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内面化された「契(ちぎり)」—BADSAIKUSHあるいはカント—

舐達麻(なめだるま)というヒップホップグループをご存知だろうか。
埼玉県熊谷市をレペゼンし、ストリートの垣根を越えて若者に爆発的な人気を誇る、
ジャパニーズヒップホップシーンの最前線を走る3人組グループである。

舐達麻は現在3人のメンバーから構成されている。
BADSAIKUSH(バダサイクッシュ)、DELTA9KID(デルタナインキッド)、G-PLANTS(ジープランツ)だ。
本稿ではその中でもBADSAIKUSH(以下「バダサイ」)に焦点を当てて論じる。
彼は全身刺青だらけの不良然とした風貌ながら、埴谷雄高や志賀直哉を愛読する読書家の一面も持ち合わせている。
今日はそんな彼のリリックを文学的、あるいは形而上学的観点から読み解く、というチャレンジを試みてみたい。
読者の皆様には最後までお付き合い頂けるとありがたい。

未来を規定した「運命の日」

バダサイは埼玉県深谷市、隣の熊谷市との市境付近に位置する「上柴西」で生まれ育った。
母子家庭で育ちサッカー少年だったという彼は、やはり中学生の頃に「ヒップホップ文化」に加担し、不良の道を邁進する。

俺の場合は、親が離婚してて、家に母ちゃんしかいなくて、母ちゃんは、俺が学校に登校しなくちゃいけない時間より先に家を出ていくんです。それで帰ってくるのが夜じゃないですか。行こうが行かまいが、どうにもならなくないですか。しかも母ちゃん中卒で、養育費とかももらってないし、働くしかないんですよ。俺ん家は4兄弟なんですけど、息子ひとりくらいグレたからってかまってられないんです。俺も子供だったから、好き放題できたし。こいつ(DELTA 9 KID)は父ちゃん、母ちゃん働いてて家にいなかったんだよね。2泊くらい帰ってこないみたいな。

舐達麻が舐達麻たる由縁! 高純度を追い求めた〈血・肉・音〉

悪い先輩から買った車を中3にして所有していたというバダサイは、美人局型の援交狩りを皮切りに、様々な犯罪に手を染めていった。
中でも有名なのが「金庫泥棒」である。

裏口に3人組 頭にLED
でけえバールでドア破り 小せえの金庫
鍵穴に当てハンマーで調子いい
諭吉で埋める両手 時に首下げるストップウォッチ
測る105秒キッチリ

(FLOATIN')

そして2009年6月3日、そんな金庫泥棒をしている最中、ある事件が起きる。

3日未明、埼玉県深谷市内の県道で、パトカーの追跡を受けていた乗用車が路外に逸脱。道路左右のブロック塀に衝突を繰り返す事故が起きた。クルマは大破。同乗していた男性2人が死傷。運転していた男は現場から逃走したが、後に逮捕されている。

埼玉県警・深谷署によると、事故が起きたのは3日の午前2時50分ごろ。これより5分前の午前2時45分ごろ、深谷市内の県道をパトロールしていた自動車警ら隊の捜査車両(覆面パトカー)が、対向車線を無灯火状態で走行する乗用車を発見。停止を命じたが、クルマはそのまま逃走した。

クルマは猛スピードで逃走したが、深谷市榛沢付近の県道で路外に逸脱。道路左側のブロック塀に衝突した後、反動で右側まで弾き飛ばされ、今度は道路右側の塀に衝突。クルマは大破し、後部座席にシートベルト未着用で同乗していた17歳の男性が車外に投げ出され、全身強打で死亡。助手席に同乗していた19歳の男性も打撲などの軽傷を負った。

クルマを運転していた20歳の男はその場から徒歩で逃げたが、同日早朝に家族と共に出頭。警察は自動車運転過失致死傷と道路交通法違反(ひき逃げ)容疑で逮捕した。事故を起こしたクルマは前日に同市内で盗まれたものと判明しており、窃盗容疑でも調べを進めている。

現場は幅員約5mで、緩やかなカーブ。警察では速度超過が事故の主因とみて、調べを進めている。

パトカー追跡のクルマ、ブロック塀に衝突繰り返す

真っ二つのレガシー 5,6台のポリ
あの世と檻 天も地も血の海
手錠に涙落ち 時既に遅し
俺は無価値 でもあいつはダイヤ並

(契)

