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効率重視

僕は基本的に大雑把で細かい事には無頓着なのだが、変なとこにこだわりがあったりする。

例えばエレベーターに乗る時。1階から10階に行きたいとする。

エレベーターに乗ったらすぐに「閉」のボタンを押す。10階のボタンを押すのは必ずその後だ。

これ本当に1秒にも満たないかもしれない程度の差しか生まないのだが、そっちの方が確実にエレベーターが動き出すタイムが早い。

例えばシャワーを浴びる時。

全裸になる前にお湯を出しておく。

全部脱いで浴室に入った時にはすぐお湯が浴びられるようにしておく。全裸の状態で水がお湯になるのを待つのが嫌なのだ。

皆さんも共感する部分があるのではないだろうか。

カップ麺を食べる時、かやくや粉末スープを麺の上に開けてからお湯を沸かす人は少ないのではなかろうか。

やかんや鍋を火にかける、または電気ポットをONにする。
その作業の後でカップ麺を開ける人の方が多いだろう。

このように図らずも我々は効率のよい動き方を学習して生きている。

じゃあそんなに秒単位で時間を余剰に生み出したとして何か目的はあるのか、ともし問われたら。

何もないです。まじでなんも。

もはやただの自己満足なのだ。
スムーズに事を運んだというそれそのものが小さな喜びなのである。

雑草の中で四つ葉のクローバーを見つけるような小さな喜びである。

効率の良さから得られる喜びを効率の悪いもので例えてしまったけれども。

結局のところ、そうやって日常の中で生み出した僅かな時間とは比べ物にならないぐらい、無駄に過ごしている時間の方が多いのだが。

愚かだよね。



佐々木スクイズ

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