老人は気楽

わたしは自分のことを、特別でない、

どこにでもいるような普通の人、と思っている。

特別ではない存在。ありふれた存在。

だから、名前も不要だろう。

私とか自分とか自己という気取った言葉も不要。

誰もが言うようなことしか書かない。

私の人生経験で特別なことはない。

後世に残すようなこともない。


さて、

「老いては子に従え」という諺がある。

中国の漢代に「夫死しては子に従え」という女性の生き方から

派生したものらしい。

年取っては、出しゃばらずに、子の言うことも耳を傾けなさいという意味。

現実、自信だけは人一倍強い老人がかなり多い。

年取ると一般的に判断力は鈍るが、

俺はまだ若い者に負けぬという人もいる。

そういう人に対する諺のようだ。


話は変わるが、

若年、中年、老年で、

生き方が一番難しいのは、どの年代だろう。

若い頃は、内から湧いてくるエネルギー(生命力)がある。

それに従って生きるしかない。

ある意味、成長という上げ潮に乗っているので楽な面もある。

中年では、職場、家庭などの社会的な枠組みが

がっしりしている。選択の自由度は小さい。

決められたことをしなくてはいけない。

考えなくてもいいので、ある意味、楽な面もある。


それに比べて、

老年は自由度が格段に大きくなる。

何でも可能。

家を捨てて、放浪も自由。

ただし、体力的な限界の範囲で。


それぞれの時代、生きるのは難しいが、

老年では特に、先人がいない、前人未踏の冒険となる。

教科書も教師も学校も羅針盤もない。

生きる技術を教えてくれる場がない。

お金があっても、先生がいない。

特に、いかに死を迎えるか、

70代からのコースなどはない。

個々人で事情が違い過ぎる。

私の場合、求めているのは、

私や自分や自己という概念を消失した人のための特別コースだが、

そんな場は、ありえないだろう。

つづく


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