TEN colorsの中の人 スタッフP

芥川龍之介の作品に『トロッコ』という小説がある。
話の筋としては、土木現場のトロッコに乗りたかった少年が、作業員達に誘われてトロッコに乗ってどこまでも行ってしまい、日が暮れ始めた頃に突如、帰るように言われ、楽しさに乗じてやってきた道のりを暗闇が迫る中、絶望感と戦いながらがむしゃらに戻ることになる、と覚えている。
この話が、初めて出会った時から今に至るまでずっと怖い。
ただただ享楽的にトロッコに乗る楽しさを味わった後に、一人暗い中、よくわからない道を戻らねばならない絶望が、誰にも助けを求められない、自分一人にその責があり、否応なく背負わねばならなくなる重圧が、想像するだけですごく怖い。
そしてこの恐怖は、私にとって、自分自身を振り返る時に抱く恐怖に似ていると思っているのだが、果たしてスタッフPも、同じように感じることがあるのだろうか?

なぜそんな風にスタッフPを思ったか。
それは彼女がいつも自分自身と対話を繰り返している人だからだ。
彼女はいつも自分自身を、他人を、物事を、世の中を、客観的に観察し、確認し、言葉の力を使いながら理解しようとしている。
だから彼女と話をすると、自分の中でボヤけていたものが、急にくっきり見えてくることもある。
そう、彼女は伝えることもしてくれる。
冒頭で述べたように、私は、トロッコで遠くに行ってしまうような無意識的な言動が多く、振り返ってその意味づけを考えることを絶望的に途方もないと感じる事があるが、Pが私に投げかけてくれる言葉が、まさに暗闇を照らす松明になるのだ。
そういうことをできる人は、少ない。
そもそも、誰かのことを、「あなたはこういう人だよね」と言う機会はほとんどない。
でも、敢えて言うことで、その人がその人の道をちゃんとなぞって帰る、アイデンティティを見つけることを助けてくれるのだと思う。
普遍的で論理的な言葉で伝える、高い言語化能力を彼女は持っている。

全体会議の際も、その「言葉で伝える能力」は遺憾無く発揮される。客観的な事実と、論理的な組立てと、何よりも、柔らかな話し方で、砂に水が染み込むように他のスタッフ達に話をする。
以前、我々は共有化を最上のスキルと標榜する集団であると自称したが、そのスキルのレベルアップに必要不可欠なのが、まさに「言葉で伝える力」であり、その理想を例示してくれている一人が、スタッフPなのだ。

推しの話をする時はあくまで控えめな彼女だが、私のボケをあしらう時は容赦ない。
そうやって、これから先、他のスタッフにもどんどん遠慮なく、言葉で伝える力の手本を見せていってくれることだろうと期待している。

ただの手前味噌と言われてしまえば全くそれまでだが、どうか、我々の働く仲間を皆様にも知って欲しい。
TEN colorsの中身をちょっと覗いて欲しい。

また来週、次の誰かの話。
どうぞ、お楽しみに!

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