見出し画像

悪魔は三度微笑む(第五夜)前編

moonlight shadow~悪魔の誤算~



その事実を知ったのは、もう俺が人間の姿を失くしてしまった頃だった


俺たち淫魔は、その人間が好む外見や見た目に姿を変えることが出来る

だから初対面でも、怪しまれることもなく、さほど抵抗されることなく受け入れてもらいやすい

でも、最近の俺は、淫魔の姿から人間に変わることが出来なくなっていた

今まで色々な人間にサキュバスを宿してきた

低俗な試練を積んだら人間に戻れるんじゃないのか…?

そう聞いていたのに、これじゃあまるで…


「やあ、今宵は月が綺麗だね」

突然上の方から、俺に話しかけてくる声が聞こえた

見上げると、ウェーブした髪の毛を固めて眼鏡をかけ、黒地に分かりやすい白いストライプが入ったスーツを着た男が、俺の目の前に降り立った

彼はその昔、俺がこの世界に来た時、初めの頃に出会ったやつで

悪魔の世界の事や悪魔としての生き方、そして、人間に戻る方法を教えてくれた

キン…と高い音を立てたライター
黒い紙タバコに火をつける

甘い香りが漂ってきた

「どうだい?試練は順調かい?」

「お前…騙していたな…?」

俺は人間にしては長すぎるであろう、2つの大きな犬歯をむき出しにした

「はあ?何の事だい?

別に俺は嘘偽りは一つも言ってないよ

人間を低俗悪魔にすれば、お前が人間に戻れるのは事実だ

それによるリスクとして、人間らしい見た目に戻れなくなる

と言う事までは話していなかった、ってだけで」

じゃあこのまま人間を悪魔にしていったら俺はどうなるんだ…?
悪魔の見た目のまま、人間に戻ると?

見た目は悪魔で…中身は人間…という事なのか?
もし…そんな状態なら…

そんな

そんな状況を、望んではいない…

「大体…

何かを得ようとする時に、そこにリスクや対価、報酬、代償がない事の方が少ないんじゃあないかい…?

それに疑問を持たなかったことの方が不思議だけどね

そんな事、人間時代からわかってると思っていたけど

それに…」

男はそこで舌なめずりをして、不敵な笑みを浮かべて言った

「悪魔の特技は、騙すことだろう…?」

かっと頭に血が上り、俺は鋭く伸びた長い爪をそいつに向かって振り下ろした

空間を裂く

男の吸っていたタバコが吹っ飛んだ

男は涼しい顔で華麗に爪を避けると言った

「そもそも君は、なんでそんなに人間に戻ることにこだわるんだい…?

自ら死を選んで、この世界に来たのに」

わからない…

今となってはその理由が、思い出せなかった

ここに来た頃は、確かに覚えていたはずだったのに


あの時

目の前には彼がいた

「鬼龍(きりゅう)」

「ーーーお前なにしてんの…?」

黒いスラックス、金色のボタンに灰色のブレザーとネクタイ

中学時代の制服を着た友人

でも今、鬼龍は公立の高校に行っているはずだ

そして…

「夢…?」

「まあ、表現が難しいけど、一応現実かな…
これからお前が生きる世界は、ここだから」

これから…俺が生きる…世界…?

綺麗な夕日に、ケシの花が咲き乱れ、蛍が飛び交い、小さな虫の鳴き声がした

不思議な、場所

「ここ何処…?」

「死後の世界

お前、自殺したんだろ…?
…俺と同じように

ここは自ら命を絶ったものがくる世界、なんだってよ」

俺、死んだのか

そうか

そうなのか

そうだよな

じゃなきゃ、鬼龍には会えないから

でも

よかった

よかった

秋を守れたんだな…

よかった…

「何で泣いてるの…?」

よかったけど…

よかったのに…

「恋人を、置いてきちゃった…

そうするしか…方法が…守り方が…わからなかった…

でも…

本当は離れたくなんかなかった…

俺が非力だから…
無力だから…」

「死んだ人間が、残された生きている人間の気持ちがわからないように
生きている人間が、死んだ人間の気持ちなんかわからないよ

もう住む世界が違うのだから」

住む世界が…

違う…

「ここは、天国…なのか?
なわけ…ないか…自ら死んだ人間が天国に行けるわけないもんな」

「天国?
天国も地獄も、生きている人間が作った死後の空想上の世界ってだけだよ

この世界では、人間の時に自ら命を絶ったものは

悪魔になるんだって」

悪魔…?

気付けば俺の身体は、手は鋭いかぎ爪になり
異常なまでに犬歯が発達し
黒く、毛深い肌に、でっぷりとした腹が出て
背中にはコウモリの翼が生えていた

それと共に、人間だった時の姿の記憶が、霞がかかったように思い出せなくなってしまった

色の付いた世界が、モノクロになる


「鬼龍…」

鬼龍に聞こうと思ったが、目の前には自分と同じような物体がいた

あれ…おかしい…

鬼龍の人間の姿が…思い出せない…

だって、さっき…あれ…

鬼…龍って…何だっけ…?

