見出し画像

792臓器移植は一時停止に 国民に受け入れられないことを強制するのは間違っている

海外での臓器移植を仲介していた業者が「臓器移植法違反」で逮捕された。
778回「臓器売買業者が訴えられた 政府の人権感覚が世界から見られている」と重なるけれどポイントを整理しておきたい。
 
逮捕された業者は非営利を名乗りつつ、実はあくどくカネ儲けをしていた。NPO法人「難病患者支援の会」を名乗り、「2003年頃から約20年にわたり、堂々と患者を募るなどして海外移植のあっせんを続けていた」(読売新聞2023.2.20)。
他人の臓器を用いる移植では、提供者は臓器を失う。心臓など一つしかない臓器では、生者からの提供はあり得ない。では死者からの提供となるが、臓器は新鮮度が勝負なので、「臓器提供のために死期を早める」ことが行われかねない。ずいぶん昔に札幌医大で行われた心臓移植ではその疑念が払しょくされなかった。
また中国では法輪功信者やウイグル人などを中心に死刑判決受刑者の執行をレシピエントへの手術日程に合わせて実施していたなどの証言が出てくることになる。SF映画では身寄りがない者を誘拐して昏睡状態で保存し、必要時に解凍して臓器を一挙に抜き取るテーマのものが前世紀に作られている。
技術的には簡単な部類だ。問題は、「できるからやってもよい」というものではないということだ。生命倫理である。
自国民に臓器移植をするならば、その臓器は自国内で調達すべきというのが国際常識になっており、特に「国をまたがる臓器売買は国際的な重大犯罪と捉えられ、国際刑事警察機構(ICPO)が関与してブローカーを摘発することにもなる。
 
日本は品行のいい国民性で通っているが、臓器売買でその評判を落とすことになってはよくない。生命は人権の基礎中の基礎。日本人は外国人の命を買い取る人種であるなどと評価されたら、いったいどういうことになるか。
 
新聞報道では「臓器移植法で厚労省の監督下にあるのは、臓器あっせんの許可を得た団体のみで、無許可営業のあっせん業者には調査権がないから、どうにもなりません」と解説している。バカではないのか。
許可業者にのみ臓器移植のあっせんを認めることは、無許可あっせんは全面禁止されているというのがまともな法解釈。海外で臓器を買いあさる日本人がいれば国家政策に反する者として取り締まるのが厚労省の任務だろう。国内で順番が回って来いないから、手っ取り早く外国人の臓器を買ってという病人も、気の毒だが同罪だ。
そこで最重要の課題。なぜ国内で移植用臓器が確保できないのか。運転免許証に臓器提供意思を書き込めなどと政府が代々広報しているが、年間実施数は100件とかでないに等しい。
それはなぜか。生命についての国民性と考えるほかない。
血液も広い意味で臓器だが、これは再生できる。そして日本では献血意欲は高く、自給できている。血漿製剤では余る状況になったので、血友病患者用の凝固因子製剤を不足国に提供するところに至っている。特定の白血病の根幹治療に当てる骨髄液や臍帯血の提供も順調だ
と考えれば血液など再生できる臓器と、それができない臓器との間で日本人の意識が違うと考えるのが順当だ
いわゆる臓器移植は、日本では定着の素地がない。そう素直に考え、臓器移植の実施そのものについていったん立ち止まって考えることが必要なのではないか。再生不能臓器による臓器移植の全面禁止。それがわが国民性に沿っていると思われる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?