【書評】生きるぼくら 原田マハ
はじめに
こんにちは、久しぶりにnoteを書こうと思ったのだけれど、特筆することも日常に残っていないほどつまらない日々を過ごしているので、今回は授業の課題で書いた書評を載せようと思う。
今回読んだのは、原田マハさんの「生きるぼくら」
人の心が欠けているとよく言われる私にとって、心温まる系のほっこりストーリーは理解に苦しむ部分が多々あるのだが、理解できないものを取り込んでチューニングしないと本当に人間社会で生活ができなくなってしまう。ただ、ほっこりエピソードを解説したところでなんの面白みもないので、私自身の知見、観点も交えながらつらつらと批評してみようと思う。
冷たい都会を抜け、田舎へ
この物語の主人公は、東京に住む24歳ニートの麻生人生。小学生の時に両親が離婚し、母親と共に暮らすことになる。中学高校では常にいじめに遭い、高校を中退して日雇いやアルバイトとして働くも、ついに限界がきて引きこもってしまった。
この物語の中で、麻生人生は「現代社会におけるメジャーな若者の象徴」として描かれてるといえる。この本が書かれた2015年は、インターネットと密に関わりながら大人になっていくZ世代が現れ始めた時期である。現代ではさらに引きこもる若者は数を増やすと共に、精神はさらに打たれ弱く、立ち直りも難しくなっているのが現状だろう。
引きこもって4年が経ったある日、母親が突然いなくなってしまう。
「今まで頑張ってきたけど、疲れ果ててしまいました。しばらく休みたいので、どこかへいきます。あなたはあなたの人生を、これからも好きなように生きていってください。」と残された手紙には書いてあった。
そして、手紙と一緒に置かれていた年賀状の束の中に、両親が離婚する前に仲良くしていた父方の祖母、「マーサばあちゃん」の名前が。「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」というメッセージが書かれているのを見て、もう一度遭いたいと思う一心から長野の蓼科に向かった。これが人生にとって4年ぶりの外出であった。
人生のような若者にとって「動かざるを得ない状況」を作り出すことは非常に有効である。一旦無理やりにでも外に出すことで、外界に対して怯えている気持ちを「意外と大したことないかも」と弱めることが重要なのだ。
人生が大人の階段を登っていく
蓼科に向かい、マーサばあちゃんの家を訪れると、そこには認知症を患ったマーサばあちゃんと、つぼみという20歳の女の子がいた。
つぼみは人生の父が再婚した女性の子供で、人生の父、マーサばあちゃんと直接的な血の繋がりはない。対人恐怖症を患い、都会での生活を息苦しく感じる中、両親との死別をきっかけに、唯一の親戚にすがる思いでマーサばあちゃんの家に転がり込んだ。
その後色々あって、3人は同じ家で暮らしながら、マーサばあちゃんの持つ畑で米を作ろうという流れになる。
この話は、人生が蓼科でのマーサばあちゃんとつぼみとの共同生活や地域の人々との交流、米作りを通して直面する課題を一つ一つ乗り越えながら、大人の階段を登っていく物語である。
米作りが始まってしばらくすると、マーサばあちゃんの認知症は要介護3に上がる。要介護3というと、着替えや食事、入浴やトイレが1人でできない状態である。マーサばあちゃんがつぼみに対して隠し事をしたり、頼ってくれなかったりと介護生活を通してマーサばあちゃんとつぼみの関係も険悪になっていく。
ここで思いの外辛いのは、主人公である麻生人生である。男女という明確に引かれたラインを超えることができず、外から傍観していることしかできないからだ。
それに気落ちすることなく、淡々と畑仕事をして、さらに介護施設の清掃職員として働く人生。さらに自分1人でどうにかできないと思ったことは、周りの人に相談して助けてもらう。ここでは、東京にいた頃とは見違える変化がみてとれる。自分の置かれた状況を受け入れ、自分ができる清掃の仕事と畑仕事を淡々とこなす。時には自分1人では解決できない問題を周りを巻き込んで解決していく。明文化すると出来て当たり前のように感じることは、若者にとっては意外と難しいことなのである。
“あっち側”の人との交流
ある日人生は上司から、息子に米作りを手伝わせて上げてもらえないか、という提案を受ける。名前は純平。就活がうまくいかず、大学にいく気もなくなり家に引きこもりがち。そこからさらに就活がうまくいかなくなるという負のスパイラルに陥っている。
彼もまた、打たれ弱いZ世代の若者の1人だろう。しかし、人生にとっては違うように映った。人生は純平に対して「勝ち組」のオーラを感じていた。
人生にとって彼との交流は大人になるための最後の試練と言っても過言ではない。社会に出て自分とは対極の存在の人ともうまく交流していく必要があるためだ。
