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#旅の履歴書

胎内〜幼少期

初めての旅は胎内、富士山五合目。
弟が生まれた際、一生懸命大人の気を引こうとして「◯◯ちゃん、今からほっかいどー行くからぁ!!!」と叫んで、家を飛び出して両親が肝を冷やしたそうだ。

筆者は大阪生まれ、大阪育ちの90年生まれである。

幼稚園の遠足、お祭り、家族旅行、運動会等の前日は眠れず、当日朝は鼻血を噴出する系の幼女であった。
のぼせ体質。今も変わらない。

小学生

二年に一度くらいのペースで、祖父母家のある大分県に行くのが旅行らしい初めての旅行。
新大阪から新幹線で小倉、小倉からスーパーソニックに乗るルート、または神戸港からフェリーで向かうルートが主。
初めての海、初めてのど田舎、初めての畑野菜等を楽しむとともに、今も興味の根幹を成している、ご当地グルメ、文化、方言に触れ、親しむ。
大分県のしいたけは分厚く、鶏肉はジューシーで、ばあちゃんの煮物は大抵全部美味い。

林間学校は兵庫県の山奥。
修学旅行は広島県・山口県。
たまにいく家族旅行では奈良や滋賀など近場で過ごすことが多かった。
当時の憧れの旅行地は、死海とベトナム、あとやっぱり北海道。

中学校

部活動が忙しく、家族旅行の類いは行われなくなる。
臨海学校は淡路島(台風接近につきマリンスポーツは行われず)、修学旅行は長崎県。
長崎では「好きな人にいかに接近出来るか」と、「お小遣い内でいかにたくさんカステラを買って帰れるか」を、頑張り過ぎ、旅行の記憶無し。


中二病をチャイナ方向にこじらせ、プリ帳に中国語をたくさん書いたり、「将来は中華街で働く」などと公言する。

当時の憧れの旅行地は、上海、香港、あとやっぱり北海道と、ベルギー(ワッフル、ビール、チョコレート目当て)。

高校生

うっかり第一志望の高校に落ち、短期留学有りの高校に入学する。これが転機となる。
行き先はニュージーランド、滞在40日間。
都会から近い街で、ホストファミリーは他の友達のそれとは違い、観光地には連れて行ってくれなかったけれど、頻繁に街に連れ出してくれて、「2hours free time!!bye!(そして家族全員スポーツジムに消えてゆく)」と、やたらと自由行動の時間を設けてくれたので、街歩きの楽しさを知る。
家から徒歩20分のところに海岸があったので、毎日放課後に一人で散歩に行く。
会話力はあまり伸びなかったが、脚力と街での適応能力があがる。
最初6キロ痩せて、最終的には行く前より4キロ太って帰る。
ティムタムむしゃむしゃ。

鉄道オタク(夫)と交際を始める。

高校時代は特に大きな旅はしなかったが、京都の高校だったので、京都の街歩きを楽しむ。

地元を出て京都の高校に、そして海外に行った経験から、衣食住文化のことなりに興味を持つ。
そういう系の学部がある大学を目指す。

大学生

友達だけで初めて旅行に行く。
行き先はナガシマスパーランド。(近い)
大学生協で売っている格安一泊二日プランだったからか、宿はナガシマリゾートではなく、マイクロバスで北名古屋市まで移動して謎の温泉宿に泊まる。女将の圧が強かった。

鈍行で名古屋まで行って安宿泊まって帰る旅。

始発日帰り鈍行岡山・倉敷旅。

人が少ない和歌山マリーナシティでフリーパスを買って遊ぶ旅。

始発で名古屋行って、三重経由で日帰りで帰る旅。

始発で和歌山行って、フェリー乗って徳島行って、土讃線で香川に行ってうどん食べて鈍行で帰る旅。

夜行バスでディズニーとシーに行って夜行バスで帰る旅。

四泊五日、取り立ての免許でレンタカー借りて、那覇の旅(運転がやば過ぎて友達と若干険悪になる)。

など、近場で地味だけど元気な旅をして、心を潤す。
なお、のちに夫となりし人は、元気な18きっぱーに進化する。

韓国、上海など、何度か海外に行こうとしたが、タイミング悪く国際情勢が悪くなったため、とりやめること数回。
平和が一番。
しかし、平和じゃないと旅立てないことを感慨深く思う。日本には旅行者がいっぱい。

