いい人生 その3
中学、高校、・・・
私は、色々と考えた。
正しいとはどういうことか。
プラグマティズムという哲学が流行っていた。
正しいや真理というのは、
その集団にとって有益で役に立つことを意味するという。
普遍的な基準ではない。と
なるほど、これなら納得。
自分の属する集団にとって、
有害な敵を殺すのは正義。
味方を殺すのは悪。
敵を騙すのは正義。
味方を騙すのは悪。
集団が違えば、
宗教も価値も違う。
私有財産制度では、
盗むのは悪。
私有財産のないところでは、
盗むという行為もないかもしれない。
私は吃音の経験から、
人の苦しみや悲しみというものは、
外から見たのでは、分からない。
という事実を
うんざりするほど、知った。
飢えて死にそうな人も、
ちょっと見れば、元気そう。
動けなくなるまで衰弱すれば、
助けを呼ぶこともできない。
そうなる前に、
生きるために盗んだとして、
それが悪だと、言えるだろうか。
その頃、
犯罪者のノンフィクションを色々と読んだ。
死刑になる極悪人と言われるような人も、
幼児期の虐待、精神的外傷、
義務教育も普通に受けられない生い立ち、
非情な周囲の環境などなど、
様々な不運の連続。
もう少し普通の環境で育っていればと、
思わざるを得ない。
私には極悪人と思えなかった。
その頃、思ったことは、
犯罪をする人も、もっと違う選択、
自分の利益を得るために、
犯罪ではなく合法的なやり方を考え出す、
ちょっとした知恵があれば、
犯罪をしないでもすむのに、と。
教育の大切さだ。
合法的なやり方で
悪いことをしている人はいっぱいいる。
だから、一般的に、
犯罪者は、不運な人だと。
私は好運にも、
犯罪をしないで生きられた。
決して、こころが清いからではない。
こころが清いとは何か。
長く生きて学んだ結論を言えば。
こころというものは、
頭と同じで、
多層で多重で無数の部屋をもった
巨大な建物のようなもの。
汚い物が一杯詰まった部屋もある。
きれいに飾った部屋もある。
自分でも、
どこに何があるのか分からない。
それがこころ。
こころが清いなどは、
生きている限り不可能。
つづく。
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