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運命の波
運命の波は突然襲いかかってくる。
思考を全て奪い、そのように行動するように促してくる。
状況を頭で理解しようとすれば失敗する。体で理解しなければいけない。頭で考えるよりも波は先にドンドン進んでいく。
目の前には、甘い話、甘いけど確かな話、厳しいけど確かな話、厳しい話が渦巻く。なぜだか普通に歩むという選択肢は用意されていない。
進むべき道は見える。しかし、すぐに体は順応しない。頭など到底理解には追いつかない。
どうこう考えても、今と同じ状況に居てはダメだ、次のステージに飛び込まなければダメだと勝手に判断される。
運命の波に溺れないためには、最も不思議で不思議ではないことを確かに掴まなければならない。
目の前が波瀾万丈な茨の道であると悟っても、その道から逃れることは許されない。でも、昔と比べれば、その先に必ず幸せがあることは感じ取れるようになった。一種の麻薬のような快感なのかもしれない。
茨の道には綺麗な薔薇の花が咲いていることを教わった。
運命の波は私から全てを奪い去っていく。少し前まで努力してきた結果をまるで洗い流すように運命の波はやってくる。
積み上げてきたことを覆うように波がやってきて、不純なものを取り去っていく。たしかに全てを取り上げられて残るものが人生の本質なのだろうけど、そんなことは分からないから失うものばかり数える。
運命の波は私の弱さを剥き出しにする。
剥き出しにされた弱さこそ、トゲに刺される。この傷を素直に認めたとき、トゲは棘ではなかったことに気付かされる。運命は、強さや優しさを求めているのだろうか。
最近、思うことがある。運命の波は全く無秩序に襲ってくるわけではなく、数日前、もしかすると何ヶ月も前に私が望んだことを実現させるために、やってくる。私の期待に応えるために、私の目の前に立ちはだかる。
壁でもなく坂でもない。茨の道。目の前には大波が渦巻いている。
運命の波は私と宇宙が望んだ道に勝手に舵を取らせる。
しんどい、疲れた、大変だ、とか言っても埒があかない。自覚のなさ、自己犠牲、プライドを持ち続けようとすることが最悪の状況へ繋がる、たった一つの道だ。
とにかく行動しなければならない。
積み上げてきたものには頼らない。しかし、その中にある価値だけを純粋に見つめなければ今までに生きてきた意味はない。
直観に従い、地に足をつけて、勇気を出して、何も考えずに進む。
嫌な匂いがする方向には決して進んではならない。何が正しいかは後から決めることで、今は分からない。
私の人生は、どこへ向かっているのだろう。
私の人生は何処に向かわせられているのだろう。
私は私の人生を歩んでいるのか、歩まされているのか、それとも全て夢うつつなのかは分からない。
運命よ。私は私の運命を信じる。だから、私のゆく道をいつでも明るく照らしていて欲しい。
今この瞬間、私の人生が分からないのならば、私は進むことによって私の人生を確かめたい。何も決まったことなど無いと思うから。
私は自由と引き換えに試練を背負ったのかもしれない。
生まれる前にした覚悟を忘れているからかもしれない。
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