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書いてみたい文章のこと(日記)

 よい土日だった。夫と大阪に出てうめきたの新しい駅を見たり、食べてみたかったハンバーグを食べたり、映画を見たり(ブルージャイアント2回目)、温浴施設で一晩明かしたり、コメダでモーニングを食べたり、よく行くベトナム料理屋さんに行ったり、キッチュな雑貨屋さんで変な指輪を買ったりと最高だった。

一輩子有钱花と書いてる。一生お金持ちって意味らしい。680円

 ちなみにヘッダーは夫とつきあって初めてデートに行ったときに乗った観覧車のチケットである。2007年12月である。えもえものえもである。梅田も様変わりしたし、私たちの金遣いは変わってしまった。会話の内容はあんまり変わらないけど、背負うものも分けるものも増えちゃったね。当時はラーメンを食べて、観覧車に乗って、あとは量販店をぐるぐるとめぐって帰ったよね。

 などと、ことあるごとに過去と今を照らし合わせて、変わってしまった事柄や変わらない部分を挙げ列ねては、感慨にひたったり、誇らしく感じたり、過ぎてしまった時の長さや取り返しのつかなさを感じている。人生の後ろを振り返ったあとの道は、いつのまにか結構長い。物悲しいような、心細いような、何も得られていないような、いやいや十分私も頑張ってるよっていうような、さまざまな感情におちいる。そういうときは、サウナに行く。

チェーとミエン(海鮮春雨)安い美味い早い。

 サウナでは、暑さに耐えながらも何かを頭の中で一生懸命に言語化しようとしていることが多い。サウナだけでなく、電車に乗っているときや、歩いているときもそうなのだけど、サウナの中が一番、前向きに言語化している。言語化の棚は主に3つ。①この素晴らしいサウナと休日を讃える文章、②長めの小説の構成、③自分史。

 実際によく書くのは①の日記のような文章。今も書いてるこれ。忘れないうちに、鮮度が高い気持ちをぶわーっと書く。書いておけば、思い出が自分の言葉で残る。セーブポイントみたいなもの。書いたことは心に刻まれるし、書くに至らなかったことは忘却する。書いていて一番楽しいのはこれ。

 ②の小説は、めっきり書かなくなった今も考え続けている。実は、最高でも五千字ほどのものしか書いたことがないのに無謀な考えではあるのだけれど、長編小説を書いてみようかと、少し前から思っていた。行き詰まっている。登場人物のことが全然好きになれない。「自分の脳から生まれた異質」「どっかで会った人」「見聞きかじった他人の出来事」ばかりが言語化されて、ちっとも私の書きたいことが書けないのです。
 完全に理想が先走っているので、適当に笑って聞いててほしいのだけど、私は「何も起こらないし特別ではない人、善良な人がちょっとだけ報われる話」を書いてみたいなと思っている。例えると、ベージュ色とグリーンの花束みたいなお話。仰々しく飾るほどの華やかさはないけれど、末長く傍らに置いておけるような話が書けたらいいなと思っているのである。血も悲哀も暴力も奇跡も魔法もないけれど、どこにでもいるような人が主人公の、平熱のお話。そう思ったのは、昨年の暮れに宮下奈都さんと「太陽のパスタ、豆のスープ」を読んだから。平凡で内向的な一市民の、どこにでもありそうな物語である。なのに、平凡な一市民である私の心を揺さぶった。主人公のことも、主人公を取り巻く、決して多くはないけれど少なくもない人物みんなを、好きになった。全然つまんなくなかった。私が書くとつまらなくなると思う。私は登場人物を愛せないから。読んだ人が愛せるほどの言葉を尽くして書けないのは、私がまだ愛せないから。遠くで打ち上がった花火のように、読んでからしばらく経って、じわじわとどしんと響いた。そういうのが書きたいんよな。いんや、まるで書けそうにない。だって、「一市民」である私が、私のことすらもよく実態をつかめていないからである。

 そこで③の自分史です。私は、自慢じゃないけれど、なんの威厳も誉もない人生を送ってきている。そして、さして恥も罰もない人生でもある。たまに、「自分の人生を語ろうとすると、何文字書けるんだろう」と思うことがある。特筆すべきこともない人生。だけどね、私はむしろ、読みたいものがあるとしたら、そういうのが読んでみたいなと思う。特別な栄華なんてなくても、いくらでも書けるよなあ。あなたがどんな子どもだったか、どんなことを考えて生きてきたのか、その人生をどう思っていて、どこのメーカーのヨーグルトが好きだったかとか、よいところも悪いところも、どんなところが今の自分に影響を与えているのかを知りたい。
 このようにnoteに書くのもそうだけど、私は人生の大部分を使って、こうやって、「自分の気持ちを書くこと」に費やしている。内向的な人間だなあと呆れるような気持ちでもあるけれど、人生を語り尽くせるほどは書いていないし、自分のことを分かってない、見つめられてないし、振り返れてない、愛せてない、愛しきれてないし、受け止めきれてないなあと思う。あえてそうしなかったと言うよりは、そうする必要がなかったから。今は、自分史を書いてみたいなと思う。子どもの頃と何に傷ついて、どんなことが心に残っていて、今の私にどう繋がっているのかが見つけられたら、きっといいお話を書く礎になる気がしてるんだな。

ねむ。おやすみー。

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