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第一段階:精神症状


それまで身体もだるくて気分もずっと沈みっぱなしだったのが、急に元気になり始めてたのが分かった。
先輩たちは、やっと回復に向かい始めたかと喜び、すぐさま牛丼を買いに出かけてくれた。
久しぶりのちゃんとした夜ご飯、わたしは牛丼の大盛を注文。先輩たちは急にそんな量食べて大丈夫か?と心配してたけど、その時のわたしは、今ならどんな量でも食べられる!という気分になっていた。

食べてるとなんでか、あぁわたし今日死ぬんだ。と思った。

実際、食べてるときに「最後の晩餐だ~」とか言ってたらしい。
このあたりから記憶が曖昧な部分が多くなってきてるので、先輩たちから聞いたこととか加えながら書いていきます。

多分この時のわたしは、抗NMDA受容体脳炎の前駆期(頭痛や発熱)と呼ばれる期間を過ぎ、第一段階である精神症状が出始めていたのだと思う。

やけに明るくなって、急に歌いだしたりとか踊りだしたりとかしていた。
普通の人だったら、この時点であれ?おかしいぞ?ってなってたと思うんだけど、なんせわたしはそのテンションが通常運転みたいな人間だったので、先輩たちはその様子を見ても、元気になってよかった~くらいに思ってたらしい。
でもしばらくすると急に「お母さんたちに遺書を書かなきゃな。」とか、先輩たちの前に正座して三つ指立てて、「今まで本当にお世話になりました。」とか真面目な顔で言い出すもんだから、さすがの先輩たちもアレ?なんか様子がおかしいぞ…となった。
先輩たちは看護学生だったので、念のため血圧でも測っとくかと血圧計を持ちだした。
自分の周りがバタバタし始めているのも気づかず、わたしはTwitterのみんなに最後の挨拶しとかなきゃ、、とのんきにツイートしていた。(画像参照)


血圧は180を超えていた。
明らかな、異常値。

数値を見て焦った先輩たちはわたしを急いで救急へ連れていくため車に乗せた。
このあたりはもうほぼ記憶がない、車に乗ったのは覚えているけれど、なにを話したかとか、自分がどんなことを喋ったかとか全く覚えていない。
あとから聞いた話によると、夜中なのに大声で叫びだしたり、寮の駐車場を駆け抜けて道路に飛び出したり、とにかく車に乗せるまでもひと苦労で、車に乗ってからも意味不明なことをずーーーっと話していたそう。
笑っちゃうくらい全然覚えてない。苦労かけて、本当にすいません…。

市民病院の救急受付についてからもハイテンションは落ち着かず、入るまでもまた大暴れ。
対応してくれた看護師さんに、夜が明けてから精神科へ行ってくださいと言われたそうだが、先輩たちは食い下がった。
精神病じゃない、絶対に別の病気だから、お腹に腫瘍がないか調べてください、そう何度もお願いしてくれたという。
なんで先輩たちが必死に検査してくれと頼んだんかというと、先輩たちは学校の授業で「8年越しの花嫁」を観ていて、症状が似ているという理由から、絶対に同じ病気だと確信していたらしい。
映画の主人公は、わたしと同じような症状で精神病だと勘違いされ、精神科でしばらく過ごし、適切な治療がすぐに受けられていなかった。
わたしは本当に本当に、運がよかった。

検査してもらえることになり、たぶんわたしはそこで鎮静剤かなにかを注射されたのだと思う。
意識がなくなる前最後の記憶は、救急のかたいベッドに寝かされているわたしを、駆け付けてくれた看護部長が見下ろしている顔だった。



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