Vol.20 佐々木 翔大
おまちかね料理人サッカー選手No.22佐々木翔大です。
今回はチームメイトから宇宙人と呼ばれるほど協調性がなくマイペースな佐々木がどのように形成されたのか。
そのビッグバンを噛み砕いてこうと思います。
大げさになりましたが、最初はみんなサッカー人生を振り返るみたいなので、よく覚えてないですが書いていきます。
佐々木少年は昔からなかなか寝ない手のかかる子でした。
家では、寝かしつけてくれていた両親に長時間付き合わせたり。(なお、起きてる間に両親がいなくなると怒る)
幼稚園では、昼寝タイムに1人だけ起きてて先生に付き合わせたり寝ている友だちを踏んづけたり。
「スポーツをさせて疲れたら寝てくれるはず」
根拠のない母の思いがサッカーとの出会い。
当時、日韓W杯が終わった頃で人気だったサッカーを始めることになりました。
[幼稚園]
Fマリノスと、JACPAという幼稚園のスクールに通い始めました。
マリノスが大好きで憧れは現愛媛の山瀬功治選手でした。
[小学校]
地元の少年団グランツ梅田。
ここでは点取り屋を営んでました。
「梅田の9番気をつけろ」の声はピッチ中に飛び交ってたと思います。
それ以外にもマリノスに通ってたし、マリノスがない日は放課後集まって友だちと試合する日々でした。
[中学校]
マリノスに落選し、「憧れのマリノス」から「打倒マリノス」に変わるのはこの時期。
湘南ベルマーレもあと少しで入れなくて地元のスエルテ FCに入団。
一番負けたくなかったマリノスには大敗し、なかなか結果が出せない中でサッカーは無理だと悟り、中2の末にサッカーをやめました。
[高校]
日本一海に近い高校、七里ガ浜高校に合格。
サッカーをやるつもりはなかったけど結局サッカー部に入った。
そこで小学校の選抜で一緒だった選手と再会し、中学の間で差をつけられたと感じ火がついた。
しかし中3という大事な時期を無駄にした代償は目立った活躍ができず高校サッカーは終わった。
[大学]
「みんな行くから」という理由で受験し専修大学に入学。
大学生をしながらデスペルーホ藤沢でプレーした。
社会人サッカーはJリーグに直結してるのが面白くて上のカテゴリーに挑戦してみたいと思うようになった!
チーム練習以外にもウェイトを始めたのがこの時期。
一方大学では目的無く入ったので充実感を得られずあまり行かなかった。
[大学中退→伊豆加入]
自分を表現できるのはサッカーしかない。
そう思った瞬間、大学を辞めた。
中学時代たいしたことなかった先輩がとある所でプロを目指してると知り後を追った。
SC相模原プロフォーマンスフットボールカレッジ。
ここはエージェント会社もついてたので、トップ昇格か海外移籍を目指せる。
午前チーム練習、昼サッカー座学、午後自主トレという濃い時間を過ごした。
TOPとの試合を通してプロとの差も感じたし、オフシーズンに欧州のチームに1ヶ月練習参加し海外志向も強くなった。
海外移籍を目指しながら、国内でプレーする。
資金も実績も必要だったので、クラブが仕事を斡旋してくれてレベルが高い所を探しSS伊豆に決めた。
[現在]
とはいっても自信に満ち溢れてたので、伊豆でちょろっと結果残してさっさと海外行ってやろうと思ってた。
しかし!
予想以上にレベルが高くスタメン争いどころかベンチメンバー争い。
結局加入した年は2試合しか出れなかった。
今シーズンは、新しいポジションにチャレンジしたり自ら運んでチャンスメイクしたりプレーの幅も広がってる実感があるので、今後の自分にほんとうに期待してる!
[最後に]SS伊豆にはドリブルで魅了できる選手、圧倒的なフィジカルで魅了できる選手、スピードで魅了できる選手、声で魅了できる選手、筋肉マッチョな選手、おもしろい選手。
あげたらキリがないほど個性あふれたチームでいろんな楽しみ方ができます。
好みの選手を見つけて応援するも良し、箱推しも良し。
そして素晴らしいサポーターによる応援を一緒に楽しむも良し。
スタグルを楽しむも良し。
週末に選手、スタッフ、スポンサー、サポーターみんなが集まってひとつの試合を作り上げています。
まだ会場に来たことない方はぜひ一度足を運んでみてください。
そして、クラブがどんどん強くなり大きくなっていく歴史を一緒に歩んでいきましょう!
次回はお待ちかね!
背番号4番 伊東元生選手です!!
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