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2001年以降の東北大学祭テーマの傾向とその背景

 大学祭とは、学生が運営主体となる、学生による、学生と来場者のためのイベントである。この日のために、多くの学生が日々情熱を注ぎながら活動している。そのような大学祭の方向性として定めるものが、大学祭テーマである。学祭テーマは、通常は学生により考案・投票される。したがって、大学祭のテーマからは、社会情勢や当時の流行、そして個人的な思いなど、学生生活の中で学生が感じていた"時代のイメージ"を感じ取ることができる。

 大学祭テーマは、戦後から80年代頃まで、長く難解な文章によるスローガン的なものが目立っていた。実際に学祭の場で学生運動のような盛り上がりを見せていたのかは分からないが、学生自治を体現する場としての大学祭が、学生運動のメディアとして利用されていたことがうかがえる。
 90年代頃から00年頃までは、落ち着いた内省的なテーマが目立ち、学生運動からの反動や当時のマイナスな社会情勢を反映していることがうかがえる。
 
 これらのテーマの移り変わりは、京都大学や東京大学、そして東北大学といった旧帝大をはじめとした多くの大学に見られる。京都大学では今年の11月祭の統一テーマが「ぬ」となるなど、近年の大学祭テーマは多様になってきている。学生の活動の場が多様となったことや「個人による発信」の時代とも言われる現在、テーマとして掲げる言葉の意味合いはどう変わっていくのだろうか。
 今回は、21世紀に入ってからの大学祭テーマとその背景を、東北大学のテーマを事例として追っていく。

東北大学祭テーマとその意味

 図1に、2001年以降の東北大学祭テーマを示す。テーマに使われている言葉から、以下のような簡単な分類ができる。

  1. 英語系

  2. 四字熟語(漢字)系

  3. 文章系

2001年以降の東北大学祭テーマはすべて上記の3つに分類することができる。2001~2005年が英語系、2006~2009年は四字熟語系、2010~2014年は再び英語系、2015年以降は文章系が主流となり、漢字1文字といった新たな傾向も現れ始めている。四字熟語系には、既存の四字熟語をもじったものと造語が存在し、テーマのイメージを維持したまま試行錯誤したことがうかがえる。英語系は2010年度の"Fantastival"という造語を除き、シンプルで当たり障りのないものとなっている。テーマを英語にする効果としては、

  1. 意味を込めすぎない

  2. 文字としてかっこいいものにする

  3. 歌詞に入れやすくなる

といったことが挙げられると考える。すなわち、テーマに意味よりも形式が望まれていたと言える。実際、毎年大学祭の記事を書いている東北大学新聞でも、英語系のテーマであった2001年、2012年、2013年の学祭の記事にはテーマの意味に言及する記述は見当たらなかった。このことから、毎年順調な盛り上がりを見せていた大学祭の雰囲気を変えるのではなく、むしろ維持していくことが望まれていた時代であったことがうかがえる。2001~2014年では英語系のテーマが3分の2以上を占めており、そのような安定した時代が21世紀に入ってから長く続いていたと言える。なお、東日本大震災の発生した2011年には、震災を強く意識した「絆」を意味する"LINK TOMPEI"となっており、震災への強い意識が学生間にあったことがうかがえる。2015年から現在まで主流と言える文章系は、2015年の"狂おしいほど、愛"から始まっている。文章系には、「非日常の空間」「心躍るような」「笑顔になれるような」といった、テーマに込められた「思い」が強く感じられ、「目標」としての意味合いが強くなったと言える。すなわち、2001年から震災を経験しつつも安定していた学祭を一度見つめ直し、理想像を考え直す潮流が生まれてきたと言える。これは、かつて学生運動の盛んな時期に掲げられた難解なスローガンからその反動による内省的なテーマ、そしてテーマの形式化を経て再びテーマへの意味づけが重要視されるという流れに位置づけられ、学祭の「再興」の機運が高まってきたことがうかがえる。しかし、その半ばの2020年には、新型コロナウイルスの感染拡大によりオンライン開催となった。

2001年以降の東北大学祭テーマの変遷と時代背景

オンライン開催となった2020年のテーマは"Re:start"であり、運営の準備や計画がすべて白紙となった現状を受け入れつつ、その中で出来ることをして「新たな」学祭とする姿勢を率直に表したテーマだと言える。幸いにも、2021年度からは対面開催が再開し、大幅な制限がありつつも教室展示を中心に、学生の熱意や内に秘めた情熱を感じ取れる機会が設けられた。2021年のテーマである「情熱的に、青い」は、このような制限下にこそ感じられたと言える、学生の内なる情熱からなる圧倒的な雰囲気をよく表している。2021年~2022年の学祭では、飲食禁止の制限のため、これまで学祭の盛り上がりの主要な要素であったであろう屋台が姿を消し、大学棟の外にはステージや物販、レク、教室では文化部・運動部の展示・発表が行われた。人数制限を設けたこともあり、来場者数も減少した。このような一見「おとなしい」学祭だったが、その空間では、個々の学生による日々の営みや努力、成果の数々が待ち構えており、それらと対峙したときの気の昂ぶりからは確かなる「非日常感」を感じられた。2022年度には、いままで見せていなかった漢字1文字のテーマ「轟」となり、その意味も「大学祭の存在を「轟」かせる」という「目標」を掲げており、コロナ禍を経ても学祭を存続させていくという力強いメッセージが感じられる。そして、2023年度は2014年度からの傾向である文章系のテーマが続き、「、されどソラの蒼さを知る」となった。「目標」としてのテーマであった前年度に対し、今年度のテーマは内省的な意味合いとなったことには、コロナ禍の制限がなくなり、4年ぶりの通常開催が再開したことに対し、今一度自身を見つめ直して再スタートを切ろう、という意志が、特に通常開催の経験が途切れた委員にとって大きく感じられるのではないか。

 今回は、近年の大学祭テーマについて東北大学祭テーマを事例としてその傾向と背景を探った。その結果、学祭テーマには形式上の傾向があり、その意味の強弱や方向性から、学祭の安定と再興の流れがあることがうかがえた。今後は、さらに年度を遡り、さらに他大学との比較等も検討したい。

最後に
本記事は、個人的な衝動に駆られひと思いに書いたトンデモ文章であることを、ご理解ください。
学祭の成功と繁栄を願っています。




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