愛とは その2

私は理屈っぽい。

典型的な左脳人間。


娘は左脳が死んで、

右脳だけで生きている。

とても、幸せそう。


何事も説明したいのが左脳の特徴。

言葉は本来、とても大まかなことを

表現する。

危ない。逃げよ。集まれ。やっつけろ。など

集団にとって大事なことを示す。

それが言葉の始まり。

ものごとを客観的に説明するのに

適していない。

なぜなら、

言葉には感情が付きまとうのだ。

プリントされた文字には感情はない。

しかし、その言葉を使う個人個人は、

多様な感情を抱く。

多くは無意識の領域だが。

また、人により、言葉の背後に、

色彩や音楽やイメージや匂いまで

隠れている。


例えば、会話している人たちが、

同じ言葉「愛」を使うとして、

その言葉に含まれた意味は全く異なる。

これでは相互理解は困難。

ものごとを説明するには、

もっと無味乾燥した記号が必要。

数も役立つ、だが、これも限界がある。

数字は個性まで説明できない。

イメージや漠然とした無意識の感じまで

数では説明不可能。

要するに言葉や数では、

この世や世界を、

正確には説明できない。

初めに言葉ありきと

述べる教えがあるが。


言葉は便利な道具だが、

動物から進化した人類が

集団生活の必要から作ったもの。

全能の神が、もし、いるとしたら、

言葉のような、

幼稚なものは使わないと思う。

もっと、瞬時でわかる方法を選ぶだろう。

大抵の言葉は、解釈で、

どうにでも意味づけされる。

人は言葉と数と五感を使うしか、

相互理解の道がない。

そこが人の限界。

いくらコンピューターが進化しても

限界は変わらない。


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