「つまらない」「疲れる」「後ろ向きな作業だ」と弱音を吐き、農業関係者をバカにするような言葉まで吐く純平。結局「2度とこない」と言われてしまい最悪な別れ方に。
ここで、人生は引き下がらなかった。定期的に純平に畑の様子を写メで送り、「たまには面倒見にこいよ」とメッセージを送る。
ここが作中で最も人生が大人になった場面と言っていいだろう。蓼科での生活によって、行動のベクトルが自分から相手に変わり、さらに他者に「尽くす」のではなく「行動変容を起こさせる」という難儀でかつ意義深いことを行うようになった。
社会というものは、人と人とが互いに面倒を見合って、共に動くことによって成り立っている。人生が純平の面倒をみて、心を動かすようになったのは「人生が十分に社会復帰できるようになった証」なのである。
最終的に、純平は途中から定期的に顔を出すようになり、一緒に収穫の時を迎え、就活も成功するのだった。彼もまた、人生と同じように畑仕事を通して変わった人の1人なのだろう。
物語はみんなで収穫をした後、人生が自分が作った米を出て行ってしまった母親に届けて食べてもらうところで終了する。見違える人生の変化に、母親は涙を流していた。
人生が蓼科での生活で学んだ大切なこと
人生が、蓼科で多くの試練を通して学んだことは、現代に生きる我々若者に欠けているものである。これを作者は婉曲的に提示してくれている。
具体的には3つあると私は考えている。
1つ目は、置かれた状況を受け入れること。蓼科にいくまでの人生は、自分に降りかかる不幸が「なんでよりによって自分にこんなことが起きるんだ」と狼狽える様子が目立つ。両親が死んだ時も、いじめられた時も、母親が出ていった時も、「自分は世界一不幸な人間だ」と言わんばかりの態度。大切なことは自分に降りかかった試練を目の前に、自分がどうすればいいかを考えて行動すること。対人恐怖症のつぼみとのコミュニケーション、マーサばあちゃんの認知症の悪化、大変な米作りなどを通して人生が蓼科での生活で身につけたものの一つだろう。
2つ目は、目の前のことをコツコツやること。自分が置かれている状況を受け入れたら、やるべきことを淡々とこなす。人生の場合は、畑仕事。畑仕事は1日たりともサボってはいけない。たとえ家の中の雰囲気が険悪でも、仕事で疲れていても、毎日畑の面倒を見て、あれこれ対処してあげる必要がある。そうすれば意外と米作りがうまく行って、他のことも次第に上手くいってくるものだ。蓼科に行った人生が、ただただ米も作らずにダラダラしていたら、すぐに東京に帰ってまた同じ生活を歩んでいたに違いない。大切なことは、昨日と同じ自分ではないと実感できるように、少しずつ結果が出るようなことをコツコツやることである。
3つ目は、周りに頼り、巻き込むこと。もしも普段の生活でできないことが出てきたら、人に頼る。学生時代は母からの支援を突っぱねていた人生にとって人に頼る、人と何かをするということは可能な限り避けたいものだったに違いない。しかし、蓼科はいわゆる村社会。コミュニティが密であるからこそ、いろんな人がお節介なレベルで面倒をみてくれる。そんな環境であったからこそ、人生は他者に対して心を開き、積極的にマーサばあちゃんの介護や畑仕事をみんなに手伝ってもらうようになるとともに、純平の面倒も見ることができるようになったのだろう。他者に対して心を開き、頼り、共に同じ道を進むことが、困難を乗り越え人が成長させるためには必要なのだ。
終わりに
レポートの文字数が2000文字までだったので、これ以降はこのnoteのためだけに書いている文章である。書評の話を少し一般化、抽象化してみよう。
マッキンゼー日本支社元社長、大前研一は次のように述べている。
これはこの小説の話そのものである。この3つの要素が変わったからこそ人生は変わったのである。
これを読んでるみなさんも、「高校から大学に上がって、新しい友達ができて、バイトやサークルを始めて・・・」と色々な環境や周りの変化があって、良い悪い問わず「高校の時の自分とと大学の自分って違うなぁ」と思う節があるのではないだろうか。
これはこの先の人生においても変わらないだろう。大学から社会人になったらさらに大きな変化が見られるはずだし、その後の転職、結婚、引越し等々で自分が大きく変化する節目がたくさん来るはずだ。
もし皆さんが、「今の自分だと弱いなぁ」「なんとかしないとだめだなぁ」と思うのであれば、この言葉を思い出して実践してみると良いだろう。
大切なことはライフステージによる受動的な変化を待つのではなくて「自分のために、能動的に3つの要素を変化させる」ことである。
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