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【試読】Diamonds Are a Girl's Best Friend

 一発屋量産機。
 業界での俺の渾名だ。

 まったくそのとおりなので、名刺に刷って配りたい。誰もかれもが俺の引導による瞬間的爆発力を求めて手を伸べる。引っ掴んで華やかな舞台に押し上げる、ああ綺麗だなと思う、その時には俺の仕事はもう終わっている。
 継続して面倒を見てやる脳はない。信じられない理由かもしれないが、弊社ではまかり通るのではっきり言わせてもらう。

 だって飽きちゃうんだよ。俺は良いプロデューサーでも良いマネージャーでもない。
 人々の欲望を、羨望を、渇望をこれでもかと搔き集めてできた灰燼の山を踏みつぶして頂点で笑う才人の目が、この世でもっとも眩い輝石みたいに光るのをみとめたら、もう満足してしまう。

 好きなものが3つある。花火、クラッカー、チェーホフの銃。
 どれも普遍的なエンターテイメントでありながら、大勢の人を驚かせることができる。その瞬間の頂に惹かれる。他に欲しいものなんてない。
 我ながらひどく下品で酷猥な趣味だよ。そうでなければ、こんなクソみてえな仕事が務まるはずがない。


「またハデにやってくれたわねえ」
 俺の執務室の扉を無遠慮に開けられるただひとりの人物、掃除婦のおばちゃんが入ってきてやはり無遠慮にため息をつく。15時きっかり、定期清掃の時間に現れる彼女に合わせてコトを済ませる理性を評価してほしい。
 ベッドに劣らない面積の仕事机に横たわり、天井を見上げたまま「悪いね」と応じる。

「わたしゃ心配してんだよ、あんたの耳がどうにかなるんじゃないかって」
「先月の健康診断では異常ナシだったよ」
 床に撒き散らされた、色とりどりのテープやリボンや紙ふぶきを、彼女はせっせとかき集めていく。今日は2ダースのクラッカーを使い果たした。むしゃくしゃした時の悪癖だ。鼻頭を掻いた指先から、かすかに火薬のにおいがする。

「何をそんなに悩んでるのさ」
「ボーカルが見つからなくてね」
「あたらしいバンドの?」
 相槌が掃除機の音に掻き消される。無駄に柔らかい絨毯の隙間に埋まった、スパンコールやらラメやらも吸い出す高性能な機種だ。

「……ン駅の……」
「何?」
 掃除機が止まる。
「エスト・ポーン駅の裏町にでも行ってみなよ」
「あの小汚ねえ歓楽街の、さらにディープなエリア?」
「俺様がそんなとこ行くかよって声ね」
「イヤだよ、あんな場末のゲロ臭いとこ。若手の時に付き合いで連れてかれたっきりだ」
「まったく、気位が高くてらっしゃるね」
 黒いゴミ袋に、紙テープがガサガサと押し込まれていく。

「例えばだけど、あのあたりのバーで歌ってる無名の子を採用する。あんたがいつもどおりの仕事をする。シンデレラの誕生だって話題になる。どう?」
「凡庸だな……凡庸だからこそ大衆が喜ぶか」
「あんたってやつは」
 人の上でふんぞり返ってるだけで高給取ってる能無し役員より、時給250エレルの小市民の意見の方が有用だ。などと口に出したら15時に来てくれなくなるかもしれないので言わないが。
 マネークリップに挟まったすべての紙幣を差し出すと、彼女は眉間の皺を増やした。
「金はこの世で最も明確な敬意だよ。あなたの掃除がいちばん丁寧で早い」


 エスト・ポーンは地下鉄の駅からして雰囲気が悪い。壁のタイルにはヒビが走り、ついでにドブネズミが側溝を走る。銀メッキの安くてダサいアクセサリーやら、インポートブランドのバッグやウォレットの模倣品を売っている連中を横目に地下道から出た。

