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541憲法と自主防衛 改憲論者にも二種類ある

日本共産党の志位和夫委員長が「日本医は憲法9条があるのでロシアのようにはならない」と述べたとか。
ロシアが隣国ウクライナに攻め込んだことは、まったく言い訳が効かない国際法違反。言うのであれば、「ロシア憲法に9条相当の文言がないのが問題」ということだろう。「自分がプーチンに電話し、さらにロシアの要人や国民に働きかけて、ロシア憲法を修正させる。これを日本共産党の公約とする。よって日本国民は憲法の9条削除をしばし待て」。そう言いたかったのだろうか。
それなら意味が通るし、ロシアだけでなく、中国共産党の習近平氏にも同じように働きかけ、世界覇権を目指さず、台湾侵攻もしないよう中国憲法にも9条相当の文言を入れるよう説得すると誓って欲しいものだ。

今、東ヨーロッパで起きていることは、ロシアによるウクライナ侵奪。加害者がロシアで、ウクライナが被害者。東アジアでは、加害行為をしているのが中国で、周辺諸国・諸民族が被害者。わが日本も残念ながら、海域での領土・領海・資源を脅かされている。この構図に間違いはない。
その前提で憲法9条問題を考えてみよう。
国民議論がまとまらないのは、論点がぼやけさせられているからだと思う。
整理すれば、実は論点が2つあるのだ。
第一は、9条が防衛戦争を禁止しているか否か。
第二は、日本は防衛戦争をすべきか否か。
その前に戦争の定義をしなければならないが、国連憲章等で戦争とは侵略行為のことであり、戦争禁止という場合に防衛戦争を含まない。国内での9条解釈でも同じである。
そこで第一の論点では、わが憲法が国際法では許容する防衛戦争をわざわざ禁止しているのかということであり、左翼系の人はそのとおりだとする。その理由として、憲法制定当時の国際環境が説明材料になっている。つまりその当時(第二次世界大戦終結直後で朝鮮戦争も、東西冷戦にもなっていなかった)は、世界中のすべての国が、戦争はこりごり、平和を志向していた(ように見えた)。
第二の論点は、国家の存在意義に関わる。いうまでもなく国民の生命財産を守るために存在する。ではどういう方法で? 軍事力によってか、経済制裁によってか、外交交渉によってか、あるいはその他の方法で。方法に法則はない。
そこで虚心坦懐に、国家と戦争を考えてみよう。国家・国民の生存が目的で、軍事力は選択手段の一つに過ぎない。軽武装で目的を達成できるのに、物入りの軍備に経費を使うべきではない。他国にも同じ方向に向かわせるべく外交で成功すれば、各国で経済が興隆し、世界中の人が幸福になれるではないか。こういうロジックは当然に成り立ち、合理性もある。そういうことなのだ。
ロシア憲法に9条相当の文言がないのが残念と志位委員長は言う。まったく正しい。世界のすべての国が、防衛戦争も抑制するようになれば全面戦争になる可能性は格段に低くなるはずだ。
ではウクライナ憲法はどうか。仮定の話だが、もし同国の憲法に9条が存在したとしよう。ロシアの侵攻に対して、ゼレンスキー大統領は国民に抵抗戦争を呼びかけ、同国国民は立ち上がって戦っている。この場合に、ウクライナの人々は自国の憲法を守っていないことになるのか。まさか?!

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9条の結論である。自国が侵略されて無抵抗に殺されることを当然とする政府はあり得ない。そうした憲法はあり得ない。9条が自衛戦争をも否定するとの解釈は間違っている。9条の有無にかかわらず、自衛戦争は禁止されていない。つまり9条がある限り自国防衛をできないとするのは詭弁なのだ。
「侵略戦争をしない。やむを得ない自衛戦争は躊躇しない」。これが9条の正しい解釈。この考えで一貫していれば、9条は足かせでも何でもない。表現が紛らわしいから直したほうがよいとの議論はあり得る。それだけのことなのだ。憲法9条を人質に、「自衛戦争をせずに国民の生命財産を無防備にさらすしかないのだ」」の類のバカな発言に騙されて、取り返しのつかないことにならないようにしたい。

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