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組織風土改革日報№.5_本音は美しくて痛い。

①前回のあらすじ

2021年4月から自律分散型組織の企画運営リーダーとしてアサインされた私(キタ/北)
怒涛の如く書き上げた自律分散型組織についての資料を手に、部内の管理職へ説明したところ、製造課長から『ムリだと思う。』の一言。
現実を叩きつけられ、頭の中で流れるPretenderも、マイナー調の悲しい音色に変わってしまった。
さて、どうしようか。。。


②過去の自分に背中を押され

管理職とのセッションを終え、1週間。

『従業員の自律はムリだと思う。だって自分で考えて行動する事は、苦しい事だから。』

製造課長である黒淵さんの言葉に、私はいまだ囚われていた。

実はその言葉に、私は何となく共感していた。
且つて私自身が、キャリコンと出会い、覚醒に至るまで、職場は”他人事の世界”だった。

会社が定める理念や方針、上司の期待、社内評価。周囲の目。
あらゆる合意点に立ち、如何にその少しだけ先を賢く行くか、そして、自分のアウトプットで、どうブランディングするか、が私の行動原理だった。

常に誰かの価値基準を指針としていた。

”人の笑顔を見ると幸福を感じる”という価値観を握りしめて、活動をし始めたのは、つい最近なのだ。

そこまでは見えている。
だとすると私は、その言葉の何に囚われているのか。

内省を重ね、何となく自分の鬱積した感情の拠り所が見えてきた。
「黒淵さんの言った世界は、本当にそうなんだろうか。」
「従業員はすべからく、自律が無理なんだろうか。」
「だとするとそれは何故なんだろう。」

つまり彼が言った言葉の真偽を、自分が確かめたいのかもしれない。

プロセスエンジニア時代に身に着けた、真因を追求したいという欲求。
また、真因らしきものに辿り着いた時の快感。

これもまた、私のアイデンティティ。
プロセスエンジニアとしての過去の自分が、今も私の中でしっかり生きていて、少しだけ今の私の背中を押してくれた。

「やっぱ聴くしかねぇよな!!」

早速数名のマネジャーやプレイヤーに声を掛けて、ヒヤリングを開始した。

③マネジャーとのセッション

「自律分散型組織についてどう思いますか?」

数名の係長や主任、現場監督者へ、簡単に自律分散型組織について説明した後、問いかけてみた。

『また何か始まったなぁ。って感じ。』
開口一番、意味深い言葉だ。覚えておこう。

そして、
『いやぁ、難しいんじゃないかなぁ。』
全てのメンバーが言った。

「そうなんですね。そう思う背景には、どんなエピソードがあるんでしょう?」

『部下は言われた事しかやらないよね。』
『部下からやりたい想いだけ言われても、データがないから判断できない事が多いのよ。』
『今の子はハングリーさがない。私の若い頃は・・・』

心の中で、ご自身の部下との経験を振り返っているようだ。

「なるほど。部下の意識の低さが、あなたにとっては自律分散型組織の実現を難しくさせている?」

『そう。もっと主体的に行動してほしい。』
『状況に応じて、必要なデータを取って、納得させてくれないものかね。』
『どこにやる気スイッチがあるのやら。。』

不思議だ。
部下に自律を求めている。
だとすれば、本当の難しさは、彼ら自身の中にあるのかもしれない。

問い直してみる。
「なるほど、良くわかりました。あなた自身ではどうでしょう?」

・・・

一気に他人事の世界から、自分事の世界に引っ張られた為、一様に内省が始まる。
そしてまた紡ぐ。

『仕事が忙しくて、部下をケアする時間がない。』
『通常業務が定時内に終わらない。組織風土なんてやってる場合じゃない。』
『仕組み、作らないといけないんだろうな。。。』

なるほど。漸く見えてきた。

マネジャーには、圧倒的に”時間”が足りないのだ。
だから”また何か始まった。面倒だ。”と感じたのかも知れない。)

自分に課せられた管理という属性の職務。
それは製造業では収益性が主眼となり、部下に作業手順を守らせる事が優先され、不良品の生産を恐れるあまり、自律への関心はあるものの、プライオリティは自然と下がる。