「どうしたの…?」

「いや、何でもない…」

「俺たち悪魔には名前なんてない
強いて言うなら

淫魔…だね」

淫魔…聞いたことある
確か夢魔と言って、人間の夢の中に現れて悪魔を宿す下級の悪魔で、神話の世界の話に出てくるよな
インキュバス、女はサキュバスと言ったな

「淫魔が唯一出来る能力として

人間に、愛する人の記憶や思い出の夢を見せることが出来る、薬を精製することが出来る」

愛する人の…思い出や記憶の夢…

人間の時の話とは、少しこの世界ではニュアンスが違うのか

「その薬を使って夢を見せて、どうするんだ…?」

「…特に意味はないよ
ただ、そう言う能力が使えるってだけだ
あってもなくても、必要のない能力だよ

俺ら低俗悪魔は高貴悪魔を目指しているから、そんな能力は使わないし

第一、悪魔は夢を見ない」

「高貴悪魔…?」

「悪魔の世界にもヒエラルキーが存在する
俺らは低俗悪魔と呼ばれる位置で、低俗悪魔はみな、高貴悪魔を目指している」

悪魔の世界も階級社会だなんて、人間の時と同じなんだな

「悪魔の世界では高貴悪魔になれば今より楽な生活が出来るから、みな俺みたいな高貴悪魔を目指すんだよ」

頭上から声がして、人間がゆっくりと二体の悪魔の間に降りて来た

趣味の悪いストライプのスーツを着て、びしっとウェーブした髪をまとめた、メガネの男は言った

「高貴悪魔になれば、俺みたいに自分の思った通りの見た目に変えることが出来るようになる
人間の時よりイケてる見た目にも変えることが出来るんだよ
新たな自分で第二の人生スタート出来るってわけさ

低俗悪魔はコウモリがでっかくなったような、その醜いどでっぱらの見た目のままって事
まあ後はせいぜい、人間と会った時に自分の意志とは関係なく、その人間の好みの見た目に姿を変える事くらいしかできないってわけさ」

「そういうのには興味がないな」

「はあ…?」
男は方眉を吊り上げて目を見開いた

「人間に戻る方法はないの…?」
俺は人間の形をした悪魔に向かって、聞いた

いつの間にか、もう一体の醜い容姿をした悪魔はいなくなっていた

「人間…?
なんで人間に戻る必要があるんだ?

お前は人間時代が嫌だったから、自ら命を絶ち、ここに来たんじゃあないのか?」

「別に…

人間に戻る方法はないの…?」

男は眉間にしわを寄せて顎を撫でると、言った

「…人間界の人間を、お前と同じ低俗悪魔にするんだよ

能力を使ってね」

「能力…」

「そう、念じると手のひらに瞬く間に現れる…

悪魔の薬でね

薬だけじゃあない、念じれば多少の小細工程度のアイテムなら魔法のように出すことが出来るし使う事も出来る
俺たちは悪魔、人間時代とはもう違うんだからね

その薬を人間に飲ませると、人間は強制的に眠りにつく
すると人間に夢を見せることが出来る

愛は麻薬

依存してのめり込んで、抜け出せない

その薬が、悪魔を宿すとも知らずにね

大体3回ほど薬を飲ませれば完全な低俗悪魔になるだろうね

そうやって人間を低俗悪魔にさせればさせるほど、お前は人間に戻っていく
まあ、ある種の試練を積むみたいなもんかな」

「そうなんだ…」

「ただそんなつまんない事やってるやつ、ごく一部で、みな悪魔同士騙し合いして生きてるけどねえ」

「何故?」

「何故ってそりゃあ当たり前でしょ、人間界の人間を低俗悪魔にしたところで高貴悪魔になれるわけでもないし、楽な生活が出来るわけでもない、高リスクで重労働でつまんないからさ

それに比べたら、悪魔同士の騙し合いの方が低リスクで簡単で、おもしろいからだよ!
それに、悪魔の連中なんざ、人間に戻りたいなんて思ってもいないしね」

「まあ、そもそも喧嘩や騙し合いは同じレベル間でしか発生しないものだからな」
俺は吐き捨てるように言った

「何…?」
男は片眉を上げた

「何でも
教えてくれてありがとう」


俺は頭を押さえた

「クククッ…

その様子じゃ、人間に戻りたかった記憶もなくなってしまったようだね

ほら、あそこを見て

ベッドで寝ている女がいるだろう?

