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南湖院Blues #3 :バブルで鎌倉ピコピコ

バブリーパワー


バブル負の遺産として1989年に、
生まれてしまったが故に忌み嫌う
バブル景気(1986〜1991と云う)。

今日、准教授以上の学者の中で
このバブルに遊び放題だった奴には
ロクなやつがいない、という
個人的怨念もあるのだが…。

しかしこのバブル、侮れないのである。
おそらく今後、この時期にあったパワーを
超えることは不可能である。
(可能性としては、90年代後半から続く
 戦後初のデフレから脱却して、
 世界最低の経済成長率を回復し…ムリ)

それを象徴するALBUMが、そう
『KAMAKURA』(1985年9月14日)だ。

サザン40周年を記念して立ち上げた、
湘南ロックンロールセンターAGAIN。
2018年の一回目にご登壇頂いたのが、
泣く子も黙る(?)
神の手・藤井丈司先生である。

この時の講演や、事前の打ち合わせで
色々と面白いお話を聴かせて頂いたので
私がボケないうちに少し記しておきたい。

YMOの大衆化

日本の土徳、とでも言うべきか。
古くは中国大陸の上流階級向け【仏教】を、
最新の製鉄や国家制度などの文化と
ともに輸入して【大衆化】。
私はこれを日本的受容の特色であると見る。

加山雄三のエレキサウンド、
YMOのスタイル、
これらの【大衆化】を進めたのが
桑田佳祐であると藤井氏は言う。

もちろんこれは、
桑田サザンだけの事象ではない。
概ねに文化の変革は、
テクノロジーの進歩とともに
時代としてあるものだ。

しかし1984年(構想は83ヵ?)
「ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)」
誰も聴いたことのない音。
桑田×藤井の初作品でありつつも
独自のサザンサウンドとしても根付いた。
大成功だった。
言わずもがな今日でも定番、
そして新しく聴こえる。


ビリー・アイドル
的なアプローチを
望んでいたという彼の、
その時代の音への敏感さには驚く。

伝えによると宮治淳一氏、
山下達郎氏と会食をした際に
達郎氏は桑田氏に対して
質問攻めだったという。

「普段なに聴いてるの?読んでるの?」
「いや、特に…」

これは決して謙遜でもなく、
本当に見聞きしていないという事でもない。
自然(じねん)に、
おのずからしからしむ。
これを才能と私は呼びたい。

あの「砂混じりの茅ヶ崎」
「江ノ島、オレの家も近い」と
歌っていた地元っこ代表・桑田佳祐
それが、ローカルならびに
「湘南サウンド」という言葉で
形容しきれない所以がここにある。

後の90年代にゃ、レディオヘッドを参考に
作られた楽曲群のずば抜けたセンス…。
いつまでも60年代に浸っていては
いけないんだぞオレ!!(笑)

唯一の心残りは我々SRCAが推測する
『江ノ島 Southern All Stars Golden Hits Medley』
藤井さんの手が加わっている説を
確認できなかったことである!!(笑)

さぁ青年よ、このコロナ禍に
何を歌う?何を流す?
桑田ならどうする?
時代を詠むのが、歌手である。

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