事件現場104 コンクリート突っ込む140km
最期の会話 後ろ見とけ後ろ

(FLOATIN')

この痛ましい事件が、皮肉にも舐達麻の、そしてバダサイの未来を規定することとなる。
この犠牲者となった17歳の少年こそが、舐達麻のリリックに必ずと言っていいほど登場する1.0.4(トシ)だ。
1.0.4は舐達麻の前身グループ49(フォーティーナイン)に所属しており、
生きていれば今も舐達麻のメンバーとして活躍していたかもしれない。

「思い出すとかじゃないけど、1時04分とかに(頭を)よぎったり」(DELTA9KID)

「昔話をするたびに、(1.0.4の)お母さんに会うたびに出てくる」(G PLANTS)

「ここにいたはずだから。でも死んじゃって。もう、家族以上の存在になっちゃうんですよ」(BADSAIKUSH)

ラッパーになるか、ヤクザになるか 結成前夜のすべて

滲む追悼の意、その覚悟

舐達麻の楽曲において、
一般的なイメージは「大麻」「不良」「反権力」といったところだろうか。
しかし、筆者はそれだけでは十分でないと考える。
彼ら、特にバダサイがリリックを通して綴りたい想いは、一貫して1.0.4へ向けられており、
もはやそれはある種の呪術的な固執性を感じさせる。
この側面を無視してただ彼らの音楽やリリックを批評したところで、
もっと深い部分の核心に迫ることは不可能だろう。

バダサイは、昨年12月にドロップされ瞬く間にシーンの話題を掻っ攫った「FEER OR BEEF BADPOP IS DEAD」において、
冒頭からこのように切り出している。

お前の曲はパクリで 俺のはRequiem

Requiem(レクイエム)とは、死者を追悼し安息を祈るための音楽だ。
彼が文章を綴り続ける理由はそこにある。
大麻も犯罪も、生活の話に過ぎない。
そうではなく、彼は形而上学的レベルにおいてレクイエムを創り続けている。
バダサイはこうも歌っている。

何を言えども 口すら利けないお前と 一緒にいると思うと
女々しいから何も言わない

インターネットでレビューを幾つか見てもこのリリックの解釈は様々に分かれているが、
筆者はやはり1.0.4に語りかけているリリックと解釈する。
その解釈を前提としたとき、「一緒にいる」とはどういうことだろうか。

もちろん、物理的に死者と一緒にいることは極めて困難だ。
この場合においては、死者の記憶、精神、または遺志を心に留め、それらを尊重して生活することを意味するだろう。
だが、彼のリリックにはそんな綺麗事では回収しきれないような、悲壮な覚悟が滲み出ているように見える。

俺は俺だが お前と俺で俺になる

(BUDS MONTAGE)

お前は良いやつで 俺は最低
重ねる日 悉く積むごとに
酷くなる 期待を裏切る日

(ROCK THA BOAT)

マジじゃなきゃダチじゃない 俺達は死んじゃいない
ポケットいっぱいのやましさ でも生きてりゃいつか
死なねぇようにしても R.I.P 1.0.4
手合わせる3日 行きたくねぇコスモス街道

(契)

今となればあの頃
いつまでもあのままの104
取り損ねた金額分 今頃に回収
お前のいない分 俺たちの多い取り分
お前の母ちゃんに渡す
それは夢見るリーガル

(FLOATIN')

事故に巻き込んでしまった責任があるとはいえ、彼のその悲痛なまでの追悼の意と、遺志を背負う覚悟は、常軌を逸しているように思える。

彼をそこまで突き動かすものとはなにか。

筆者はそのヒントを哲学者カントに求めた。

カントとバダサイ、その「行動」と「思想」

イマニエル・カントは18世紀のドイツの哲学者で、西洋哲学において最も影響力のある思想家の一人だ。
彼は人間の理性の限界と可能性について探求した著作を多く残し、
理性、自由、道徳性の理解に深い影響を与え続けている。
冒頭において触れた小説作家・埴谷雄高も、獄中でカントの著作を読み、
大きく影響を受けたという。
バダサイ本人がカントを読んだことがあるかどうかは定かではないが、
彼の創作活動に間接的に影響を与えているに違いない。

カントは言う。

君は、君の行動原理が同時に普遍的な法則となることを欲することができるような行動原理だけにしたがって行為せよ

(道徳形而上学の基礎づけ)

