ブルーアーカイブ面白いって言われてるけど実際のところ

こんにちは。

この記事を読もうと思ってくださりありがとうございます。

他ゲーのレビューを読んでいたら自分も何かを伝えたい衝動に駆られ筆を執りました。現状ブルアカは完結もしてませんし、今後の展開次第では評価は変わるかと思いますが、vol4の2章まででの総評になります。詳細なネタバレはないですが、最終章まで読んでいる前提の内容になります。

※レビューを書くのは初めてなので文章が拙い箇所があるかと思いますがご容赦ください。無理な方は、この時点でブラバ推奨。

評価基準は、シナリオ、キャラクター、音楽、ゲーム性、ビジュアルの5つのカテゴリごとに見ていきましょう。
※評価点は、D~S+まで。Sが最高点。S+は個人的にさらに好き。

シナリオ S+
キャラクター S
音楽 S
ゲーム性 C
ビジュアル A


●ゲーム性


ここでいうゲーム性とは、スマホアプリのゲームとして楽しく遊べるコンテンツがあるかまたそれに付随した要素についてとなります。

ブルアカでは、SDキャラクターによるフルオート戦闘と任意のタイミングでスキルを発動させる戦闘スタイルの2パターンがあり、高難易度コンテンツと呼ばれるものは手動操作をし高スコアを目指すスコアアタックや、その他育成などはフルオートまたはチケット周回をし必要素材を集める。

高難易度コンテンツに関して、戦略性やタイプ相性など考えて行動しなければ相手に勝てないためやり込み要素としては上出来です。その戦略性も、キャラクターの配置(通称:配置学)や射程距離、スキルの組み合わせとタイプ相性、敵の攻撃パターンなどなど深く考えだすと奥深いゲーム性はあり、この点については大変沼に陥りやすいです。
しかし、一人のキャラクターを最大まで育成にかける素材量が多くかつ時間もかかるため日々コツコツと続ける必要があります。所謂盆栽ゲームです。

一日でやれる作業にも限りがあり、せいぜい一日に遊ぶ時間も基本的には、長くても30分ではあるので現代のタイパ重視思考の方であればサブゲームとしての役割は十分に果たせると思います。

ただ、基本的にはチケット周回フルオートがメインのため面白味としてはやや欠けるものはあります。
そのため、総合評価はCとなります。

●ビジュアル


ビジュアルとは、キャラクターグラフィックやUIや演出面についてになります。

キャラクターグラフィックは、主に戦闘シーンで使用されているSDキャラクターのことを言及します。
モーションの重さや造形のぽっちゃり感はありますが、こだわった戦闘モーションや各キャラクターの銃火器のコッキングや構え方については大変リアリティがあり良いです。
EXスキルも各キャラクターの特徴を踏まえた演出をしており評価に値する。

また、UIについても基本的には洗練された導線作りで迷いにくい。
メモロビのキャラクター構図も深くデザインされており何度見ても飽きないようなこだわりを感じられる。

基本的に悪いところを見つける方が難しい。
敢えて全体的にカジュアルな基調なため、様々なプレイヤーに取っ付きやすくしている風に思えた。
ただ戦闘シーンについてはこだわっている部分が見えるものの基本的にはフルオートやチケ周回で回るため見ていないという欠点がありもう少し見たいと思えるような仕掛けがあればなお良かったと感じた。

※2024/01/30追記
陽ひらく彼女たちの小夜曲の周年イベントにて新たな可能性を見ました。
フィールド探索型のミニゲームを入れてストーリーにより深い解像度を齎す趣向は大変良い。普段は立ち絵のバックグラウンドでしか見えていなかった建物の中や生徒の部屋の中を探索できかつ生徒を実際に動かすことが出来たことで上記のもう少しビジュアルを見たいと言った点が改善されたように感じる。

●音楽


ネットミームで一躍有名になった「Unwelcome School」やYoutubeで1000万再生越えの4th PVで何百何千とループして聴いた「RE Aoharu」など中毒性の高い楽曲が多く存在しており、サウンド面での満足度はとても高い。
戦闘BGMも臨場感のある音楽が流れており非常にマッチしている。
J-POP以外に音楽を幅広く聴いている層であれば好みに曲が1つは確実に見つかるだろう。また、そういった方面の方々にこそこのゲームミュージックを是非とも味わっていただきたい。