思い出に残っているのは、大親友と行った卒業旅行。
夜行バスで京都駅から下関。下関から海を渡り門司港へ。門司港から東に引き返し、山口。山口の温泉旅館で一泊し、翌朝鈍行で宮島。宮島から広島に移動して広島から夜行バスで帰る旅。
女子大生にしては渋いチョイスだし、宿では夜の恋バナ……なんてのも無く21時台に気絶するように眠ったのだけど。
それでも、友達と何回もカフェとかで時刻表で電車の接続を調べたり、現地の美味しいグルメや名物を探したりと、ずっと楽しかったなあ。
当時の写真を見ると、絶対しんどい旅なのに(思い出して書いてるだけでもしんどい)、終始お肌つやつや、ぴちぴち。
ねたましいやらうらやましいやら。

夫となりし人は海外に裾野を伸ばし始める。


当時の憧れの旅行地は、ベルギー、上海、ベトナム、あと東京。

社会人

関西圏を離れ、岐阜県に移住、就職する(大学で衣食住文化の違いを学んだことを売りに、スーパーマーケットに)。
ここで、また転機。
関西と東海、ほんのちょっと移動しただけなのに、気候も食文化も言葉も人付き合いの仕方も全部違っていて驚く。

また、全国各地から集まった同僚、同期や、国内海外問わず色んなルーツを持つパートさんの話に夢中になる。
具体的に言うと、地域によって味噌が違うとか、味噌が違うからこそ夫婦喧嘩になった話とかに興味津々になる。

当時、ふなっしーやひこにゃんの出現で一大ブームになっていたゆるキャラにハマり、ゆるキャラという言葉を生み出したみうらじゅん氏にもハマる。
郷土、民芸、ご当地、民俗、祭り、などのワードに敏感になる。

しかし、関西から離れると「関西弁ってやっぱきつく感じることもあるよね」的なことも初めて耳にし、ちょっとへこむが、方言の印象って面白いもんだなと思う。

四年住んだのちに、岐阜人に「岐阜の出身やったっけ?」と言われるくらいには岐阜弁をマスターする。

夫となりし人は、立派なバックパッカーに変貌するなどし、旅先でテロや災害にニアミスするなどし、私をやきもきさせる。

台湾(台北)、白川郷、金沢、長野など、手軽で身近な観光地に行く。

岐阜・名古屋を堪能したのちに静岡に引っ越す。
岐阜から静岡に移っただけでもこんなにいろいろ違うのか!と驚く。
東海地方付近をブイブイ言わせる。

なんかこのへんのマガジンに入っとるで(岐阜弁)、気が向いたらぜひ。ぜひ!

主に、新幹線、バス、電車等を使用し、安いビジネスホテルに泊まるプランであったが、旅の回数を重ねるごとにゲストハウスやドミトリー、高級めのホテルやグランピングなどバラエティに富んだ旅をしたいと思うようになり、する。
電車はどんだけ乗っても苦にならない。
楽天トラベルが友達。
映えもいいけど、ダサいのも良い。
リュックひとつで行く旅は気楽でいい。
国内ならお土産は宅急便で送っちゃえ。
別に、旅先で何かを見つけようと躍起にならなくてもいい。
誰かと行くのも、一人で行くのも大好き。
気楽に、きままに。

