那須川天心対武尊の見方
個人的に那須川天心対武尊は実現しない可能性が高いと思うし、やらなくてもいいと考えていますが、もし実現したらこういう見方もあるよということで先に出しておこうと思いました。
彼らが戦うとK-1、RISEを背負ってみたいな感じになりそうですが、その一歩手前で個人として二人を比較するととても面白いです。
その観点としては以下の通りです。
1.格闘家になった理由
2.闘いの先に目指すもの
そしてこの2つの観点は二人の世代の違いを表しており、この闘いはある意味世代間抗争の様相も呈してくるわけです。
1.格闘家になった理由
武尊は1991年、鳥取県米子市生まれの28歳です。(2020年3月7日時点)2020年で29歳になります。
彼はアンディ・フグと魔裟斗に憧れて格闘家を夢見ていたわけですが、それと同時に保育士になる夢も持っていたようです。
高校は格闘技ができて保育士の資格も取れる学校に通うわけですが、素行不良で退学となります。
今の日本の社会システムで高校を素行不良で退学になると、なかなかまともな仕事に就くのはハードルが上がるし、幼児の教育を仕事とする保育士はどう考えても難しいでしょう。
そこでK-1甲子園を目標に高校に入り直して格闘家になる目標一本に絞られたわけですが、もし最初の高校を退学になっていなかったら個人的な見解では彼は保育士になっていたのではないかと思います。
退学になったことで格闘家に絞ったと書きましたが、それよりも格闘家になる以外の選択肢が消えてしまったとも言えると思います。
だから彼の場合、格闘家にならざるを得なくてなったわけです。
そして鳥取からたった一人で上京し、前田憲作や千葉県出身の卜部兄弟、愛知県出身の大岩などチームドラゴンの仲間たちと切磋琢磨して格闘技界を登ることになります。
彼のデビュー戦を見て今のような状況になると予想した関係者は少ないというか多分いないと思います。いても当時のチームドラゴン関係者と武尊本人くらいでしょう。
彼は新生K-1でもそうですが、闘い勝ち続ける中で自分の地位を確立してきました。
一方那須川天心は1998年、千葉県生まれの21歳です。今年22歳になります。
だから武尊とは7歳も違うわけです。
彼は5歳の頃に極真空手を始め、幼稚園の頃から父親との特訓を重ねて今もなお父親はセコンドについています。
練習拠点は地元のジムで父親がミットも持ちます。
一時期ターゲットにも通っていたようですが、千葉から東京は移動可能な圏内でしょう。
彼の場合、格闘技をやっている少年に多いヤンキー気質というわけでもなく、横道にそれることなく格闘技に向きあってきました。
おそらくですが、子供の頃に別の仕事がしたいと天心本人が言ったら、彼は格闘家にならなかったと思います。
元は礼儀作法を身につけるために空手を始めたようです。父親だって今のような世界から注目される選手になるために始めさせたとは思いません。
しかし、天心は格闘家を選択します。そしてアマチュアの時からすでにプロより面白い試合をすると言われ、デビュー戦では当時にRISE現役ランカー有松との試合となり、1RでKOしてしまいました。
You Tubeにデビュー戦の公式動画が最近あがりましたが、デビューの時点で今後の格闘技会を背負う存在として語られていたのが印象的です。
格闘家になった理由として、武尊はならざるを得なくてなり、天心は数ある中から格闘技を選択したと言えます。
そして今に至る経緯も武尊は一人で上京し、東京で仲間を作り、闘う中で注目を集めていったのに対し、天心は地元で育ち、デビューの時点で格闘技界を背負うことを期待されていたので対照的です。
これは武尊が苦労人で、天心が恵まれていたと言うわけではなく、デビュー時、高校1年でありながら、注目されランカーを当てられた天心のプレッシャーも凄いことだったでしょう。
彼らを比較したときに思い出したのがボクシングでも同じような現象があるということです。
2000年代初頭人気のあったテレビ番組『ガチンコ』の人気コーナーガチンコファイトクラブで講師を勤めていた竹原慎二と臨時コーチの畑山隆則はいずれもボクシングで世界王者になることなんて考えたこともない人生だったでしょうが、素行不良の影響でボクシングしか道がなくなり、結果彼らはボクシングの世界王者になりました。
