言葉って全然論理的じゃないよね、という話

 考えてみれば当たり前の話なんだけども。言葉って全然論理的じゃない。言葉には芯はあっても輪郭は曖昧だから、境界線を引いたり正負を決めたりすることは得意じゃない。というと非常にふわふわした話になってしまうので、まずは『論理的』の定義から確認していきたい。

論理的→『論理にかなっているさま。きちんと筋道を考えるさま。』

引用元<https://kotobank.jp/word/%E8%AB%96%E7%90%86%E7%9A%84-664171>

 まだふわふわしてる。

論理→『考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。』

引用元<https://kotobank.jp/word/%E8%AB%96%E7%90%86-664154>

 文章の焼き回しになってしまうけど、『輪郭は曖昧』ということは伝わったと思う。つまり、言葉には定義がない。言葉で作ったロジックは、それが正しい状況も、そうでない状況も簡単に言えてしまう。

 例えば。『スイッチを押すと明かりが点灯する。明かりが点灯すると部屋が明るくなる。なので、スイッチを押すと部屋が明るくなる』という命題があったとする。筋が通っているし、実際壁に張り付いているスイッチを押せば部屋は明るくなる。

 しかし、これを間違いにすることも非常に簡単。『スイッチを押すと明かりが点灯する。(ただし、現在スイッチはオフ)明かりが点灯すると部屋が明るくなる。なので、スイッチを押すと部屋が明るくなる(ただし、現在スイッチはオン)』と、想定外のいちゃもんを付けると、部屋は暗くなる。人、これを屁理屈という。要は、言葉で論理を示すとき、定義しきれないことは現実的にいくらでもあるよ、という話。

 裁判なんかもそう。法律とは言葉で定められているものだけど、法律自体が完全に定義されているわけではないから、人が『判断』する必要がある。

何が言いたいのかというと

 誰かから聞いた、筋が通っている話。あるいは自分で思いついた理論。それらはいくら間違いが無いように考えられても、実際間違っているシチュエーションは必ずあるから、『論理的に正しい\論理的に間違っている』ことが『現実において適応できる』とは限らないよ、という話。

 自分の考えや判断を信用し過ぎないほうがいい。知らないことの方が多いんだから。(戒め)

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