個人的オススメ曲
・NRG FielD
・Luminous Memory
・Morose Dreamer
・Pixel Time
・RE Aoharu

●シナリオとキャラクター

ブルアカにおいてもっとも評価されるべきはシナリオとキャラクターの2点だ。
先述したゲーム性などはこのゲームを楽しむ上でのサブコンテンツでありブルアカを楽しむ本質はこちらの方面と言えるだろう。

さて、ここでようやくこの記事のタイトルに帰ってくる。

なぜブルアカは、2年という歳月をかけてここまで盛り上がりを見せているのか?
一部界隈からは、なぜ最先端美少女ゲームと呼ばれるほどに面白いのか?
それとも、話題性だけで盛り上がっているのか?

一般的に美少女ゲームというと恋愛シミュレーションのジャンルを思い浮かべるだろう。ギャルゲやエ〇ゲなどとも呼ばれるカテゴリだ。

そして、そういった紙芝居ゲームにおいてキャラクターたちが主役でありゲーム性などは皆無。ただ綺麗な音楽とCGを背景にテキストを読み、対象となるヒロインと結ばれるたったそれだけのゲーム。しかし、キャラクターたちと過ごすその時間はかけがえのないものであり深くプレイヤーの心の中に刻まれ、緻密に練られたキャラクターの魅力に憑りつかれ、寝る間も惜しんで彼ら彼女らの人生を共に歩んでいくそんなゲームだと私は考えている。

ブルアカは、それらの意志を全うに継承したかのようなイメージを受けた。
さらに、上記で述べた戦術対抗戦や総力戦などのコンテンツが存在し、ゲーム性としても受け入れやすい側面も合わせ持つ。
このソーシャルゲーム性と美少女ゲームを上手く掛け合わせたからこそ現在人気を博しているのだと私は考える。次世代の美少女ゲームと言っても差し支えがないのではなかろうか。

さて、本題のシナリオとキャラクターの評価について
両者はとても密接な関係にあるため個別での評価は難しくシナリオをメイン評論軸に置きながらキャラクター側面についても語っていこうと思う。

ブルアカのキャラクターは、生きている。


そう感じさせてくれたのはエデン条約編だった。
SNS上でも話題になりだしたのは、このエデン条約編だったかと思います。
当時の私は、所詮はソシャゲのシナリオだし言うほどだろうと侮っていました。半分馬鹿にしていたかもしれません。
しかし、その考えはこのエデン条約編で180度変わりました。
完膚なきまでに価値観を覆されました。

物語を動かすのは、作者か?舞台か?それとも、キャラクターか?
本当に良い作品は、キャラクターがまず動き、それに合わせて物語が動くのだとこの作品を通して改めて痛感させられました。
現実でもそうです。自身の行動によって人生は大きく変わっていくのです。

そして、この物語には一貫したテーマがあります。

「青春」と「成長」


ゲームコンセプトである、学園×青春×物語RPGからも分かるように
青春という学生の日常とそれに隣接する非日常が生徒たちの成長へと導く筋書きをメインに描かれており、「何気ない日常で、ほんの少しの奇跡を見つける物語」「学園の日常を小さな奇跡へ」というテーマへと繋がっていると感じられます。

では、青春とは何を指すのか。
学生にとっては、人生そのものです。
この青春を軸に、生徒が画面の向こうで生き生きと感じられる臨場感あるテキストとこの多感な年ごろの喜びや悲しみ、笑い、不安、怒りそういった様々な感情を持つアンバランスな時期を駆け抜けるのがブルーアーカイブの本質的なシナリオだなと思いました。

また、主人公は確かに我々プレイヤーである先生視点のように見える反面、メイン軸には生徒たちの存在が必ずあります。つまり、本当の主人公は「生徒たちひとりひとり」。
この見方をするかしないかでブルアカの物語の受け取り方は大きく変わっていきます。

