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永すぎる生のなかで、交差したことを、ただ祝いましょう。それだけでいい

一度芸術という観点で死ぬことができるなら、自分の中で完結したアーティスト性をブランド化し留め、さらに昇華してその輝きを石の中に閉じ込めることができるのかも知れない。

二人だけそうして、確実に成功した例を知っています。
(一人は自分で、一人はおい何やってんだ案件ですが。こっちが善悪決めることではないからね。何事も。)

きっと世の中の人は若者流行り、調子に乗ったアーティストとその人を蔑んだり、蔑むことすら忘れるくらい記憶から消えてしまっていることでしょう。
でもきっと、その人達が気付かないうちにまた、素晴らしい音楽が耳に届いていると思うと、やってやったぞ!と、当事者ではないのにワクワクします。



「積み上げてきたもの全部を破壊してもなお、人間は幸せでいられる」ということを証明する

全部がゼロになっても幸福でいられる例としてその人がいてくれたおかげで、誰からも批判されてもないのに何怖がってんだろ、と思うことが出来ます。
また、これから積み上げた小さな積み木が崩れたところでまた組み上げればいいだけのこと。今度は積み方を工夫することがラッキーとまで思えます。

そもそも積み木を組もうと思った私、偉くない?何のために?
一つ一つバラバラな積み木でも、重なり合えば立派な作品になり、またそれを大事にしてくれる人も出るでしょう。

徐々に形を変えていくのもいいです。飽きますからね、人間は。




音楽がないと、僕は伝えるべき言葉を発信することができない


多分日本でこれを体現し続けている人はこの人しかいないんじゃないかって思います。仕事としての音楽、芸術としての音楽、自己表現としての音楽。

全部自分のモノとしてしっかりとやりこなしているただ一人の人だと思います。

この人が止まったらいったいどれだけの人が大変な思いをするのか、、考えただけで恐ろしいです。

私は音楽活動をする上で欠かせないものに一つ、「良い縁との巡り合いに気付く」があると思っていて、それだけは欠かさないからこそ、こんなにも支えられる環境や、どこであろうと音楽を続けようという姿勢が、業界で支持されるんじゃないかなと思います。

周りに気を配り、視線を合わせていくことで事態は必ず遅かれ早かれ好転する。


この二人が日本のメジャーシーンを変えて、より大衆へ向けた構造の”フリ”をした、こだわり尽くされた新しい音楽が街に鳴り響きますように。
(大衆侮るなかれ、誰よりもセンスで聴いています。)



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