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「偶然でも,誰かが救われるきっかけになれば」-羅針盤#1

✔ 大学から逃げたくて応募した東南アジア青年の船に救われた.
✔ 東南アジア青年の船を知ったのは,応募する2週間前.偶然に知った.
✔ 「違いを了解し,安易な同質意識を捨てること」の重要性を身をもって学んだ.
✔ 偶然でもいい.羅針盤を通じて発信することで,自分と同じように,東南アジア青年の船から何かを学び,救われる人がいれば.

こんにちは.第44回(2017)「東南アジア青年の船」事業参加青年,及び「羅針盤」のnote&ウェブサイトを運営・管理している中井澤卓哉です.

東南アジア青年の船(以下,東ア船)の認知度の向上,そして既参加青年コミュニティの活性化を目的に始まった「羅針盤」プロジェクト

これから様々な人の,東ア船にまつわるストーリーを紹介するにあたって,先日早速とある方に体験談のインタビューをしました.その途中,「人の話を載せるのはいいけど,自分の話をまずは公開しないとフェアじゃないなあ」と思って,まずは自分が赤裸々に語らなければならないと思いました.

これからいろんな人の話を紹介していくにあたって,こんな感じの筋書きで語られるんだ,という1つのモデルみたいなものになれればなと思います.

※羅針盤に関する詳細はこちら
※東南アジア青年の船に関する詳しい情報は,こちら内閣府のウェブサイトをチェック.

【友達がいない大学から逃げたくて,東ア船に応募】

まず,自分が東ア船を知ったのは全くの偶然でした.

2017年,大学2年生になる前の春,特別仲がいいわけではなかった知り合いと,とある授業の課題でグループワークをしていた時,たまたま「世界青年の船」という内閣府の別の事業について教えてくれました.

「へー,そんなのあるんだー」っと思って,さっそくグーグルで調べてみたら,世界青年の船以外にも内閣府がやっている事業が色々出てきて,そこで初めて東ア船を知りました.大学1年の2月下旬です.

その時ちょうど,「環境を変えたいな」と強く思っていたので,ちょうどいいチャンスだと思って1週間程度で書類諸々を準備して応募しました.

「環境を変えたい」というのは人間関係の悩みからでした.自分自身,幼少期から典型的な社会不適合者で,友達と呼べる人が周りに全然いませんでした.例えば,当時は朝にものすごく弱かったので,小学校では「遅刻しない方が珍しいキャラ」だったり,先生や教育の在り方に対する反抗心から学級崩壊の主犯となったり….はたまた,中学校ではいじめにあったり,部活でチームをまとめられないことを顧問に責められ,一時期は真剣に自殺を考えたこともありました.

そんな,友達の絶対数が圧倒的に少なく,周囲に適応できなかった中でも,高校ではじめて,「なんでも腹を割って話せる気の置けない友達」的な存在ができました.高校時代,特に後半は,ある病気から精神的に非常に苦しい時期でしたが,彼らに頼ることができたため,なんとか乗り切ることができました.

しかし,大学に入ると,それまで過ごしてきた環境と違う価値観や文化であったためか,まったく適応できず,唯一頼れるような友達もできず.高校までの友達もだれ一人いない中,一人暮らしで経済的にも精神的にも非常に苦しい時期を過ごしてました.

大学と高校までの何が一番違ったか,というと,「違うことが当たり前」という文化があったかなかったかでした.特に自分が通ってた高校は国際高校だったので,言語や文化,価値観が違うのが当たり前で,それを自然と受け入れるような環境だったのが,大学に入って突然,「出る杭は打たれる」的な環境になってしまい,ものすごい同調圧力が働いていて,入学初日から気持ち悪かったのを覚えています.

そんな中で,「とにかくいまの環境を変えたい」「大学のコミュニティから逃げたい」と思ってたことが後押しして,スピード応募に至りました.

【「違い」を了解し,本気でぶつかり合う場】

東南アジアに関する強い思い入れがあるわけでもなく,東ア船についてさほど詳しいわけでもない.それなりに準備はしたけど,受かる自信もない.そういう,ほんとに「不適格者」みたいな感じでしたが,どういうわけか2次試験も通過してしまい,最終選考を兼ねた,8月頭にある5泊6日の事前研修まで到達しました.

この事前研修が,とても衝撃的で想像を超えるものだったと強く記憶しています.

正直なところ,飛び込み参加的なノリで来た自分は,事業の内容もいまいちよくわからないし,モチベーションもそこまで高くない.「全然期待してなかった」のが,一変しました.参加者は18歳から30歳,様々なバックグラウンドを持つ人がいるコミュニティに身を置き共同作業をする中で,「おなじを強いるのではなく,それぞれの違いや強み,多様性を了解する」ことが当たり前の暗黙の前提とされていることをひしひしと感じ,やっと自分の居場所を見つけられたかのような感覚になりました.年齢関係なし,建前なしで本音で語り合う,それを本気で,しかも密度濃くできた経験は初めてでした.