特にエデン条約編では、この内容が色濃く表現されており
ライターであるisakusanの渾身の作品であると伺えます。

ヒフミ・アズサ・サオリ・ミカ・ハナコ

この5名は作中でも特に大きな役割と魅力をふんだんに詰め込まれています。

ヒフミ・・・特徴がないのが特徴で少し人よりペロロ様が異常に好きな至って普通な女の子

アズサ・・・孤児の環境で育ち、戦うことでしか生きていけなかった少女

サオリ・・・孤児の環境の中でも、仲間を家族を助けたいと戦い続けた少女

ミカ・・・わがままで素直になれなくて、それでいて空回りばかりの女の子

ハナコ・・・優秀だからこそ周囲の期待や目と自身の価値観で悩む女の子

キャラクターが生きている。
正確に言うならば、作中でキャラクターが生き生きと描かれている。
良くこういう言い回しを耳にすることがある。
私自身もそう感じる作品に出会うことがある。
この生き生きとしているとはどういう意味か?

答えはもちろん十人十色で、そこに形ある答えを求めることこそ無粋ではあるが、このゲームにおいては、キャラクター自身が「成長」をしているかどうかだと私は思う。

エデン条約編では、青春の1ページと世界の残酷さ(大人への1歩)を突き付けられる。

アズサとハナコは、ヒフミやコハルという補習部のメンバーと先生で出会うことでこの過酷な世界でも生きる意味を見つけます。

ヒフミは、仲間を信じることもできないような私たちの青春を奪わないでくれと世界に叫ぶことで自身の仲間を取り戻す。エデン条約編のアンサーであり、他者を信じられない疑心暗鬼の存在へのアンチテーゼとして描かれている。ザ・ブルーアーカイブな少女。

サオリは、自分の罪に対して先生という未来を夢見ることで自身の罪と向き合える本当の強さを得る。

ミカは、自分の失敗から続く空回りに、コハルという自分よりも弱い立場と思っていた少女の身の振る舞いからどうすれば良かったのかヒントを得る。

もちろん、人と触れ合うから時には苦しく辛くなり傷つける時もある。
作中でも、ミカはセイアとは反りが合わずに自分勝手に傷つけてしまう。
ハナコは、自身の気持ちを置いてけぼりにする周りとの関係性に疲れてしまった。
しかし、人は人と触れ合うことで、誰かの助けになり誰かを救うことも出来る存在だ。
それは、ミカが先生やコハルに救われたように。
ハナコが、補習部のメンバーと出会えたように。

そんな人間の善性や賛美がこのゲームのシナリオから伝わってくる。
良いことばかりの世の中ではないけれど、ちゃんと救われる奇跡はあるんだよって希望を持てるそんなテーマがエデン条約編にはあるように感じた。

また、エデン条約編でのアズサの問いかけは今の現代を生きる若者にこそ響くのではなかろうか?

インターネットの爆速的な普及により、個人が所属出来る社会の枠がかつての比にならないほど広がり、その結果今までは見えていなかった圧倒的な他者との比較が進み自身の価値観が崩壊。虚しさや儚さが心を支配していく。
結果、若者の間には慢性的な不安感と空虚さが見えない形で滞留しているような気がしてならない。

vanitas vanitatum, et omnia vanitas

旧約聖書「伝道の書/コヘレトの言葉」1章2節

これはアリウス生徒の中に深く刻まれている言葉。
全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。
だけど、アズサはこうも言っている。
たとえ全てが虚しいことだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない。

この言葉が、エデン条約編を終えてもなお、自分の中で何度も反芻されている。

過酷な世界で生きた彼女の言葉だからこそ、多くの読者に響くのではないだろうか。

この物語を通して、もう一度を自分を見つめ直す機会をもらった気がした。
私も、まだまだ頑張らなければならないなと改めて考えさせられた。

ブルーアーカイブには、このように多種多様な生徒が存在しその誰もが悩み苦しみそれでも明日へ生きようと前を向いている。
そういった境遇と自身の境遇を重ねられるようなキャラクターが見つかればこのゲームがより味わい深くなると言えるだろう。
そして、今もなお成長を続ける彼女たちの生き様が、ブルーアーカイブの大きな見どころでありとても愛おしところだと思う。

