たまに思い出す吹奏楽部の後輩のこと

眠りたくないのでもう少し書く。

ぼくは高校時代吹奏楽部に入ってました。
中学も吹奏楽部でクラリネットをやっていて、高校では憧れのファゴットをやっていました。

ぼくが3年生になって、新しい後輩ができた、6月頃。

覚えてるのは、みんなの練習音がきこえてくる、少し夕日が差してきたころの、2階の廊下。
ぼくは不登校気味で登校するときはだいたい保健室で、それでもたまに部活に行ってたとき。
クラリネットに入ってきたおんなのこがいて、元気がなさそうに歩いてたから、たしかぼくはその子に声をかけた。

ぼくの仲がいい同級生にMちゃんって子がクラリネットにいて、その子が結構好き嫌いが激しめな子で、態度にもまあまあ出ちゃうような子で、
「わたし、M先輩にきらわれてるんですかね」
って話してくれた。

Mちゃんがあんまりその子のこと好きじゃないっていうのはたまに聞いてて、でもその子の悲しそうな顔見るとそんなこと言えるはずもないし、だから、よく覚えてないけど、話をきいてあげたり、たしか元気づけてあげたりして、ぼくからもあとでMちゃんにきいてみるね、なんて言ったり。

あんまり好き嫌い出すのよくないよ、悩んでたよ、って、ぼくはその日の部活中に、Mちゃんに話した。
態度とかあんまり変える気なさそうで、ぼくはやるせない気持ちになった。

それから何日か、何週間か経って、悩んでたクラリネットの後輩の子が部活に来なくなった。

顔も見ないなと思っていたら、その子は学校辞めたよっていう話を誰かからきいた。

こうやって書いていくと、直接Mちゃんの態度のせいかなんて、分からないことなんだけど、あの日、悩みを話してくれた時に、もっとなにか出来ることがあったんじゃないかなって、Mちゃんにも真剣に訴えていたら、なにか変わったのかなって、時々、本当に時々思い出して、後悔したりしてる。

今のぼくがそのころのぼくになれたとしても、話をきいてあげたり、元気づけてあげたりするほか、思いつけないんだけど、もっとなにかしてあげられたんじゃないかなって、思ったりする。

何がその子にとって最善だったかなんて、一生わからないままだけれど。

対応したことについて、後悔してることはないんだけど、悩んでる子とか、話をしてくれた子に対しては、その時出来るだけの最善を尽くしたいな、尽くさなくちゃいけないなって、すごく思う。

ぼくが当時のその子に対して、学校を辞めざるを得ない状況になってしまったことに責任を多少感じているんだろうな。

いつまでも、って思うけれど、こういう気持ちを忘れてしまったら、大切にするべき人を無下に扱ってしまいそうで怖い。
思い出すときは、ぼくが大切に扱うべき人を無下に扱っているときなんだろうか。

なんにせよ、学校をやめていったあの子には、今も、未来も、その子にとって一番の幸せでありつづけていてほしいなと思います。

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