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372日本人は集団主義か

 個人主義と集団主義。どちらがいいのか。小学校の夏休み、ドサッと宿題が出された。新学期前になって慌てるのは嫌だから、もらってすぐにとりかかった。すると終業式、つまり休みに入る前に、日記を除いて終わってしまった。当時は休み中に登校日(招集日)があり、「宿題を計画的にやっているか」と点検が行われた。ボクは正直に状況を報告して、すごく叱られた。理由は「個人主義的で協調性が足りない」。
 半世紀上経った今でも、宿題を先走ってするのがなぜ非難の対象になるのか、疑問が解けない。現代では他人と違っている方が評価される。ボクは生まれてくるのが60年ほど早すぎたということだろうか。
 個人主義の対置概念が集団主義。その意味は「個人と集団との関係において、各個人が集団の目標や利害を自分のものよりも優先させて行動すること」である。そして西洋人の個人主義に対し、日本人は集団主義であると説明される。終業時刻後も欠けることなく社員が残業する様子がその証拠として指摘される。
 しかしこれはほんとうの意味での集団主義なのだろうか。作業が多かったり、手順がよくなかったりしたために、終業時刻までに仕事が終わらない者をみんなで手伝うのであれば集団主義だが、見聞する限りでは、そうした助け合いが行われているようには見えない。ほとんどの者は漫然とスマホゲームなどで時間をつぶし、最後の一人が作業を終えたら一斉に退社するだけである。
 なぜ用もない者までもが居残っているのか。それは時間どおりに退社すると、仕事を手抜きしているのではないかと疑われ、作業割り当てを増やされ、協調性が足りないとマイナス人事評価を受けるからである。表面的には集団主義のようだが、裏を返せば、目立つことによる被害を避けているのであり、実は単なる利己主義なのではないか。
 こうした似非(えせ)集団主義に染まる理由として、日本の自然災害多発環境を挙げる声がある。地震、津波、台風、噴火、集中豪雨…、そうした場合、名も知らない者も含めて理屈を言わずに助け合う必要がある。だれが指揮を執るかなどを民主的に決めている余裕はない。とにかく無条件にみんなで力を合わせる。それが結果的に各人の生き残りという個人利益につながる。そのための協調性なのだ。
 しかし勤務先で、先に挙げたような自然災害への対応を勤め先で組織的に行うことはまれだろう。災害への共同対応が必要なのは地域社会である。協調性が求められるのは住所がある地域での活動。しかし町内会活動などには参加しない。その一方で、いざというときに頼りにならない勤めでは過剰な効用性の発揮。この倒錯をいかに正すか。ワーク・ライフ・バランスで問われているのは、単に時間の長さではない。関係性の内容が問われているのである。

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