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546わが身の後始末の備えは出来ているか

読売新聞が1頁をまるまる使って「火葬の備え」の特集を組んでいる。3月4日朝刊30面だ。これには驚いた。火葬は日頃から日陰の扱い。それにスポットライトを当てた特集記事だ。編集者の勇気と気骨に拍手だ。
特集が扱っているのは11年前の東日本大震災での被災死亡者の火葬である。津波で大量の死亡者が出た。見つかった遺体の安置所が足りない。遺体の腐敗は進む。自治体の火葬場は平時の死亡者数を前提にしているし、地震で機能不全になったところも多い。「いったいどうするのか?」の声に押されて、「とりあえず土葬にしよう」となったが、墓地埋葬法に土葬は規定されていても、今や実施例はほとんどない。とりあえず数年間の措置として土葬にはしてみたものの、「火葬にしなければ」と掘り返す遺族が現われた。そこからがたいへん。引き受けてくれる火葬場を見つけても、遺体をどうやって運ぶのか。道路は生存者への支援物資輸送などが優先されてしまう。腐敗途上の遺体だから運搬車両にも工夫が必要だ。はるか東京の火葬事業者が引き受けたが、交通事情から遺族の立ち合いや収骨は難しい。
大量の死亡者が一挙に発生すると、こうなることは予見されていた。1995年の神戸地震で火が追い付かず、県内はおろか他県の火葬場で荼毘に付している。このときの反省を踏まえ、国(厚生労働省)は「広域火葬計画」を都道府県が協力し合って定めるように指示していた。
しかし「戻元過ぎれば…」の国民性で、「いずれ、そのうち、気が向いたら」と先延ばししていたところに東日本地震が来たわけだ。

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災害は忘れた頃にやってくる。だから対策は前もって入念に予行演習していなければならないのだが、広域火葬計画はどのように進捗しているのだろうか。災害の方は人間の準備などお構いなしにやってくる。南海トラフ地震と津波は発生確実で、分かっていないのは時期だけだ。関東大震災は1923年で100年になる。これも繰り返しの発生は避けられない。分からないのは時期だけである。災害対策が進んで被害規模を小さくできても、大量の死者の発生は避けられない。

 今の国政はコロナで右往左往している。コロナによる死亡者の火葬では特別な配慮が要請され、通常死の遺体とは別扱いを要求されている。病院でのコロナ感染者対応と同様の措置が必要ということだろうが、病院と違って、費用面での国からの配慮はないようだ。遺族の側も立ち合いや収骨を制限され、最後のお別れが認められない。それに科学的根拠があるのかどうか。
 死亡者が大量に生じるのは自然災害や感染症に限られない。今、世界中が怒りの声を上げているロシアのウクライナ侵略。多数の市民が命を落としている。報じられないのはその遺体の処理。厳寒の地でしかも季節は冬だから、あまり騒ぎにならないのだろうか。
 死はタブーではなくなった。多くの識者がそう言い、終活ブームでもあるという。生きている間をどう過ごすか、死んだ後のお墓をどうするか。それもいいが、遺体になった後のわが身体の処理は準備万端なのか。


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