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水族館

動物園でヒトを飼育する。
例えば檻に囲われた12帖ほどのスペースでオスのヒト、ヒトタロウくんが飼われており、決まった時間に毎日餌を与えられる。
類人猿エリアに設置された檻の前には「学名:Homo Sapiens 英名:human 分類:霊長目 ヒト科」と書かれた黒い看板が立てられてある。
裸で部屋に閉じ込められたヒトタロウくんはいつも何をするわけでなく一点を見つめ続けていて、たまに檻の中を歩き回ったりする。

こんな想像は誰もが一度はしたことがあるでしょう。
僕はというと、常に頭が空っぽな状態ですので、無駄にもここでもっと思考を巡らせます。
「はて、ここで飼育されているオスのヒト、ヒトタロウくんは本当にヒトなんだろうか」

DNA的に言うと間違いなくヒトではあります。

しかし、ここで皆さんの身近なヒトを想像してみてください。
例えば僕。実のところ、僕はヒトです。

僕は朝起きて朝ご飯を食べてから職場に向かいます。働いた金でお酒を飲んだり服を買ったりします。
オナニーをする日もあればしない日もあります。友達とサウナに行ったりもします。

それがヒトとしての生活です。実にヒトっぽい。
かわって、動物園にいるヒトタロウくんはどうでしょうか。
ほかの個体と接することもなく、仕事にもいかずに12帖の部屋から出ることはありません。

ヒトは人間と言われることがあります。「人」に「間」で人間。ヒトは他の個体たちの間に存在します。(金八先生があのくだりで言ってそう)
きっと金八先生に言わせれば、ヒトタロウは人間でもないし腐ったミカンでもないでしょう。ヒトの姿をした何か。

では、ヒトタロウくんのことは置いて、動物園のほかのコーナーに行ってみましょう。
シマウマのシマジロウくんを見つけました。シマジロウくんはサバンナコーナーにいますが、なんか暇そうな感じです。
シマジロウくんは話します。
「聞いた話なんだけど、僕らシマウマはもともと集団で生活してて、ライオンってやつから逃げまわりながらも広いサバンナってところで暮らしてるらしいんだ。それと比べると、今の暮らしは何か物足りなくて"シマウマ"って感じがしないんだ。」
悩めるシマジロウ。サバンナの血沸き肉躍る生活を羨むその目はどこか遠くを見つめていました。

シマウマはもともと数十頭から数百頭の群れで暮し、サバンナに擬態しながら様々な動物と共存している動物です。
しかし、動物園にいるシマウマはただの変な模様の馬っぽいやつです。
動物はその生活様式、習性、自然界における位置づけによって定義されるのでは、と思います。

僕は、動物園に行くのは好きですが、行った後に何か物足りないもやもやした気持ちが残ってしまいます。
檻に閉じ込められ、ほかの動物と交わることなく分離された動物たち。それは彼らの本来の姿ではない。
そんな風に思うのです。

京都水族館に行ったことを思い出します。
大水槽の端の方、アジ(もしかしたらイワシだったかもしれない)の群れの中に一匹二回りほど大きな魚がいました。
その魚がアジを追いかけまわし捕食する。アジは群れの形をうまく変え捕食されまいとする。
僕はこの光景を目の当たりにしたとき、感動のあまり涙が溢れたかと思いました。
種類は違いますが、『グリーンマイル』を初めて観たときくらい心が動きました。
ほんの一部ではありますが水槽の中で食物連鎖が繰り広げれれていたのです。その切迫した緊張感たるや。
水族館では、大概大水槽があって、その中で様々な種類の魚たちが共存しています。
自然を一部分切り取ったその美しさこそが水族館の魅力であると、思います。

水族館で暮す魚たちは、動物園の動物と違って危機迫る美しさを持っているような気がします。


でも、実際自然界でも人間界でも弱肉強食の中でかなり下の方にいる僕は、できればまじで安全な場所で安全に生きていきたいと思ってます。


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