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705妻が余命1年 家族での残り時間を作りたい

 新聞投書を読んで同感しました。
 投書者は50代の男性。ごく普通の家庭だったはずが、妻ががんで余命一年の宣告を受けた。妻が逝くまでの時間、高校生と小学生の二人の娘を含めた4人で、家族の時間をどう過ごすか。
 回答者は、最愛の人との一緒の時間を大切にしようと経営していいた事業を手放した決断を称賛し、「人は二度死ぬ」という言葉を紹介しています。
 一度目は体が死んだとき。二度目はその人を知っている人がいなくなったとき。奥さんが死んでも、夫や娘が生きている間、彼女は生きている。含蓄があります。
 私ごとですが、終活に関する活動を幾つかボランティアで手伝っています。
 先般は「散骨のガイドライン」の策定に関わりました。
 散骨を選ぶのは、墓碑を刻んだお墓を建ててもお参りする子孫がいなくなるかもしれないと思うから。この気持ちわかります。
初代近くまでの墓所が記録されている天皇家は別格で、わが国での墓参は一般的に「生前に会ったことがある人のお墓」。通常は祖父母まで。長生きになった今日でも、百歳違いのひ孫か玄孫が限界。それより先代の写真でしかみたことがないご先祖様には仏壇で手を合わせるのが精一杯です。
 墓参りに行っても、生前の交流の濃淡で語りかける内容に差が出ます。20年以上いっしょに暮らす親と、盆暮れに会うだけの祖父母とでは、生活の共通時間が違うのですから止むを得ません。曾祖父母ではもっと少ない。
 
 調査でおもしろかったのは、親の遺骨を海洋に流した人の多くが“後悔”していることでした。「お墓参りするところがなくなった」。この気持ちもわかります。ふっと考え込み、亡き親が無性に恋しくなる。夢まくらに現れてくれればいいのだけど、来てくれないならこちらから会いに行こう。その場合の標準場所が墓前。
 それでいったい何を語り合うのか。生前に共通した時間の長さが当然影響するでしょう。
 
先日読んだ本に書いてあったことです。数値はうろ覚えなので概数として理解してください。小さいときに祖父母と、また独立した後は老父母と、どのくらいの時間をともに過ごせるか。年に2回、盆暮れに2日間の計4日を共に過ごして語り合うとしても、寝る時間を除けば年間40時間ほど。これを15年続けても最大で600時間。個人との思い出作りの時間はこれだけしかない。
会っていても仕事関係のパソコンいじりをしていたのでは思い出は作れません。投書者が仕事を半分に減らして、収入よりも家族での共同生活を優先することを回答者が称賛する所以(ゆえん)です。
 投書者は「なんで俺だけ、こんな目に遭うのか」と嘆く気持ちがあるとのことです。でもこの人は思い出を作ることに専念することができています。
 予告なく家族が事故で突如亡くなった人の場合、「自分は故人とどれだけ真剣に向かい合っただろう」と悔いを残すことになります。東日本大震災でいまも故人との思い出を求めて海岸を歩く遺族の映像を見ます。
 どの家族も永久の団欒はあり得ません。日々の生活に追われつつも、家族の絆を深め、共通の思い出を多くしていく。
ラインで送られてくる娘たち家族の写真。今日はいつもより多めのコメントを返しましょう。

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