No.013 キャッチャー・イン・ザ・ライ J.D.サリンジャー 著

頑張って本屋を回って、村上春樹さんが訳したものを探してやっと見つけました~!買ったすぐ後に新海誠監督作品、『天気の子』を見に行ったら、主人公くんが読んでて、おお~!と思ってました(笑)

今回は文庫本ではなく、あらすじがありませんのでご了承ください。

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〇大人になるということ

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、成績不振で学校を放校されたホールデンがニューヨークの街を彷徨うように歩きまわる二日間の物語です。

大人の欺瞞を嫌い、子供のように無垢な存在を愛する彼はひどく反抗的で、それが口語で長々と語られていきます。

本作は、「もっと早くに読みたかった」という人が多いような印象がありますが、私もそうだなぁ、と思ったうちのひとりです。

というのも、この本を読み終わった時、私は何も感じなかったんです。

名作と名高い本作ですし、少し期待もあったのですが、本当にびっくりするくらい何も感じませんでした。

正直に言うと、感受性が足りないんだな、って少し落ち込んでいました。

小説を書く者としては完全に致命傷ですよね(笑)


少し時間が過ぎてから、私のなけなしのプライドが何も感じなかった理由を考えろ、というので少し考えてみたんです。

少し読み返したりもしましたが、やっぱり何も思わないので、理由探しはかなり難航しました。

ですが、ひと月くらい経って、突然、「ああ、私は世の中に対してホールデンのような、怒りの感情がないんだ」ということに気が付きました。

お前も十分若いだろ、というツッコミはさておき、私が世の中に対して憤りのようなものを日常的に強く感じていたのは中学校の三年間だけで、高校生になった辺りからは、ある種の諦めの方が強くなってるんです。

世の中が欺瞞によって成り立っていることを理解し、受け入れてしまった、ということだと思います。

もちろん、私の中から怒りや憤りが完全に消えたわけではありません。

悲惨な事件や事故、ずさんな制度や政策を知ったら憤りを感じますし、人間関係が上手くいかなかったり、嫌なことをしたりされたりしているのを見たら溢れるように怒りが湧きます。

でも結局、私が怒ったところで世界は何も変わらないじゃないか、っていうところに思考が辿り着くんです。

私がひどく怒っていたことも、もしかしたら世界が回るためには少なくとも今は必要なのかもしれない、って思うと怒りは自然と収まっていくように思います。

一応私も人間の端くれなので、怒りが収まらないこともあります。ムシャクシャして怒りでどうにかなってしまうんじゃないか、ってそう思うくらい。

でも最近はそういう時も怒ってばかりいないで、それをネタに小説書こうよ、ってそう思うように心がけてます。


つまり何が言いたいかというと、私はホールデンとは違って、諦めることや怒りを昇華する方法を身に付けてしまった。

気付かないうちに私は、つまんない、ちゃちな大人もどきになっちゃったんですよ。

だから、私の目にはホールデンがただ屁理屈を並べて、拗ねている子供に見えたんだと思います。(今この文章を書いている私もホールデンと大して変わらないとは思いますが)

それでも、やっぱりもう少し早く読みたかったです。

後悔してます。

こればっかりはどうしようもないですけど。



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