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590 日本性悪説の檻から出よ

産経新聞の正論(2022年5月11日)に西岡力さんが載せた文章「日本民族「性悪説」の檻から出よ」は一読も二読もする価値がある。西岡さんは北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会の会長もしており、根っこからの愛国者だ。考えの基本には全く賛同する。
「日本民族は生まれつき暴虐で政治観念を持たないので戦力を持たせると再び世界征服を夢想して大量虐殺をしでかしかねないという偏見」を日本人自身が囚われており、日本人のなかに慰安婦強制連行説などのでたらめを吹聴する者がいる。
 西岡さんによると、こうした日本民族性悪説に明白に否定したのが昭和天皇であり、終戦の詔勅では「他国の主権を排し領土を侵すが如きは、もとより朕が志にあらず」、逆に原爆投下を国際法違反であると非難し、「ひいては人類の文明をも破却」する者と述べておられる。しかるにそれを現代日本人は忘れている。
 荒唐無稽な日本人性悪説を日本人自身がどうして染まってしまっているのか。西岡さんはその原因として現行憲法を挙げている。以下、それを紹介するが、西岡さんと同じような憲法解釈をしている者が少なくない。むしろ多数派だろう。だがその解釈は国語としてほんとうに正しいのか。大胆に言えば、無自覚に誤った解釈を信じて自縄自縛に陥っているのではないか。そのことを述べたい。
 
 西岡さんが挙げるのは憲法前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように」の部分。
 これを「日本政府の侵略戦争で世界の人々に惨禍をもたらしたが、そうしたことは二度としない」とするのが、西岡さんたちの解釈だ。しかしそれは国語構文として不自然である。上記の意味であれば、「(日本)政府の行為によって戦争の惨禍を起こすことのないように」となっているべきだ。「起こす」は主体的だが、「起こる」は受け身である。ポイントは「惨禍」に見舞われる対象であり、「日本政府の行為によって日本国民が戦争の惨禍にさらされることがないように」と解釈するのが正しい。
それはどういうことか。西岡説の間違いは、「政府の行為」をそのまま「政府が戦争を始めること」としていることだ。そうではなく、「日本政府の何らかの行為(の失敗)」によって「日本国民が戦争の惨禍に巻き込まれる」ことがあってはならないという意味なのである。
 
 ここで国連の共同防衛の考えを日本国憲法が受け入れていることが明白になる。政府の使命は自国民を災厄から守ること。そのためには戦争を仕掛けられないように、諸国との同盟関係で共同防衛力を高めておくことを憲法は求めているのだ。
 同じ前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」の諸国民とはわが国以外のすべての国のことであるとするのがこれまでの多数説。しかしそれならば「平和を愛する」の修飾語は不要で、単に世界中の国々とすべきである。ここは文字どおりに解釈すべきである。すなわち世界にはいろいろな国があるが、そのうちで平和を愛し公正と信義の面で信頼できる国々と同盟関係を結ぶことで強固な防衛力を築くべしという意味である。防衛力が完璧であれば、やすやすと攻め込まれず、国民が惨禍にさらされることもないはずだ。 
 そこで西岡さんが指摘する憲法9条の出番になる。西岡さんは同条2項の「陸海空軍その他の戦力不保持」はわが国憲法にしか存在しない特殊なものであり、日本民族性悪説の発露であるとする。しかし、である。2項には「前項の目的を達するため」の条件節がついている。1項はいわゆる戦争放棄条項であり、この種の規定は西岡さんが指摘するようにイタリア憲法にもフィリピン憲法にもみられるごとく、珍しくもない。侵略的な目的で軍事力を使わないという意味で国連憲章そのものなのだ。
 その1項を踏まえての2項である。ということは反対解釈で、1項以外の目的の軍事力、すなわち防衛のための軍事力は保持することを宣言していることになり、意味的には世界の大多数の国と同一内容ということになる。
 
 整理すれば、わが国はしっかりと国防を強化し、同盟国を増やす。その対策を政府が怠れば、平和を愛好しない“ならず者”国家の侵略を受け、国民が戦争の惨禍を蒙ることになる。そうならないよう政府は万全を期さなければならないと憲法は要求しているのである。
 こういうことであるから、ウクライナからの支援要請に対して、「憲法の制約があるから武器は送れない」の詭弁を弄するべきではない。また周辺国の核の脅しに対して「憲法の制約があるので核武装できない」として無策を改めず、核攻撃を受けて国民の惨禍を防がないことは、憲法の要求に反することになる。
 憲法が禁止しているので国防努力をしないというのと、憲法上の制約はないが敢えて核装備しないというのとでは、まったく意味が異なる。自分たちの憲法なのだから、プロパガンダに毒されたおかしな解釈に囚われるのをやめよう。「檻から出よ」の点では西岡さんに賛成である。

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