現在のボクシング会を象徴するのは井上尚弥ですが、彼は父親と幼い頃からトレーニングを重ね、不良になることもなく高校をしっかりと卒業後、デビュー戦から注目を集めていたファイターです。
言うまでもなく、竹原、畑山は武尊、井上は天心です。
竹原、畑山と井上は武尊と天心以上に年齢が離れています。
魔裟斗もそうですが、大体1990年代後半から2000年代頭くらいに格闘技で飯を食おうとする人は失礼ですが一般社会で道を外した人が多かったように思えます。
そういう意味では武尊はその系列の最後のファイターかもしれません。元ヤンキーは他にもいますが、いまだにヤンキー感を出しているのと実力、責任が伴わないので武尊とは違います。
親子で幼少期から英才教育というのは亀田家辺りからの流れかと思いますが、結果的に亀田三兄弟は皆世界チャンピオンで井上兄弟も共にベルトを巻いているので今後こういうケースは増えるかもしれません。
那須川親子はキックボクシングにおけるその代表格と言っていいでしょう。
所属団体にとらわれずにこの対象的な成り上がり方をした二人のどちらに感情移入できるかそれを考えても面白いと思います。
2.闘いの先に目指すもの
武尊は3月にK-1のベルトとISKAのベルトをかけて試合をします。この試合の前から彼が常々言っていた言葉で「K-1は世界最高、最強じゃないといけない」という言葉があります。
彼が闘う先に目指すものは立ち技世界最高峰のリングであるK-1の復活です。
1991年生まれの武尊が子供の頃、K-1は間違いなく立ち技世界最高の舞台でした。
地上波ゴールデンを目指すのもK-1を元に戻すために必要なことだと考えているのでしょう。
彼は実際に世界最高のファイターが集まり、ドームを満員にし、ゴールデンタイムで放送されていたかつてのK-1を知っている世代です。
一方、天心はどうか。
彼が生まれたのは1998年で、彼が10歳の時にはもうK-1は東京ドームで大会を開催できなくなっていました。
彼が中学校に入学した2011年、K-1はついにWORLD GP決勝戦が開催できず翌年運営会社が破綻します。
だから彼が物心ついたときK-1はすでに衰退しており、立ち技ではないですが、格闘技界の頂点はUFCだと感じていたのかもしれません。
彼の目標は彼自身もよくわからないくらい選択肢が広がっています。
ONEに出て、ロッタンなどムエタイの強豪としのぎを削り、東南アジアから世界に出るパターン。UFCと契約し、MMAファイターへの転身。そしてボクシングに転身し世界王者を目指すといったものです。
UFCは可能性が低いと思いますが、少なくともこれからもRIZINに残って日本を盛り上げますとかRISEを地上波で放送してドームで闘いますという目標はあまり聞いたことがありません。
彼の口から出る目標の多くは対世界を意識したものとなっており、それは彼が生まれた時点からずっと不景気で存在感が低くなっていく日本の状況や、彼が成長する中で国民的スターとなったアスリートはいずれも海外で活躍している選手が多いことなどが影響しているのかもしれません。
だから、国内に最高の場所を作り、そのリングの中心であろうとする武尊と最高の場所に自分が行き、そこで輝くことで一番になろうとする天心の違いがここでも出てきます。
ここまで武尊と天心の二人を比較してみました。
もし、同じ時代に生まれていたら彼らの考え方は似たと思っています。
天心の世代で言えば平本蓮なんかもUFCの王者になると公言しています。
つい最近RIZINと契約したばかりなのに完全に踏み台です。
かつてのPRIDEを知っていれば、RIZINを最高のリングにするという目標を持ってもいいと思うし、そもそもかつてのK-1を知っていればキックボクシングを続けたと思います。
那須川天心対武尊。この闘いは実現するかわかりません。
ただ、実現したときには今回書いた観点で二人を見てみたらどちらを応援するかが変わる人がいるかもしれませんね。
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