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778臓器売買業者が訴えられた 政府の人権感覚が世界から見られている

「難病患者支援の会」を名乗るNPO法人が民事訴訟を起こされた。同法人に1700万円の仲介料を払って腎臓移植を受けようとした日本男性と結んだ「途上国で移植用の腎臓を合法的に入手する」契約を実行できなかった。それで損害賠償を含めて3000万円を倍賞せよとの訴えられたわけ。

訴えた男性はNPOの案内で中央アジアのキルギス共和国に渡って待機していたが、先に生体腎移植を受けた日本女性が当地で施術した医師の拙い技量のせいで術後に重篤になったのを知り、移植を受けないで帰国した経緯がある。
その後、キルギス共和国で移植に用いられる腎臓が経済困窮ウクライナ人から買い取るものであることを日本の新聞報道で知った。臓器売買の腎臓を自らの体内に入れることへの倫理問題に鑑み海外での腎臓移植を断念した。それで振り込んだ料金と付帯する金銭を倍賞せよという主張である。

民事訴訟の判断は裁判所の審理を待つことになる。しかし社会的に考えるべきことがあるように思える。

まず海外に移植用臓器を求めることの是非だ。昭和末期に世界流行したエイズ事件があった。男性同性愛が比較的少ないなどが幸いして、日本ではエイズが広がらなかった。そうしたなかで何千人もの感染を出したのが血友病の患者さん。こちらは海外よりも日本が多かった。それには日本の健康保険の給付範囲が広いなどさまざまな要素があるのだが、患者にとって不幸だったのが「血友病治療薬の原料血液を海外輸入に頼っていたこと」だった。

海外では売血の国が多く(例えばアメリカ)、血液を売る者の中にはエイズ感染者が多かった。それに着目した当時の日本政府は、原料血液を国内での献血によることを方針転換して根源的対策を講じた。
重要なのは衛生的対応にとどまらず、臓器を売買対象にしてはならないという倫理、人道に適合する政策だったことだ。国内献血に切り替える以前、世界の血液売買の圧倒的部分を日本の輸入が占めていて「ドラキュラ日本」などと陰口を言われていた。政策返還で“血液人道国日本”に評価一変した。

臓器移植には基本的な倫理論争がある。宗教、民族性によって視点も異なる。国際的標準はない。そうした中で日本として生体移植を進めるか否かは日本国民の選択事項である。移植用として生体臓器を売買してよいかと問えば、日本国民は間違いなく「否」であろう。日本人の臓器を経済商品として扱ってはならないのであれば、生きた外国人から臓器を買い取って切り出すのも同じくよくないとなるはずだ。それが人道であり、倫理である。

問題のNPOは日本人患者を外国に連れて行って売買臓器で移植することを契約内容としていた。「商取引が国外であれば問題なかろう」というのだろうが、これは日本法に根拠があるNPOとしてどうなのか。報道機関がニュース化した理由だろう。
「日本人は貧しい外国人の生体から臓器を切り出すことをなんと思わないエゴイスト民族だ」。そういう世評を怖れなければならない。
NPO法人だけでなく、該当の日本人患者も仕組みを知って以降は人権、倫理に関して有責だろう。

政府はそうした長期的国益の視点に立った対応をすべきだ。法令で臓器の売買を全面禁止できればベストだが、それに時間がかかるのであれば次善の策を即刻講じることだ。
例えば売買臓器で移植した者がその後に不適合で体調不良になった場合、その治療費は健康保険の対象にせず、全額自己負担にするなどが考えられるのではないか。

厚労大臣は国民の健康問題のかじ取りであると同時に、健康保険の運営を管理する権限を有している。治療費をどこまで健康保険の対象にするかは同大臣が診療報酬点数表で定めることになっている。諮問機関である中央社会保険医療協議会(中医協)に計れば、倫理観がある委員は賛成する。
機会を逃して何も行動しないのは、日本政府および日本人の人権感覚への鈍さを世界に触れ回ることに等しい。そのツケは時空を超えてとんでもないところに落ちてくる。


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