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475 ねずみ取り

ネットサーフィンで昔懐かしい商品を見つけた。ネズミ捕りである。写真はモノタロウが販売しているもので、1639円とあった。今も作っている会社があるのだと感心。
 小学生の頃、どこが費用を出したのか、ネズミの尻尾を持参すると5匹でくじ引換券1枚をもらえることになった。当時の田舎の家では、ネズミが天井裏を走り回るのが常態。台所にはネズミ入らずという特別な食料倉庫がしつらえていたものだ。
 ネズミを捕らせようとネコを飼うものの、ネズミがいくらでもいるものだから、一向に減らない。ネコはネズミを見つけると追いかけ、たまには捕まえるが、痛ぶり殺しはするものの喜んで食べるわけではない。飼い主が与える味噌汁をかけたネコ飯の方が口に合うらしい。他方、ネズミの方はまさに「ネズミ算」で子孫を成すから、猫の手を借りての駆除ではとても追いつかない。ということでなかば共存状態。
 そうした中でわが村で始まったのが、ネズミの尻尾とくじ抽選の引換作戦。早速どの家でも、ネズミ捕りを調達して、器用な人は針金を曲げて作って、作戦に参加した。寝る前に仕掛けの中にサツマイモの切れ端を取り付けておくと、朝になるとかかっている。そのネズミを水に沈めてお陀仏してもらい、尻尾を叩き切る。5匹分まとまったところでランドセルに入れて学校に持っていく。獲っても捕っても減ることがない。兄弟それぞれがネズミ捕りを調達して、競って獲り、一家で得た抽選権はかなりの枚数になった。当たりくじでノートや鉛筆などの文具を得た記憶がある。
 当時はなぜネズミの尻尾を引き取ってくれるのか知らなかった。勉強してペストの防疫対策だったのだろうと納得した。14世紀には世界で4千万人(当時の総人口比ではとてつもない高率だ)が死んだとされるペストは、有史以来なんども流行を繰り返している。その原因がペスト菌であることの発見は19世紀末になってからのことで、これには日本人の北里柴三郎が大いに活躍している。日清戦争の直前、香港で流行した際に、政府は北里先生を派遣し、その期待に見事に応え、日本への流入防止に成功している。さらに治療法も研究している。
 その後の再流行で1899年、ペストはついに日本に上陸し、小規模の感染流行が生じている。しかしその時点では、ペストがネズミ類での感染症で、感染ネズミの血を吸ったノミが人間を刺すことで、人間に移り、次にその感染者の血痰に触れた他の人間にもペスト菌が入り込むことが分かっていた。
 そのことを北里先生などから教えられた東京市長が、市民にネズミ捕獲を呼びかけ、現金での買取りを予算化したのだとされている。1899年のことだ。1匹5銭で20万匹目標、総額1万円(現在価値で1億円か)を計上したと記録されている。
 その方式をわが故郷の山村では、戦後の1960年代に実施したわけだ。村人参加への誘因はショボかったが。それが理由か、それとも冷蔵庫の普及やコメ倉庫の近代化等によるネズミの食糧調達を困難にする方が効果的だったのか。それに家の建て方の密閉化もあるのか、田舎でもネズミはいなくなり、見かけた女性が悲鳴を上げるようになっている。

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