これは彼が提唱した有名な原理「定言命法」の中心的な考えを表しているテクストだ。
わかりやすく言い換えれば、
自分の行動が、誰が見ても納得せざるを得ないような基準(=普遍的な法則)に当てはまるかどうかを自問自答することで、
その行動が道徳的に正しいかどうかを判断する、ということである。

このカントの原理とバダサイの原理を接続してみると、
バダサイの「行動」は、カントの掲げる思想の上に立脚しているように見える。
どういうことか。

カントは同書においてこうも語っている。

君は、みずからの人格と他のすべての人格のうちに存在する人間性を、いつでも、同時に目的として使用しなければならず、いかなる場合にもたんに手段として使用してはならない

(道徳形而上学の基礎づけ)

この原則は、故人を尊重し、事故に対する責任を認識する行動が、故人を目的自体として尊重することを示す行為であることを強調する。
バダサイが事故に対する責任を受け入れ、故人を追悼する行動を取ることは、故人に対する尊敬と責任感の表れとなり、
その行動はカントの思想に従って道徳的に正しいと考えられる。

つまり、追悼の意を示すことは、故人への敬意と責任を普遍的な原則として受け入れ、それに従って行動することを意味する。
そしてバダサイにとっての行動とは、本人の言葉を借りれば『音源で証明』(You Can Get Again)することであり、
リリックを『書く行為が祈り』(DAY DREAM)なのである。

バダサイは過去のライブMCでこう語っている。

生きてると、周りにたまに死んでしまう人が現れると思うんだけど、
そうすると俺たちは悲しいけどそれだけじゃなくて、
むしろそれよりももっと自分のやるべきことを全うしようと思う。

このMCでの彼曰く、1.0.4以外にも不慮の事故で亡くなってしまった仲間がいるらしい。
彼はそれらの死者を内面化し、地続きであったはずの未来を自ら引き受けることで、
その殺伐とした覚悟を纏うことができるのだろう。

一方、カントはこう述べている。

理性の真の使命は、何かほかの意図を実現するための手段としての善い意志をもたらすことではなく、それ自体において善であるような意志をもたらすことでなければならない。そのためにこそ、理性は絶対に必要だったのである。自然はつねに、みずからの素質を分配するにあたっては、目的に適ったやり方をしてきたからである。

(道徳形而上学の基礎づけ)

カントは人間の理性が目的それ自体として善をもたらすために存在するという考えを強調している。
人が直面する困難や悲しみを通じて、個人は自己の内面に向き合い、より高い道徳的理想に向かって自己を導くことができると彼は見ているのだ。

理性の使命は、外部の事象や他者の死を通じて自己の義務や道徳的行動を再考し、それを自身の行動に反映させることにある。
他者の死という経験はそのショック性により、我々に「自己の生」をより深く考える機会を与え、
自己の行動を道徳的理想(=普遍的な法則)に照らして変化させる機会を与えてくれる。
これは、単に悲しみに囚われるのではなく、その経験を通じて自己を高め、理性に基づいた意志を形成することを促すものであり、
その過程で自己の内面的な成長と道徳的進化を遂げることができるのだ。

バダサイは、別のライブMCにおいてもこう語っている。
少し長くなるが全文を引用させて頂きたい。

俺はいつもリリックを書くときに大麻を吸うんだけど、それは俺がラッパーだからドラッグを摂取して曲を作ってパーティをするとかそういう話じゃなくて、
俺は純粋に大麻という植物が好きだし、歌詞を書くという行為が好きだから、それを一緒にやる。

で、それを続けていて思ったことは、自分の精神状態がどんな状況にあろうが、それを何かに映し出す行為が芸術なんだと思う。
俺は歌詞を書くという行為だけど。

それをさらに続けて俺が思ったのは、この行為は、まぁ芸術をするという行為は全人類がしたほうがいいと思う。
それは俺は、何回も言うけど、歌詞を書くこと、だけど、小説を書くとか、絵を描くとか映画を作るとか、まぁスゲー変な話地面に絵を描くとか、もうなんでも誰でも0円で誰でも簡単にできるし。

なぜそれをみんなやった方がいいと思うかと言うと、生きてると、楽しいこととか、幸せなことばっかりだったらそれでいいけど、ムカついたり、誰か妬んだり僻んだり、自分が悪いかも知れないし、相手が悪いかも知れないし。
まぁそういうのは関係ないけど、ホントに殺してやりたいとか、そういう気持ちになることもあると思う。
そういう気持ちをもし自分の中だけで消化できたらそれに越したことはないと思う。人と関わっていく中で、そういうネガティブな気持ちを持ったまま接してもいいことなんかないし。