 キャバレーだかライブバーだか娼館だかよく分からん店が横に縦にひしめき、安っぽい立ち飲みバルからあぶれた者が空席と酒を求めてうろついている。
 どこかから漏れ聞こえるポップスは、16週連続でヒットチャート1位だった曲だ。テラス席で弾き語りしてるやつが歌ってる憂鬱なバラードは、昨年の映画の主題歌。すでに酔っ払ってるのか、向かいから歩いてくる学生の一団が合唱しているのは数年前に「耳から離れない」と話題になった、教育番組で流れている童謡。今じゃ教職員向けのスコア集にだって載ってる。
 
 ぜんぶおれが担当したミュージシャンの作品だ。競合の芸能プロかフリーのミュージシャンが出し抜いてくれねえかな、と思う。それぐらい慢心しているし、尊大になってる。
 そのうちなんか良くねえことが起こるんじゃねえかって怯えてて、空き缶の前でこうべを垂れてる失業者にだってエレル紙幣をばら撒いて……今日は掃除婦に渡してすっからかんなんだった。ハリー・ウィンストンを巻いた手を後ろ手に隠し、コインケースの中身をぜんぶひっくり返せば震える声で感謝される。ヌードルの1杯ぐらい食えるだろうか。

 カードが使えて、女性ボーカルがいる店ならどこだってよかった。どこに行ったって、適格者なんていないってことを確かめにきただけだ。
 ヒットの裏じゃあいくつもの企画が潰えているわけで、今回のだって執着する理由なんてない。縁がないならそれまで、そろそろ諦め時だって気がしはじめていた。

 比較的小綺麗で、ネオンサインにShow Restaurantの文字が踊る店が前方右手に見えた。目星をつけ、扉を引く。
 と同時に、露出の激しいドレスを着た女が、男と腕を絡めて店から出てきた。「あら、ごめんなさい」と言いながらウィンクをし、ジャケットの胸ポケットに名刺をねじこまれる。コールガール斡旋店の。
 客引きを容認してる店なのか、ここでやってるのがそもそもそういう類いの“Show”なのか、どっちにしろ一瞬でげんなりする。

 それでほとんどやけくそになって、隣の建物の地下につづく階段を駆け降りた。本日ミュージックチャージフリー、と看板を出しているからには何か観れるだろう。

 想像以上に広いフロアで、しかし客足はまばらだった。ステージもやけに広く、ビッグバンドを入れる余裕もある。
 くたびれたかんじのバンド連中の中心で、ブロンドの女が歌っていた。聴いたことのないボサノヴァ調の曲で、おそらくオリジナルだ。

 どうにも居心地が悪かった。妙な湿気と冷気が店内に充満しており、革張りのソファもひんやりと冷たい。さっさと飲み干して退出できるように瓶ビールを注文してしまったが、熱い湯で割ったウイスキーが恋しい。
 店員に訊けば、名のあるミュージシャンが入る日は満席になることもあるらしい。今日みたいなチャージを取らない日のほうがむしろ空いてる、とのことだった。

 誰も演奏を聴いていなかった。ボーカルもまた、どこも見ずに歌っていた。
 白いファーを肩にかけ、淡いピンクのマーメイドドレスを着た過剰な華やかさがより寂寞感を誘う。虚げなウィスパーボイスは、埃の膜を指先で削り取るような、ささやかかつ明確な嫌悪感で歌詞をなぞっていた。

 そのくせに甘い響きがどうにも嘘くさい。憐れっぽくて鼻につく。
 もう辞めようと思ってるやつのステージングだった。
 ガールズジャズバンドなんかつくるの止そうと思いはじめてる、おれの心理状態がそれを気づかせる。

「おい、ねえちゃん、脱げよ」
 ステージにいちばん近いテーブルの酔客が野次を飛ばした。何も聞こえていないという顔で、ボーカルは歌い続ける。そのうち酔客は席を立ち上がり、彼女の目の前にやってきた。
 何を言っているのかよく分からないが、罵倒しているトーンだ。虚ろげな歌声は、ほとんど酔っ払いの声にかき消されている。