そしてそれは,事前研修だけではなく,もちろん事業そのものでもそうでした.国籍や文化,言語も価値観も全く違う人たちが,偶然この瞬間,この船に集った.ただそれだけのことなのに,お互いの違いをものともせず,受容し語り合う.それは,自分を事業終了時,仲間と別れるときに号泣させるには十分すぎる経験でした.

これまで,「異質」であることを理由に排除され続けた人生.それが,ことばも違う,国籍も違う,育った環境も場所も違うのに,言ってしまえば「異質でしかない」存在なのに,それを受け入れてくれる人たちに出会えたことは,本当に強調しきれないくらい重要な経験でした.

【カテゴリーの違いから解放された瞬間】

特に印象に残っている出来事が,インドネシア代表団のナショナル・プレゼンテーション(※国ごとに,その国の文化や歴史,伝統を75分で紹介するパフォーマンス)にテクニカルサポーターとして関わっていた時のことです.リハーサルの前段階から,動画制作や音響などかなり深くかかわっており,本番前にインフルエンザの影響で突然延期になるなどのトラブルもともに乗り越えてきました.延期を経て迎えた本番当日,まだ観客が入る前,インドネシア代表団と,リハーサルの関係者しかいないときのことでした.観客が入場する前,彼らは円陣を組み,お祈りをし,士気を高めているとき,私をその円陣の中に「インドネシア代表団の一員として」迎え入れてくれたのです.そして,We trust you(私たちはあなたを信頼している)と言ってくれました.国が違うため通常は関われないことに,そういうことを一切構わず受け入れてくれた,とても感動的な出来事でした.まさに,「国籍」というカテゴリーから解放され,同じ場にいる同志として受け入れられた瞬間でした.

自分が東ア船で得た,今後の宝になる経験(=羅針盤)は,こういった「違いを了解したコミュニケーション」を身をもって経験したことです.それは国籍や言語などわかりやすい違いだけではなく,同じ日本人でも,同じ日本語を使うもの同士でも当てはまります.同じことを強いたり,コミュニケーションの作法が適切ではなかったり,問いの立て方が間違ってたり…そういうことが,相互不理解を生んでしまうことは経験則で何となくわかっていましたが,それらにどう対処するか,それを身をもって学んだことが一番大きいです.それは,違いを了解すること,そのために,「相手も同じである」「同じ言語を話し同じ文化に身を置いているから,自分のことをわかってくれる」という,安易な同質意識をまず批判的に自覚することです.自分の専門は外国語教育なのですが,今後は外国語の教育を通じて,そのような資質・能力をどう育てていけるか,を研究します.そして,それを追求するにあたって,それらの経験は重要な原体験,そしてモチベーションとなっています.

【偶然でも構わない.ただ,誰かが変われたり,救われたりするきっかけになれれば】

最後に,なぜこうして自分の経験や他人の経験を,こうした形で伝えたいのか.それは前述した「東ア船を知った偶然の出来事」があったからです.自分は,あの時世界青年の船を教えてくれた友達がいなければ,こうして体験を書くこともなかったし,東ア船に参加することもなかったかもしれない.東ア船だけでなく,自分の人生ではそういった偶然がもたらした変化が非常に重要な意味を持っています.今いる大学に進学したのも,当時の高校の担任の先生がたまたま勧めてくれたから(それまでは今いる大学の存在すら知らなかったし,知った時は受験の半年前とかでした(笑))で,「違うことが当たり前」を最初に学んだ高校も,姉の友達が通っていたから知って進学できた等々…確かにこういうのは偶然に過ぎないし,自分にはコントロールできないかもしれない.ただ,自分が発信することで,人に伝えることで,大学1年の時の自分のように,誰かが救われるきっかけになれるかもしれない.それは地道ではあるけれど,確かなことだとも思っています.

偶然でも構わない.ただ,東ア船に応募したときの自分のように,誰かが変わったり,救われたりするきっかけになれれば.その想いから,この羅針盤というプロジェクトを始めました.

羅針盤を通じて,一人でも多くの人に東ア船を知ってもらいたい.そして,東ア船を通じて何か新しい世界に触れたり,何かかけがえのないものを得たり,またとない経験をしてほしい.自分一人の力では到底それができなくても,こうして東ア船の価値を伝えたり,いろいろな人の羅針盤を発信することで,少しは「他人を救う偶然のきっかけ」になれるのではないか. そう思って,これから地道に活動を続けていきます.

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※東南アジア青年の船に関する詳しい情報は,こちら内閣府のウェブサイトをチェック.

※本note,及び「羅針盤」ウェブサイトに掲載される内容は,「東南アジア青年の船」事業主催である内閣府の公式見解を示すものではありません.