さらに、生徒同士で解決出来ない事態が陥った時に、先生プレイヤーという存在が大きくなるのもこのゲームの一つの見どころだと考える。
ブルーアーカイブは、先生と生徒という関係も上手くフィットしており、その構図が上手く物語に落とし込まれている。
例えば、従来のゲームであれば物語は主人公からアクションを起こしていくことが多いが、ブルアカにおいて先生は基本的には聞き役に徹している。
生徒間で問題に取り掛かり悩み答えを導きだす。その過程で困難なことに直面した場合、先生の力を借りることがある。また、生徒だけで対処しきれないような事態の場合は、先生が「大人」として解決する。
ここの視点もソーシャルゲームという側面を上手く活用していると感心した点だ。
あくまで我々プレイヤーはどうしても画面の外リアルに存在しているという意識がどこかしらにはあり、生徒たちと同一の世界に同じ目線では立てないジレンマが存在している。その観点を利用した、外から来た先生・・・・・・・という設定にすることでプレイヤー=先生ということを強く認識させられる。
さらに、この関係性はゲーム上にも反映をしている。
育成や親密度と言った要素は、実際に先生と生徒が交流し成長を育んでいる様を体験することで、このゲームへの没入感を深めている。

以上のように、先生と生徒という構図をシナリオからゲームそのもの設計まで余すことなく張り巡らされており、基本的には先生という存在がプレイヤーの中に違和感なく受け入れられるような作りになっている。

しかし、これは後述する本作の問題点にも関わって来るが、
vol2の先生やイベント、絆ストーリーでの先生の立ち位置や複数ライターによる表記ゆれのようなブレが存在している。
特にvol2の先生は、度々賛否両論の議論が繰り広げられていたりし問題点となっている。

閑話休題

そして、ブルーアーカイブの最大の魅力は圧倒的なまでに作り込まれた世界観である。いわゆるセカイ系と呼ばれる作品系統です。

神、宗教、哲学、科学などといったTVアニメ版「新世紀エヴァンゲリオン」が放映された当時流行った古き良きセカイ系の意志も承継されています。

特に、ニーチェ等の有名な哲学者の考えを取り入れたキャラクター設定(カヤの超人理論)や神話や宗教をベースにデザインされたキャラクターから見えるキャラクターの存在理由と目的(ヘイローとは何か?また、生徒の神秘と恐怖の2面性)。神の再現性を持って自身を証明しようとするAIデカグラマトン(神名十文字)。そして、ゲマトリアと先生という不可解な存在。平行世界。宇宙の外側。文明崩壊。箱庭世界。ポストアポカリプス。etc…

正直なところ、近年でここまでいろいろな要素を深く盛り込んでかつそれを面白く見せている作品はこのゲーム以外にないのではないかと思えるほど衝撃を受けた。特に筆者は、デカグラマトン関係の話が気に入っており、この生徒でもない機械の存在にヘイローが宿っているという世界の根幹に纏わる何かを示唆しているためめちゃくちゃ気に入っています。

その他にも、vol2の機械仕掛けの花のパヴァーヌ編のタイトルは機械仕掛けのオレンジと亡き王女のためのパヴァーヌの組み合わせをしたタイトルだったり細かいところにいろいろな有名作品のオマージュが見受けられます。

アビドス高校は、実際に存在するアビドス砂漠とエジプト神話をモチーフに作られていたり。
トリニティには、キリスト教の三位一体の考えが根付いており、ティーパーティー、シスターフッド、正義実現委員会など至るところに3組の存在を配置していたりと細かい点まで考えられてる。

ブルアカの世界は未だに、謎に包まれている情報の方が多く今後の展開が見逃せないと思います。
ブルアカ考察については、別途note執筆中ですのでもしよければまた見ていただけると幸いです。

また、ゲーム外の取り組みとして周年PVは本当に力が入っており、続きが待ち遠しくなるようなシーンばかりなのでこのゲームをやる上では必見になります。ただし、ネタバレと言えばネタバレに当たるのでこの辺りは個人の判断で見ていただければと思います。