あそこは、余命が幾ばくも無い人間が集まる場所なんだそうだよ

今のその姿じゃ、あそこにいる人間くらいしか騙せないんじゃあないかい?」

俺は歯ぎしりをした

「ほら…人間に戻りたいんじゃあ、ないのかい…?」

そいつが言っている言葉は、俺を騙している言葉だともうわかっていた

けど、引く事の出来ない現状では、前に進む事しか選択肢は残されていなかった

そうしないと、良くも悪くも事態は変わらないからだ

俺は飛び立ち、ベッドで眠っている女の元へ行くことにした

「そうそう、それでいいんだよ

君は低俗な悪魔”以下”の存在なんだから!」

俺の背後で、動物の金切り声みたいな、やつの高笑いが聞こえた


その部屋にいとも簡単に侵入すると、窓際で眠っているであろう女に近づいていった

「誰かいるの…?」

寝ていると思った女は、透き通るような声を出した

俺は構わず女に近づいていく

随分若い

…20代…だろうか…

そんな年齢なのに、寿命が尽きようとしているなんて…

なんて…同情のような気持ちが湧いてしまい、思わず首を振る

月光の下

俺の醜い身体が照らし出される

女には逆光になって、黒い何かの物体にしか見えないだろう

影はコウモリのような大きな翼を映している

「もう、迎えに来るなんて…早いのね…」

女は驚くでもなく、何か諦観したような、針で突いた風船から空気が漏れだすような声でその言葉を言った

「生憎、俺は死神じゃなくて悪魔でね」

「悪魔…

悪魔も…人間を迎えに来るの…?」

「今夜は特別なんだ」

「そっか…」

女は、力なく笑ったように見えた

「悪魔は死神と違って、最期に、夢を叶えてやることは出来る」

「え…?夢…?」

女の首が微かに動き、俺の方を見ようとしているのがわかった

「そう、最期の夜に、愛する人の思い出や記憶の夢を見せてやれる」

「なんだ…そういう事か…

…だったら…私は…

恋人だった人に会いたい

昔…私が高校二年生だった頃…突然死んでしまったの…

彼に会いたい…

夢の中だけでもいいから…最期に会いたいの…」

「まあ…お安い御用だよ

ただその夢を見る代わり、君は俺と同じ悪魔になる

いいね?」

「悪魔か…

死んだら天国とか、天界とかそんな類の…場所に行くのかな…とか…ぼんやり思っていたんだけど…」

そういうと、しばらく間が空いてまた女が話し出す

「ねえ、悪魔の世界は楽しいの?」

俺は長くなった爪で、額を掻きながら言う

「まあ、今のその状態よりは…

とても楽で…

自由な世界だよ」

女は声にならない、空気が抜けるような笑い声を漏らした

「だったら…、悪魔の世界も悪くないかもね…」

「契約成立だな」

俺は女に薬を渡し、グラスに水を注いでやった

「その薬を飲むと、愛する人の夢が見れる」

グラスを受け取った女は、また空気が抜ける音みたいな笑い声を漏らした

「私、毎日…薬飲んでる…

悪夢しか、見ないけどね…」

薬を飲んだ女は、すっと眠りに入った



「佐伯じゃん」

振り向く

「コバヤシ」

「なあ佐伯、茶ぁ、しばかね?」

俺たち四人は北口のファミレスに入った

「ねえ、お金貸してよ」

「なんだよその目

お前中学の時は金貸してくれたじゃん」

「ってかさっきの子、彼女?」

コバヤシの仲間の三人のうち、一人が言う

「へ~…佐伯
新しい彼女いたんだ」



目を覚ますと、真っ白の天井

消毒液の匂い

身体に繋がれたチューブ

いつもの病室だった

私生きてる…

死んでない

昨日

私は月夜の中、悪魔に会った

だからもう、目が覚めないのかと思っていた

嬉しいような、がっかりしたような
不思議な気分になった

それにしても…

「…何…さっきの夢…」

私は、さっき見た夢を思い返した

やけにリアルで…

まるで、本当にあった出来事かのような臨場感があった

昨日悪魔は、最期の夜に愛する人の夢を見せてやれると言っていた

てっきり浩司(こうじ)の夢を見れるかと思った

…けど

私が見た夢は、明らかに浩司が視点の夢だった

それを、俯瞰して見ている…とでも言おうか

つまり

夢を夢と認識している状態

あ、そっか

だからやけに臨場感があったのか

でもあの夢の内容…

コバヤシって…

どこかで…

「三ノ輪橋さん、三ノ輪橋秋(みのわばしあき)さん」

トントン、とノックが聞こえた

入り口を見ると、医師と看護師が入ってきた

「三ノ輪橋さん歩けるの…!?」

「え…?」

看護師が驚いた表情で近づいてきた

あれ…

そういえば私…

普通に歩けている…

と言うか

病気になってから、身体がもう動かなくなってしまっていたけど
今は身体がやけに軽い…

「信じられない…先生…」

「いやあ…これは驚いた…」

医師と看護師は感心したように私をまじまじと見た

「昨日まで殆ど話せない、殆ど身体が動かなかった人とは思えない…」
医師が顎を撫でながら、訝しそうに言った

夕食後、いつもの薬を飲む

この薬は、今の私の病気を治すための薬じゃなくて
痛みや苦しみを緩和するためだけの薬だ

もう、私の病気は薬を飲んでも治らないから…

にしても、今日はいつもより薬の量が少し多いような…?

薬を飲むと、何故か急激に睡魔が襲ってきた

あれ…

すごく眠い…

私はそのまま眠りに落ちた



第五話(中編)↓


#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?