そして、現実上手く収益性を上げられなければ、責めを負う。

だから、そこに多大なる時間を掛けなければいけない。
といった現象が起こっているのだろう。

「よく分かりました!貴重なお話を有難う御座います!」

『おう、頑張れよ。』

一通り本音で語ったメンバーは、少しだけ晴れやかな顔で、私を応援してくれた。

きっと、言いたい事も言えない、そんな世の中なのだろう。


④プレイヤーとのセッション

「自律分散型組織についてどう思いますか?」

優秀と呼ばれる社員から、アシスタントの方まで、数名の属性メンバーに問いかけてみた。

意見は2つに別れた。
一つは『上が変わらないと無理なんじゃないですか。』
一つは『私なんかが、どうこう言える立場じゃないです。。。』

「そうなんですね。なんでそう感じるんですか?」

すると、あら不思議。
別れた意見がガッチャンコ。

『だって、言っても無駄でしょ。』

私には『ちょっと聴いてよ!』という心の声が聞こえてきた気がした。
「何か、、過去にありました?」

”良く聴いてくれた!” あるいは ”なんで分かるの!?”と言わんばかりに、皆さん身を乗り出して経験を語り出す。

『上司に提案を反対されたんだよ。』
『ダメ出しばっかりされるから、もう言う気が失せましたよ。』
『せっかく伝えたのに、うやむやにされた。』
『手続きばかりで、やりたい事が出来ないし。』

私の頭の中に、ロダンの地獄の門に似た、恐ろしく仰々しい”門”がイメージとして浮かび上がってきた。

関門

ほとんどの方は、組織配属されたから、何もしてこなかった訳ではない。大なり小なりチャレンジ経験を持っていて、それと同時に、上司から”反対された” ”失敗を感じさせられた” ”無視された” という経験を持っているという事が、詳らかとなった。

製造業は関門型組織だな。
なんだかその言葉がしっくりきた。たまたま買った収納ボックスが、うまい具合に重なりあって、収納上手だ俺!と感じた瞬間に似ていた。

同時に、あるアイデアが私の中に閃いた。
皆さんの思考の中で、その関門を壊してみよう。

もしこの関門がなければ、ポジティブな意見に溢れるのであれば、関門型という仮説は、正しい事になる。

「なるほど、もし上司や仲間が、あなたの挑戦を全力でフォローしてくれたとしたら、あなたにとって自律的に主体的に行動する事は?」

『それなら出来そう!そうなったらいいね。』
『失敗しても助けてくれるし、チャレンジできるかもね。多分無理だと思うけど。』
『最高やね。絶対無理だと思うけど。』

この門。。。分厚っ!

だが、仮説はどうやら正しい。
実に学びの深いセッションだった。

「聴かせて頂き有難う御座いました!とても参考になりました!」

『どんどん聴いて~。』
『北さんなら何でも言えるわ。』

やはり少しだけスッキリとした、晴れやかさが見て取れた。

本音で語る。
ここにとてつもなく大きな意味を感じた。

⑤本音は美しくて痛い

数名とのセッションを終え、私は今回の現象を整理し始めた。

『従業員の自律はムリだと思う。だって自分で考えて行動する事は、苦しい事だから。』
黒淵さんの主張は、おそらく正しい。

だが、その原因は、上司が関門となって、自律性や主体性を、実に阻んでいるという事。

その経験を味わうと、部下側の勇気は如実に奪われる事。

そして、そんな部下を見て上司が、主体性持てよ。自律?無理じゃないかな?と感じている事実。

自律分散型組織の概念からすると、負のサイクルが回っている様に感じた。そして、結果的に自律分散型組織が効果的である事の確信も得た。

漸っと、少しだけ今の世界が開けてきた感覚があった。
と同時に、
マネジャーやプレイヤーの顔を思い出して、苦しくなった。

”ありたい” と ”あるべき”の葛藤。

本音を引き出せば引き出すほど、その人の彩り溢れた経験や価値観が見えてくる。

私はそれらに美しさを感じている。
人にはその人なりの美しさが備わっている。

一方で、その価値観に触れる時、背景にある痛々しい経験を、一緒に味わう事になる。

本音って、美しくて、痛いな。


暫くして、あるアイデアの引っ込みが付かなくなってきた。
どうやってこの美しくて痛い気持ちを、偉い人に共感してもらおうか。

日報⑥へ続く。









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