ロフトを卒業します

本日7月15日で株式会社ロフトプロジェクトを退職しました。
1998年にバイトで新宿ロフトプラスワンに入ってかれこれ22年。
ほんとロフトにはお世話になりました。お世話になり過ぎたかもしれません。

人生のターニングポイントとなるこのタイミングで自分への労いも兼ねて回顧録を綴ってみます。

●入社のきっかけ

1998年、当時20歳の僕はいろんな雑誌を読み漁るのが趣味で、その中でも格別に愛読していたのが今は無き『噂の眞相』でした。そのウワシンに細かい文字でぎっしりのイベントスケジュールが載っている怪しいページがありました。それが新宿ロフトプラスワンでした。
「ガッツのあるバイト募集!」という文字を見てなんとなく興味をそそられて応募したのがすべての始まりとなります。

●新宿ロフトプラスワン(1998年6月~2009年11月)


「昔のロフトプラスワンは凄かった」「昔のロフトプラスワンは面白かった」と言われがちですが、その凄かった、面白かったロフトプラスワンをリアルタイムで目の当たりにし体験できたことはとてもラッキーだったし良い思い出です。今だったら完全にアウトだけど昔はなぜか許されたあの古き良きプラスワンも好きだし、現在の法令遵守で面白いことを日々模索する清きポップなプラスワンも好きです。

そんないわゆるサブカル、アングラな当時のプラスワンで果敢にポップな企画を打っていたのが現在、東京カルチャーカルチャー店長の横山さんでした。横山さんに付きながら色々教わり、いつしか自分もイベントを企画していくようになります。

イベント企画を志したこの時期に僕がめちゃくちゃお世話になり、今もずっと恩を感じている方が3人います。僕が勝手に感謝し続けているだけなので向こうは「はぁ?」って感じかもしれませんが。

NORIさん(TOKYO YANKEES)
当時住んでいたとこがたまたま近所だったこともあり、本当にしょっちゅう飲みに連れて行ってもらい、酒とロックと悪いことをたくさん教えてもらいました。ライブもいつも誘って頂き、打ち上げの楽しさや恐ろしさも経験できたことが今に生きていると思います。

一番の思い出はヤンキースのライブをプラスワンでやってもらったこと(2002年)。2バスドラムセットやアンプなど機材を全持ち込み。超爆音。対バンがJOLLY PICKLESと漁港。最高の思い出。

小沢さん(スピードワゴン)
僕はバナナマンとおぎやはぎが大好きで、当時、渋谷シアターDで宇田川フリーコースターズというバナナマンとおぎやはぎのトークライブを見に行ってました。

自分もプラスワンで芸人が飲みながらゆるっとトークをするイベントを企画したいなと思い実現した最初の企画が、スピードワゴンと飛石連休のトークライブ「セレナーデ」(2002年)でした。
このトークライブのおかげでいろんな芸人や事務所の方々と知り合うことができ、その後、たくさんのお笑い芸人のイベントを企画することができました。

今でこそ当たり前になっているお笑い芸人のトークライブが定着するきっかけであったと言っても過言ではないと言い切ります。

小沢さんとはDJイベントを企画したり、打ち上げや誕生日パーティーに誘って頂いたりと公私ともにお世話になりっぱなしでした。ある日、急に小沢さんから電話がかかってきて、飲もうよと誘われ、下北沢の居酒屋でいろいろ語りながら飲んだのは忘れません。あの時があって今があります。

遠藤さん(お笑いナタリー編集長)
音楽とお笑い。その2つの良きと思うものだけをぎゅっと詰め込んだ『splash!』というカルチャー誌があまりにも理想的すぎる内容で、読み終わってすぐにイベントの相談をした。その『splash!』編集長が現在、お笑いナタリー編集長の遠藤さん。そしてミュージシャンや芸人をゲストにお招きして対談をするイベント『smalltalk』(2003年)が始まった。

1回目のゲストが曽我部恵一さん、小田島等さん、エレキコミック。その後も、おぎやはぎ、劇団ひとりさん、SCOOBIE DO、ドランクドラゴン、バナナマン、といまでは考えられない豪華なゲストを毎回招いて頂きました。

お笑いナタリーでもイベント情報をいち早く載せて頂きいつも感謝しています。ちなみに『splash!』は全巻いまでも大事に持っています。

ロフトプラスワン時代はお笑い芸人のトークライブを中心にブッキングしていました。ブッキングしたすべてのイベントを網羅したいとこですが、特に印象に残っているものをいくつか。

