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827養老孟司さんの『死の壁』で、逃げず、怖れず、考えた最終解答

『バカの壁』シリーズの1冊。『バカの壁』『超バカの壁』を読んで大いに納得したことがある。「死について考えると案外安心して生きられます」とこの本の帯にはある。ぼくたち煩悩で生きている者には死はおそろしい。これが気になっておちおち生きていられない状況になっている。人生観に関わる大問題である。養老先生はどんな解答を与えてくれるのだろうか。

 序章で早速頷いた。「都会の人間が1年のうち一定期間、必ず田舎で暮らすことを法律で義務付けよ」。現代版「参勤交代」の提案だ。労働基準法で企業は従業員に有給休暇を与えることになっているが、まじめで働くことが好きな日本人には合っていない。使う人は使うが、半数以上を使い残す。「労働は苦役である」と考える人たちには労働しない安息日が必要だが、「労働は生きがい」と考える日本人には休暇の過ごし方が苦痛なのだ。連続有給休暇と田舎の自然に囲まれた暮らしをセットにして半強制リフレッシュ制度を企業に義務付けることはできないものか。企業に従業員の健康診断費用負担を義務づけるよりも精神衛生上は何倍も有効のはずだ。

 死んだらどうなるか。まず肉体は醜く朽ち果てていく。養老先生が本で紹介している「九相誌絵巻」はネットで見ることができる。 
 九相図~ただの肉と骨が腐る過程~ - Bing video
 火葬も土葬もしないで置いたままにしておくと(風葬ともいう)、体内のガスで黒く膨れ上がり、イヌやカラスに食い散らかされ、最後はしゃれこうべとなる。そんなのは嫌だとなるけれど、土葬だって朽ち果てるのが土中の穴の中というだけでプロセスはあまり変わらない。では火葬となるが自分の肉体が焼かれるのはたまらない。
 ということで肉体の方はうっちゃって、魂が救済されることを考えようとなって宗教の出番になる。養老先生の本とは離れるけれど、ボクを含め宗教がよくわかっていない。普通の葬儀は仏式で行われる。抜け殻の肉体はどうでもよろしいという整理なのだろう。死者は戒名をいただいて仏になり、西方浄土で涅槃社会に迎えられる。つまり因果応報による輪廻転生の繰り返しを卒業して俗界との縁はなくなり、永遠の安静を得るわけだ。つまり無に帰する。それなのに旧盆になると魂が涅槃を抜け出して子孫を訪ねてくるという。完全矛盾である。どう理解すればいいの?

 他宗教もどうもよく分からない。キリスト教徒は火葬を忌避すると言われていた。その理由として、新旧の宗教戦争の際に異端者を相互に火刑にした記憶があるので嫌なのは分かるが、それ以外に理由があるのだろうか。最後の審判で罪に問われなかった者は永遠の命を与えられて天界で暮らすことになるので肉体が要るとの説明を聞くが、疑問なのはいつ来るかわからない最後の審判の日までいったん死んだ人の肉体が保全されているはずがないではないかということ。また肉体が復活するとして、老衰死だった人は天界でも寝たきりかなのか。少し調べるとそこはよくできていて、最後の審判の直前に神がその人の生前のもっともよいときの姿で肉体を与えてくれるらしい。そうすると過去にいったん死んだ際の肉体にこだわる必要はないから、火葬で焼き尽くしてもかまわないことになる。大本山のバチカン法王が火葬でもいいよとの方針を示しているのはそういうことなのだろう。

 キリスト教と万能の絶対神を共有するのがイスラム教。死んだ後にどうなるか。最後の審判で振り分けられるのはキリスト教と同じ。違うのは、キリスト教では選ばれた者が天界に登り、他は永遠の死を迎えるのに対し、イスラム教ではその者の生前の功徳によって天国行きと地獄行きに分けられる。つまりだれもが永遠の命を得るのだが、前者が酒池肉林の極楽なのに対し、後者は来る日も来る日も業火で焼かれる。焼け死んで終わりとはならず、新しい肉体を与えられてまた焼かれる繰り返し。いずれにせよ神が新たな肉体をくださるのであればこの世にいたときの肉体は必然のものではないと思われるが、葬儀は土葬でないといけないとも言われる。そのあたりはどういう整理になっているのか。

 日本人は世界最長の寿命になっているが、それでも不老長寿ではない。どんなに栄華を誇っても最後は死ぬ。それを「逃げず、怖れずに」いられるか。これこそが長寿社会の最大課題ではないのか。いかに死を迎えるか。その際に心の平静を保つにはどうすればよいか。国民を挙げて考え、学校でもしっかり教える。それが国民福祉の第一歩ではないか。

 養老先生は死を、「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」に分類する。自分は生きているかぎり「一人称の死」はありえない。身近な「二人称の死」では平静でいられない。客観的に見ることができるのは「三人称の死」である。だからといって「死」を客観的に判定できるのかと問題提起している。
 胎児殺し、すなわち人工妊娠中絶がその一つ。
 脳死と判定することで成り立っている臓器移植が二つ。
 遺体の解剖を生業としていた養老先生の語り口は柔らかいが、言いたいことは厳しい。日本は有史以来基本的に一つの共同体。そこで「死」はどういう意味を持ってきたのか。草の根レベルでの議論が必要だ。

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