【感想】ブレイブ・リトル トースター

2022/09/13

幼少期の頃に大好きだったブレイブリトルトースターを不意に思い出した。
当時はVHSを繰り返し見ており、今もそのVHSは所持しているが再生する機材がない。
もうブレイブリトルトースターの口になっていたので、DVD版を探した。 

以下、感想。

・付喪神的な思い


ブレイブリトルトースターはディズニーのアニメーションである
簡単なストーリーとしては、別荘に置いてあるトースターを始めとした電化製品たちが、主人が長らく帰ってこないので自ら探しに行くというものだ。
これを聞くと、トイ・ストーリーが思い出されるのではないか。

アメリカのアニメーションで、電化製品やおもちゃなど、モノに命が宿るという付喪神的な思想がヒットしてるのは面白いなと思う。
あと、電化製品たちは人間の前では動いたり話したりはしないが、モノと持ち主にある種の主従関係(「彼のモノである強い所属意識」と「僕のモノであるという強い所有意識」)が描かれている点も面白いと思う。

私としては、ペットを描いた作品に近いものを感じて、電化製品たちのひたむきな思いに泣いてしまう。ただ、ペットとは関係性が近くても、モノには決定的に違う要素がある。死の描かれ方である。

・ゴミとして死ぬこと


作中に電化製品たちが沈黙するのは、人間がいる場面と、故障やスクラップなど電化製品としての死を迎える場面である。

故障はその後に修理されれば全く何もなかったかのように動き出す(ヒートアップして暴発したエアコン、自ら雷に打たれたランピー、主人を救うために歯車の中に身を投げたブレイブなど)。

スクラップに関しては、圧縮機にかけられ、砕かれて潰され、車が小さな鉄のブロックになってしまう。
それまで、車としての生涯を振り返り歌っていた車たちは、断末魔をあげることなく圧縮機にかけられて、小さなブロックとなり、レーンを流れていく。 無論、これは児童向けのアニメーションなので断末魔なんかないのだが、それがないのが却ってとても怖くもある。

上記に書いたように、本作は電化製品というモノに意識が、意志が、生命が宿っているものとして描いている。そうしたモノたちはあっけなく死んでしまう。そして、ゴミとなっていくのである。
これは当時の大衆化社会での安易にモノが手に入り、そして捨てられていくことへの一種の警告のようなメッセージの側面もあっただろう。

スクラップ以外の死が描かれるのが、リサイクルショップでのシーンである。
リサイクルといえば、ゴミを減らし、使えるものを長く使おうという地球に優しいとされる考え方である。しかし、本作の電化製品たちからすれば、それは非常に恐ろしく、おぞましいものである。 

リサイクルショップでは、壊れた電化製品たちが集められている。そして、注文のあった必要な部品だけを彼らから抜き取って売るのである。ショップにいる電化製品たちはどこか欠けたり、傷ついたりした姿で自分が呼ばれないことを祈りながら、自分の運命を諦めながら、そこにいる。
作中のミキサーは自身のモーターに注文が入ったことを知って、物陰に隠れるが店主に呆気なく見つかってしまい、文字通り静かに解体されて、モーターだけが小さな箱に詰められて売られていった。
文書にすると児童向けとは思えぬ怖さだが、事実当時もこのシーンは怖かった。

ショップの中には、寄り集めの部品で構成されたキメラのようなものもおり、自分をすでに見失い、放棄している様子が描かれている。なんと、アイデンティティとは何かということまで児童に投げかけている。児童がそこまで受け止められるかは別として。

・最後


とにかく、大人が見ても面白い作品だなと思った。健気な電化製品たちの姿に普通に泣ける。あと、今まで元気に喋って動いていた電化製品たちが沈黙の物体と成り果てるところはやっぱりこわい。
このブレイブリトルトースターシリーズはあと2作あるので、また観て書く。

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