いとしいってなあに?
もし、あなたの彼氏が、彼女が、家族が、大切な人が、推しのアイドルが、あなたに向かって今まで言っていたことが全て嘘だったとしたらどうだろう?自分ならきっと怒るだろう。悲しむだろう。もしかしたら憎むかもしれないだろう。でも、そんなタイミングが訪れるのは人生で数回か、もしくはそんなのない人だっているだろう。
「大好きだよ」「愛してる」って言われてあなたは嬉しいだろうか。もしくは、今誰かにそれを言ってもらいたいだろうか。少なくとも、これらは人間のできるうち随分と強い肯定の表現だ。言われた人は嬉しくなるだろう。元気がもらえるだろう。もしかしたら自分から「(一人称)も大好きだよ」と返すかもしれないだろう。でもそれって、本当のことなんだろうか?こんな話そこら中に出回っているが、愛なんて実際はすぐ冷めるのではないか?という言説を少しだけ、頭で泳がせて観察してみてほしい。
何かをきっかけに、肯定の気持ちだと信じていた「愛の言葉」が「真っ赤な嘘」に変わる。そのきっかけは、いろいろある。最初から嘘だった。最初は本当だったけど、あなたの何かに不満を持った。最初は本当だったけど、あなたと愛する存在の間に、なにか天災的な隔たりが急に生じた。しかし、どのパターンだったのか、あなたは絶対に認識できない。今まで信じていたものが崩れ去った今、何を信じられるのか、あなたにはなんの手がかりも残されない。
真実、って本当にこの世にあるんだろうか?明日世界が終わったら?って笑い話も、いつか笑い話ではなくなる。
人間は「永遠」を未だ見つけられていない。
愛を誓い合う、それは相当な努力の宣言なんだな、と最近思う。フロムだって、フロイトだって、色んな形の愛を信じている。少なくとも、そんな愛の形だけは、自分がその存在を愛している間くらいは、それが「真実」「本当」であり続けられるような努力、そしてその努力の必要性の自覚が、人間にはいまひとつ足りていないのかもしれない。
冗長でもいい。それで嫌われたら目に見えて限界の誓い愛だ。まあ、ねむいからどうでもいっか。
愛、嘘をつかないならば欲求があれどお前をプラトニックと呼ぶ
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