ブルアカのシナリオの問題点

前述したように、ブルアカは大変良く出来た素晴らしいゲームであることは間違いないのですが、「先生」という存在への解釈の自由さが逆にこの物語の問題点になっているのではないかと考えます。

公式からは先生の解釈は自由に汲み取れるように描いていると発表があり今後も先生の姿などは明確にはしていかない方向性だと思います。

それ故、先生に解釈は個人ベースに委ねられ、制作陣側も負担の大きいシナリオを書くにあたり複数ライターの採用を可能にしていると想像されます。イベントシナリオは、メインライターの方が現在担当されていないようです。そして、恐らく絆ストーリーも複数人でキャラクター設定だけは共有し、実際に書き起こす際に各々の個性が出ているように見受けられます。

しかし、これが逆に言うと先生としての軸がブレてしまいメインストーリー先生、イベント先生、メモロビ先生とでは同一存在ではない印象になっているのではないかと考えます。

この問題点は、極端な例で言うならば、イオリのメモロビ先生と本編先生の印象の乖離が激しくとても生徒を窮地から導けるような存在として認識できなくなり、メモロビ側を本性とすると、本編での先生の行動になんとも言えない気味の悪さが残ってしまっています。

ここはあくまで、別人と割り切っておく方がごちゃごちゃと考えずには済む問題ではあります。なんせ解釈は自由なのですから。
それと、開発者的にも同じチームで作った「魔法図書館キュラレ」の失敗を経てこの作り方になったためある意味では成功していると前向きに捉えることが出来るだろう。

とは言え、エデン条約編と最終章での先生の活躍と生徒を想う心には大変感動しました。特に最終章でクロコと対峙した場面、今苦しく辛い思いをしているのはあなたのせいではなく今を生きる大人の責任だからというシーンには共感しか出来なかった。

今、世間では親ガチャという言葉が流行ったり、毒親やヤングケアラーそういった子供たちが抱える社会問題に対して、大人の義務と責任の所在を問うそんなシーンに私は思えた。

ブルーアーカイブは、確かに生徒たちの成長の記録アーカイブなのは疑いようのないことだが、そこから私たち大人も何かを得るまたは改めて生きる上で大切なことを再認識が出来るそんなメッセージ性があるゲームなんだと強く心に残った。

だからこそ、ブルーアーカイブはこんなにも面白いのだと自信を持って勧めたい。

・まとめ


ブルーアーカイブを改めて評価するという立場に立って見た時、このゲームの作り込み方や情熱に驚きを隠せないです。
スタッフが制作の経緯やこだわった部分などを生放送で時々配信しているのを見ているのですがスタッフがちゃんとオタク心オタク魂を理解した上で開発していることが分かります。

例えば、ブルアカのテキストは、原文(韓国語)→翻訳(日本語)→再翻訳(グロ版)という風になっているらしいのですが、このテキストはとても自然な言葉で翻訳されており、すんなりとストーリーが頭の中に入ってきます。
中華スマホゲームでは、小難しい感じが多く並ぶイメージですが、ブルアカにおいては日本人に馴染んだ言葉遣いだなと感じます。
これも制作陣が日本文化圏に沿ったカルチャライズを行っているためです。

まだまだ続くこのブルーアーカイブというゲームですが、いつかメインシナリオにはちゃんと終わりを迎えて欲しいですね。
ソシャゲという立場から売り上げがあれば、ずっとサービスは続いては行くと思うのですが、完結してこそ作品の本当の評価が出来ると思っていますのでぜひどこかしらで区切りをつけて欲しいと個人的には願っております。

総評は、ここまでとなります。
雑で浅い点が多々見受けられる評価だったかと思いますが、この度は読んでくださりありがとうございました。

またいつかのタイミングで評価のアップデートはしていきたいと思っておりますので、次も見ていただけると幸いです。

それでは、良いキヴォトスライフを~。

参考文献:


さらに余談:
たまたまnoteで他の方のブルアカ考察や評価を見ていたら何やら尋常じゃないインプット量の記事を見つけましたので勝手に紹介しておきます。
ここまで事細かに分析している記事は世の中を見渡してもなかなかないのではいかと思うほどの熱量ですので、一度読んでみることをお勧めします。


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