だけどそれを続けて自分がいくことによって、周りの人間関係がどうとかじゃなくて、ま、絵でもなんでもいいんだけど、それがどんどんどんどん自分が真剣に向き合うことによって成長すると思う。その成長していく物を見ていて、絶対自分の自信になるし、自分の間違った物をなにか、消化する段階で、正しい事と間違ったものを投影する段階で。

人にも評価されるし、されないかも知れないし、自分の嫌な部分を消化する為に作ったこいつが誰か他の人に評価されたとき、それはスゲー最高な気分。
満足はしてねぇけど。

Yo 間違ってることを正しいと歌わない俺は
飽きる事なく吐き出す言葉 俺は
信じてる いつ起きることが
程々なルーツなら捨てちまえ
自分で選んだ道で花咲かせ
APHRODITE GANG HOT TOWN REPRESENT

舐達麻 / FLOATIN' (Live Version) @新宿BLAZE 2019.12.19

人生に起こるどのような事象も、芸術という行為に投射することで自己の成長に繋げられる。
それはネガティブな感情も含めて、というより、ネガティブな感情こそ作品=善に変換することで、
バダサイの芸術はカントが言うところの『理性の真の使命』となるのである。
ここにはっきりと、バダサイとカントの思想の共鳴を読み取ることができるだろう。

おわりに

本稿で度々引用した「契(ちぎり)」という楽曲がある。

これは所謂「知られざる名曲」で、まだ全く無名だった2015年に発売された1stアルバム「NOTHENBLUE 1.0.4」に収録されている。
当時4人だった舐達麻の歩みと、未来へ向けた覚悟が綴られた楽曲で、
とにかく「食らう」ので、ぜひ一度聴いてみていただきたい。

以下に「契」のバダサイのリリックを全文引用し、結びとさせていただく。

いつもこう ぶっ飛んでHIP HOPに詞を吐く
つまんねぇくだらねぇ言葉 目の前から捨てる
埼北のガキ共 R17 Joint やられた奴 かまし出す
フリードラッグ HIP HOP
1人2人増えても 2、3人減るシーン
仕事なんか辞めて ディールしろジャンキー
路上じゃ無縁の奴ら 熊谷Lagoon
上柴 ルーツはクレイジーなDRGN
Boy's 14の夏 ぶっ壊した普通
やりてぇようやる じゃなきゃ頭狂う
嘘をまず 絵を燃やす 要はフリースタイル
ケースバイケース マイペース食う Life is One Time
マジじゃなきゃダチじゃない 俺たちは死んじゃいない
ポケットいっぱいのやましさ でも生きてりゃいつか
死なねぇようにしても R.I.P 1.0.4
手合わせる3日 行きたくねぇコスモス街道
金庫の前 バールと仕掛け 蝶のように舞い 舐めた赤目
万券 埋もれた手 何百万円 束で使え ブラントで吹かせ
手に足枷 雨から晴れはすぐまた雨
真っ二つのレガシー 5,6台のポリ
あの世と檻 天も地も血の海
手錠に涙落ち 時既に遅し
俺は無価値 でもあいつはダイヤ並
氷溶かし粗悪品 クリスタル打ち込み
誰もいねぇムショ上がり 「ケミカルは遊び」
刺さったままの針 借金 シャブ漬けの二十歳
「ケミカルは遊び」うるせぇ 1人きりの証
しがみついてみた言葉 己の音沙汰
赤く染まる目が二つ 耳塞がず 現実
もうガキじゃねぇんだ 何にも振り回されんな
シャブキメてSEXもいいが 今はMary Janeと一小節
書いて捨てる 吐いて吸う マイク ステージ ドラッグ
飛び回るMUSASABIみたく音の上でナイスなダンス
4時過ぎのMotherfucker 背中の羽 朝方の赤玉
火は消すなマリファナ トべ こちら熊谷
覚悟 見せろ腹 まだ狼煙上がってもねぇよ旗
束の間のOne Loveじゃ名が廃るBrother
HOT TOWN Slow Burn 差をつけろ末端
捌きまくれ Hustlerには札束 これはカルマ
I'm a カルテル 舐達麻

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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