思い出に残っているのは、彼と行った台湾旅行。
初めての二人きりの海外。
海外にたくさん出向いているはずの彼が意外と頼りなかったり(会話、ご飯のチョイス)、逆に頼りがいがあるな(交通)と感じたり、反対に私の強いところと弱いところも見出されたり、長く付き合っているのにお互いが知らなかった面をたくさん見た。
ちょっと嫌いにもなったし、好きにもなった。

この辺りでnoteを始める。
いろいろ書いているうちに、この先の人生を思うと関西に帰りたくなり、仕事を辞める。

無職ぷーぷー時代

わずかながら成した財を頼りに遊びまくるなどする。
金沢、香港、高雄台南、東京、横浜、大分、タイ、バリ、長崎、福井、などなど。
飛行機、新幹線によく乗る。
体調を崩し、健康のありがたさを思い知る。

タイのチェンマイ、台湾の台南の街並みが忘れられない景色。
地元の、地元っぽい空気が好きだなあ。
福井は秋吉の焼き鳥が大好きです。
長崎では皿うどんを三杯食べた。

再就職・そして新婚時代(現在)

夫と関西近郊、東京、熊本、鹿児島、仙台、ソウル、宮崎などなど、今まで行ったことないところにいっぱい行った。
そうしているうちに、すぐに禍が広がって今に至る。
今まで楽しく書いていた、ご当地系のnoteがちょっぴりだけ書きづらくなる。
どこにも行かないと書けないし、「今は行けないし」と思うとちっとも書きたくならない。
ならなかった。

だけど、GOTOのあおりを受けて、少しだけ旅に心が向いてきた。
まず、家の外に一歩出るだけで「旅」なのです。
家の中にいても、心が外に飛び出たら、もうそれは「旅」です。
家でご当地料理を作るのも、どこかの誰かのnoteを読むのも、旅。
旅はどこにでも溢れています。
そして、旅に関して書くことの楽しさ、読むことのワクワクをまた取り戻したい。

私にとっての旅は、「編集すること」。
じんわり進む夜行バス、フェリー、そして鈍行の列車が好き。
胃袋への挑戦、自分との対話、ちょっとだけチャレンジ。
眠ること、移動、満腹、都会、田舎、どれもこれも、少しずつ自分の好きなように組み合わせることが好き。

今の憧れの旅行地は、唐津、青森、札幌、新潟。
あと、ベルギー、ベトナム、上海。

誰かの旅も知りたいし、誰かと旅に行きたいし、旅を語る楽しさも分け合いたいなぁ〜


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#音楽の履歴書 楽しんでいただいてありがとうございまーす!
企画ってつもりじゃなかったけど、このお題で書いてくれた方同士が盛り上がってくれて、とっても嬉しかった。
誰かが「読みたいことを書けばいい」と言っていたので、大成功です。

それと同時に、「好きなことを書き散らす」ことの楽しさを思い出しました。
そうそう、noteをはじめたときは、好きに書いていい場所に少なくとも私は飢えていました。
だから、書く場所を見つけられて、最初はとても楽しかったけれど、段々と日が経つにつれ突きつけられるように感じる「読まれない自分、続けられない自分、上手く書けない自分」を認識することになり、次第に少しつらくなりました。
そう、つらいんよなー。
不毛で無意味に感じることがある。

でも、でも!
note、色んな人います。
いろいろ、見つけていきましょ!
好きなことを好きに語る人、いっぱいいるよ。
そして、その好きなことを語るのが聞きたい人もいっぱいいる。
あなたは書いていいんだよ!!!と大声で叫びたい。

もし、書くのに悩んでいる人、上手く書けなくて悩んでいる人がいたら、ここにお題を置いておくので、良かったら使ってください。
少し時間はかかるかもだけど、「#音楽の履歴書」と「#旅の履歴書」は私が読みたいから絶対読みに行くので、何の賞もないけど、ぜひぜひ!



そして、
#音楽の履歴書  に加え、色んな履歴書が生まれているので、最後にご紹介します。(引用すみませーん!)

何が言いたいかというと、いっぱい楽しんで書く人がいたらいいなって思う!おわり!








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