 かと思うと、何も捉えていなかったボーカルの水色の目が酔客に焦点を合わせた。
 1オクターブ、いや2オクターブは下がった芯のある声がフロアを突き抜ける。怒気を孕んだ歌唱。スキャットはしゃがれたドスすら効いていて、ウィスパーボイスは見る影もない。酔客はわかりやすく驚き、後ずさってそのままソファに尻をついた。
 彼女の両目は閃光を放ってギラつく。取り憑かれた、というより彼女自身が自我を取り戻したかのように見えた。

 何事もなかったかのように軽やかなピアノの余韻を残し、曲が終わる。
 彼女はため息混じりに「ありがとう」と囁き、そそくさとステージを降りていった。


 ボーカルと話したいと店員に申し出ると、煙たそうに「裏口にいますよ」と言われた。
 客用入口から出て裏に回れば、彼女は小さな火が揺れる石油缶の前でしゃがみこんでいた。ブロンドは雑にまとめられ、紺のブラウスに膝のすり減ったジーンズというラフな私服に着替えている。

「そのほうがボサノヴァっぽいな。ギターを抱えたら似合う」
 彼女はこちらを見あげると、存外にも愛想のいいほほ笑みで応じた。

「隣いいかな」
「どうぞ」
「何を燃やしてる?」
 足元の紙束から1枚取り上げ、手渡される。彼女のライブのフライヤーだった。スポットライトを浴びる彼女の、閉じた瞼がアイシャドウできらめき、マイクスタンドに縋りつく格好で歌う写真がでかでかと印刷されている。

「“天使のような透明感の歌声”ですって、ばかみたい」
 彼女はフライヤーを丸めては、石油缶の中に放り込んでいく。炎が照らしだす面差しは、ひどくくたびれている。
「あなた、さっき観てたお客さんね。人が少ないからよく観察できるの」
「意外だ。客を見回してるような目つきではなかったから」
 心ここにあらずというかんじの笑みをはりつけた顔に、炎が照り返している。

「こんなお仕事、もう辞めようと思うの。わたしなんか何処にいてもいなくても、一緒だって気分になっちゃうんだもの」
 ウィンストンの盤面を指先でつつかれる。
「あなたお金持ちね? 家政婦さんとかで雇ってくれないかしら」
「それよりも良い話が──というか、一緒に良い話にしよう」

 名刺を差し出すと、炎で照らして「まあ」と声をあげた。これも燃やされたらそれまでだな、というひそかな覚悟を持つ。彼女が首を横に振ったら、この企画はボツ。

「ポテンシャルを活かしきれてないやつを観ると、腹が立って仕方ない。天使がうんたらってキャッチコピーがクソだと思ってるんだろ? どこのプロダクションだか知らんが、人を見る目がなさすぎる」
 楽器ケースを抱えた連中が、俺たちを横目で見やって通り過ぎていく。
「単刀直入に言おう。ガールズジャズバンドをつくる企画があって、君をボーカルにしたい。そんなところ辞めてこっちに来い」
「まあ、なんてこと」

 この時、人間の瞳孔が拡張する瞬間をはじめて見た。
 気のせいでも記憶違いでもない。絶対に見た。そうでなければ、全身が粟立ったのがなんだったのかわからない。
 いろんな奇人の相手をしてきたが、このうえなく野生的だった。獰猛さと希求を抑えるすべを失くした歌手が、俺の名前をとんでもない眼光で見つめている。
 焦点が俺の目に移る。

「こんなところで口説かれるのなんていやだわ。踊りに行きましょう、すぐそこにお店があるの」
 突拍子のない提案に面食らう。と同時に、口の端がつりあがるのを抑えられなかった。
 この女は絶対に面白い。
「いいよ、行こう」
 フライヤーの束を掴んで、石油缶にぜんぶぶち込んだら火柱がデカくなった。


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