boys, be ambitious.とは アンビシャスの状態であれ ということですよね。
 
私が、アンビシャス という言葉が語源を調べてみると、どうもambitiousの意味が、1歩前に出るということのように思えてくるのです。
 
これは、こうだとあたりまえのことだと思っていることが、意外と違っていて、重要な部分で勘違いをしていることがあるように私には思えるのです。
 
大志を抱く、ではなくて、新たな一歩を踏み出す大切さ、と捉えると、今までの「大志を抱く」よりも多くのことへの応援の言葉になっているような気がするのです。
 
それから、「最近の若いもんは・・・」という言葉にも、その解釈でいいのか?と思ったりします。
 
何時の時代も「最近の若いもんは・・・」と言ってきたという社会的見解の存在そして捉えているように私には見えます。
 
でも、最近の若い者を1つの集団として見るということが、私はどうも違うんじゃないかなと思うのです。
 
そもそも、人って、一人一人違うじゃないですか。何で最近の若者と一括りにするんですか。
 
さらに言えば、一括りにするというのもハラスメントのような気になってきます。
皆さん 同じように考えているように見えるんですが、そういう風に考えてしまうと何か本当に見ないといけないものが見えてこないんじゃないかなという気がするんです。
 
それは最近の言葉「老害」という言葉にも共通するものを感じます。年齢を重ねて 高齢者になった人に対して 老害と言い、もうあなたたちの時代は終わったんだよ という雰囲気ですよね。でも、本当にそうなんでしょうか?


例えば 老害と言われても その年齢の人で確かに過去のことにとらわれて 新しいことを受け入れられなかったりする人もいるかもしれません。しかし一方で高齢者でも、最先端のことを受け入れてどんどんやろうとしている人もいるんじゃないですか。
 
老害と言った瞬間、例えば40歳代の人にとっては50歳以上の50歳60歳の人が老害になるでしょうが、例えば20歳の人が老害といえば、30歳 40歳はもう老害です。だから人によって、老害って違うじゃないですか。
 
そういう風に、よく見るということは大事じゃないのかな と思います。一人一人 しっかりと考える。それに 老害というだけで もうだめだと見るのはなんだかもったいない気がします。
 
あなたは、どう思いますか?
 
あなた大切なことは一人一人をよく見ること、よく考えること、そういうことだと思いませんか?
 
より良くするためには、よりよく考える、しっかりと考える、そういうことが大切なのではないでしょうか。
 
今まで、あたりまえと思っていたことも、一度本当かなと疑ってみて、さらに深く考えてみると、今までとは違うたいせつな何かが浮かび上がってくるかもしれません。

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