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369新エネルギー計画の無計画

 政治家はポエマー(夢追い人)であってはならない。今回政府が定めた「エネルギー基本計画改定案」について感じることだ。
 改定案では、2030年度の電源構成で、
①太陽熱などの再生可能エネルギーの割合を、現行計画の「22∼24%」を「36∼38%」に引き上げて主力にすること、
②火力発電を「56%」から「41%」に引き下げること、
③原子力発電を「20∼22%」と現在の計画水準に据え置くが、その新増設はおろか建て替えについて記述がない。
 
 再生可能エネルギーの比率拡大は方向として望ましい。ボクもこれに異論はまったくない。理由は簡単。天然ガス、石油、石炭を産しない日本では、火力発電は原料輸入のために巨額コストがかかるのが第1点。地震等の災害を避けられない日本の地理的事情から、原発への技術要求が高くならざるを得ないことが第2点。この点、太陽熱をはじめとする再生可能エネルギーがわが国には望ましい。できれば再生可能エネルギー100%を目標にすべきだろう。
 そのために国民の英知を傾ける。科学技術面の開発のために国家の研究資金を重点投下する。そうして太陽光発電でも、風力発電でも、波力発電も、地熱発電…において、世界をリードする技術面、経済面の優位性を確立した時点で、世界に向けて、化石燃料発電や原子力発電の縮小、廃止を提案するのが政治のはずである。そうすれば化石燃料輸入費を削減し、再生可能エネルギー技術を輸出収入源にできる。
 ただしそれらが現実可能になるまで、政治的な約束ごとにしてはならない。特に国際政治の場においては。政治は現実の駆け引き。政策として打ち出すには、仕掛けとタイミングが必要なのだ。この点、今回の「エネルギー基本計画改定案」は戦略性ゼロ。取り下げ、考え直すべきだ。 
 かつて技術的にリードしていた日本の太陽光発電技術はかすんでしまっている。発電パネルは中国(しかも産地は人権侵害の新疆ウイグル地域である)からの輸入。現状では、家庭の電力料金に上乗せされている課金は中国に流れているのだ。巨額補助金を発電パネルの国産化とセットにすべきことは、常識以前のはずだろう。
 繰り返す。火力発電を減らそうという国際潮流は、それらの燃料資源を産しない日本にとって千載一遇のチャンス。その流れを上手に利用するのが、外交を含めた国策のかじ取りをする政治家の職務のはず。戦略、政策はすべて国益がベースになければならない。「ええ格好しい」で国力を疲弊させる似非政治家の口をふさぐ必要がある。
 原子力発電は運転制限され、現在の比率は6%程度に過ぎない。これを2割に回復するだけでも、教条的な反対論者の説得など並大抵ではない。その間にも期間は徒過して耐用年数に近くなる。その更新をどうするのか。そのことが明記されていないという。これでは文章としても意味を成していない。
 世界で最も原発に適さない日本で安全運転できる原発システムを確立し、国内で林立させるべきなのだ。自然災害の百貨店である日本で国民が受け入れる技術であるならば、世界のどの地域でも問題ないはず。世界にそのイメージを売り込むことに成功すれば、プラントや運転技術が大きな外貨獲得源になる。そのために政府は技術向上に資金を投じるべきである。国民の不安やアレルギーを煽り、規制委員会を使って原発運転を妨害するなどあってはならないことだ。
 エネルギー政策に関与する政治家は政策力がないだけでなく、国語力も欠けているということのようだ。つまるところこの国の民主制のゆがみなのかもしれない。

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