アンガールズトークライブ「RX-7」(2004年)
この時のアンガールズの人気は半端なかった。


『ゲーム大会』(2005年)
バカリズム升野さんとエレキコミック今立さんを中心としたゲームをするイベント。なぜか群馬県の水上温泉に1泊2日でバスツアーに行ったりもしました。この頃バカリズム升野さんには本当にお世話になり、いろんな面白いイベントを開催して頂いたり出演して頂きました。


流れ星と三拍子のトークライブ『猫と花』(2005年)
たぶん僕のロフト人生の中で一番仲良くさせてもらっているのが流れ星と三拍子かもしれない。


『やついいちろう生誕祭』(2007年)
エレキコミックやっつんにも僕はめちゃくちゃお世話になっている。
エレキコミックトークライブ『僕らの飲み会』や新宿LOFTでのDJイベントなどいろんな形で面白いイベントを開催してもらいました。

オードリートークライブ「小声トーク」(2008年)
若林さんが当時、ロフトプラスワンで小声トークをやりたいと言ってくれていて、お願いしたら実現しました。


ナイツ・Wコロンのトークライブ「浅草イン歌舞伎町」(2009年)
PAのとこで終始爆笑してた記憶しかないくらい面白かったです。その後「浅草イン阿佐ヶ谷」として阿佐ヶ谷ロフトに引っ越ししました。


●阿佐ヶ谷ロフト(2009年11月~2015年4月)


当時の阿佐ヶ谷ロフト店長のテツオくん(現在、高円寺パンディット店長)から阿佐ヶ谷ロフトでブッキングをしてほしいと言われ、晴れてロフトの社員として阿佐ヶ谷ロフトに赴任しました。
阿佐ヶ谷ロフトで印象に残っている自慢の企画を挙げてみます。

『オードリー若林の男性用スプレー缶の正しい捨て方』(2010年)
『日本の夏、春日の夏』(2011年)

オードリーと阿佐ヶ谷ロフトは相性が抜群に良かった気がします。


『FRONTIER BACKYARD x SCOOBIE DO』(2011年)
『セカイイチ x UNCHAIN』(2011年)

下北沢シェルター20周年のお祝いで企画しました。


『Acoustic Night Before Christmas』(2011年)
【出演】木下理樹(ART-SCHOOL)/小林祐介(THE NOVEMBERS)
2年がかりで実現しました。


『ビッケと新年会~さぁ、どうなんだい~』(2012年)
【出演】BIKKE(TOKYO No.1 SOUL SET)
ビッケさんとイベントができたのすごい嬉しかった。


『ミス大喜利コンテスト』(2012年)
スラッシュパイル企画のイベントで人生初めての審査員をやらせてもらいました。僕が阿佐ヶ谷ロフト賞として選んだ佐藤さん(当時は女子高生)が現在のアンゴラ村長さんです。


「9周年総決算!!緊9座談会」(2013年)
【出演】9mm Parabellum Bullet
ルーフトップ編集長の椎名さんからもらったご褒美みたいな企画。超嬉しかった。


あと永野さんしずる村上くん土屋礼央さんどきキャン佐藤くんダーリンハニー吉川くんここみん紗倉まなさんカンパニー松尾さんあたそさん山本浩司さん岸田メルさん、などなど、まだ他にもめちゃくちゃいるんですが、皆さん本当にお世話になりまくりました。

●企画制作部(2015年4月~2020年7月15日)


当時のロフト社長、茂さんに直談判で異動をお願いし、ロフト全店舗のブッキングを担当する企画制作部という肩書きになりました。この頃、茂さんには飲みに連れて行ってもらい愉快な武勇伝を聞かせてもらったりもしました。大変お世話になりました。

『白井なりの新宿LOFT』(2016年5月30日)
新宿LOFT40周年のお祝いで企画しました。いま振り返っても最高の企画だったと思います。あの日あの現場にいた出演者とお客さんと関係者の皆さん、すべてに感謝(驚)。


『小泉純一郎さん×ウーマンラッシュアワー村本さん』(2019年3月11日)
僕のロフト人生の中で間違いなく最も熱いビッグマッチ。こんな企画を打ちたくてずっと踠いてたんだと思う。約20年、一度も褒めてもらえず、なんなら全否定され続けたロフトの創始者、平野悠さんが初めて僕を認めてくれた。こっそり渡してくれた「悠さんボーナス」めちゃくちゃ嬉しかったです。


●最後に


急な退職の申し出にも関わらず、快く了承して頂いたロフト社長、梅造さんには感謝しております。

これまでのイベント企画で携わったすべての出演者、関係者の皆さま、お越し頂いたすべてのお客さま、一緒に働いてくれたすべてのロフトのスタッフの皆さま、本当にありがとうございました。

今後につきましてはまた改めてご報告できればと考えておりますので、今後ともお力添えのほど何卒よろしくお願い致します。

2020年7月15日
白井絢介

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