2005年1月 コルカタ、レコーディングスタジオ

いつものように寒い朝。跨線橋の手前でタクシーを拾い、「ラシュベハリ」と行き先を告げる。やるべきこと、できることは全部やった。後は本番のでき次第。
まあ、なるようになるだろう。2005年1月某日。僕のはじめてのCDのための録音がはじまる。

ラシュベハリはコルカタ南部、カーリーガートからゴリアハットを結ぶ東西の通りである。バザールの立ち並ぶにぎやかな通りだが、界隈にはシタールの最高峰ヒレン・ロイをはじめ、著名な楽器工房や音楽家の家が多い。録音スタジオはそのラシュベハリ通り沿い、サロードの名匠ヘーメンの近く、一見してただの雑居ビルかアパートみたいな建物の中にあった。
外付けの非常階段を上がって、ここだ、とドアを指し示す案内人。ありがとう、と中に入ろうとする僕らを、ちょっと待て、と身振りで制し、ドアに耳をつける。
「今、録音中だ」
え? ええっ? 表のドアがそのまま録音ブースの入り口なの? 警告灯も何もないけど?
待つことしばし。演奏が終わってドアが開くと、たしかにそこは録音室。二重ドアですらなく、いきなり目の前にマイクが並んでいる。奥に見えるのは調整室か。その隣りがどうやら控え室。えー、じゃあもし録音中に郵便屋さんとか来ちゃったらどうするの? 不意の来客とか。1曲1時間も演奏してるのに、最初から録り直し? それともそんなこと全然気にしない? 謎をはらみつつ、録音の段取りは進んでいく。

伴奏をしてくれるのは、タブラの巨匠 Pt.アニンド・チャタルジー。多忙な彼は、その月だけで28本のコンサートや録音を抱え、アーラープ(タブラ伴奏なしで主奏者独奏の部分)の録音中は、次のステージのために別会場に打ち合わせに行っていた。おかげでとてもリラックスして演奏することができた、、、かと言うと、そんなことは全然なかったのだけれども。

しかし、レコーディング事情というものは、日本とインドでかくも違うものか。面食らったのは、入り口だけではなかった。例えば音質チェック。マイクに向ってちょっと音を出してみる。低音から高音まで。一番大きな音と小さな音で。パーカッシブに。ソフトに。それらを調整した上で、かるく一度録音して聴かせてもらい、あらためて音質等の注文を出す。そんな流れをなんとなく頭に描いていた僕の耳に届いたのは、「大丈夫!イイ音! 安心して吹いて!」という調整室からの先生の声だった。えっ、それだけ?(笑)
録音自体にしてもそうだ。これは後でわかったことだが、演奏はそれぞれのマイクを別トラックにではなく、その場ですべてミックスダウンされて1本のトラックに収まっていた。ああ、それじゃまるでライブ録音。後から手直しも調整も何もできないじゃないか~!

しかしそれで良かったのかもしれない。音楽は生のものだ。失敗した箇所を後から修正したりしても、そんなことには何の意味もない。今ここでおまえが演奏しえたもの、それだけが今のおまえの音楽だ。インドは、そんなあたり前のことを僕たちに教えてくれる。

さてそんな訳で、システムの違いに面食らいながらも、いよいよ大巨匠との録音である。何に面食らったと言って、この時ほどびっくりしたことはない。
スタジオに戻ってきたアニンド氏は、挨拶もそこそこにタブラの前に座ると
「どうする? 何をやる? 何も心配しなくていいぞ。なんでも好きなようにやっていいんだ」
と言ってチューニングをはじめた。
「大丈夫、おまえのことはバッチュー(ぼくの先生アミット・ロイ氏の愛称)から聞いている。心配するな。さあ、始めよう!」
え、リハーサルは? 練習は? …そんなものなかった。録音中を示す赤ランプが、容赦なく点灯する。

アニンド氏との録音は、この日が初対面であるにもかかわらず、録り直しもなく一発で終了した。
彼のタブラを想像しながらこの日のために練習を重ねてきた僕と違い、彼はそれまで僕の音を聴いたこともない。それなのに、常に僕の予想を上回る完璧な伴奏がピタリとついてくる。神業としか言いようがない。どうして僕の考えてることがわかるんだろう?

この日の録音は、CD「Air」として昨年無事リリースされたので、興味ある方はぜひ聴いてみてください。
ちなみに僕の選んだターラ(拍子)は、4+2+2+1.5+1.5拍の11拍子。この複雑なリズムの上で、タブラ奏者のアニンド氏がこれほどまでに完成度の高い演奏を聴かせる、これが初対面の完全即興であるということを、はたして信じていただけるだろうか。

すべての録音が終了するとアニンド氏は、明日は息子とのタブラデュオがあるから、と言って自分の楽器を手早く片付けると、数枚の記念写真を撮る間もあらばこそ、そそくさとスタジオを後にした。
来た時と同様の慌ただしさ。まったく、巨匠はせわしない。取り残された僕たちは、やり遂げたことへの満足感とともに、しばし呆然とその場に立ちすくむ。
外では相変わらず、埃っぽい空気の中、ラシュベハリの喧噪が続いていた。
何ひとつ変わらないコルカタの日常だった。


(インド通信2006.3月号巻頭「南アジア地誌事典・第116回」掲載)

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