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安かろう……

 10年続けていたHulaをやめた。すっきりした。
2年目くらいに、違和感を感じ、5年目くらいで、通うのが苦痛になった。
 なぜやめなかったか、その理由は、Hulaが好きなことと、レッスン場が近くて、レッスン料が安いことだった。

 2年目の違和感。
 デパートのミニイベントに出演。舞台が狭いので、人数制限があった。
私はまだ知っている曲が少ないので、対象外だったが、先生は、お気に入りかどうかと身長で、踊る人を選んだ。
 あら?  先生は小柄で差別されていたのではなかったか?  まるで姑の嫁いびりのように、悪しき慣習を踏襲したか?   
  真相は不明だが、私は気に入らなかった。くじ引きでもして欲しかった。

 違和感の膨満。
 その① 発表会での踊る立ち位置がいつも同じ。
 毎年、大きなステージ出演があり、半年もその練習に費やした。
hulaは基本的に群舞である。踊る並び順を固定して練習した方が、舞台映えがして、価値があると、先生は信じているようだった。
 私は先生のお気に入りではなかったため、いつも二列目か三列目の右か左の端であった。横には8人ほど並ぶ。
 どうでもいいことかもしれないが、同じような配置が10年間も続くと、さすがに嫌になってきた。どうせまたはじっこ、つまんな~いという気持ち。
 難聴があるため「中央」で交わされる、踊りについての諸々の「打ち合わせ」がよく聞こえず、トンチンカンをしてしまったりして、かなり蚊帳の外気分でもあった。
 やがて、自分は人数のためだけにいる存在、美しく上手な人たちを引き立てる存在、そんな意識がこびりつき、自信は底辺、笑顔も出せなくなった。

 全員が笑顔で踊るにはどうしたらいいか、それはあくまでも、一人一人が尊重されているのだと感じられることから始まると思う。それには、上手か下手か、美人かどうかなど関係なく、どの人も、中心的な役割も担うときを作るべきだと思う。責任感はスキル向上をもたらすし、モチベーションも違うだろう。そして成功体験へとつながる。やがて良い循環が生まれる。
 上手くなってから使う、は合理的ではない。まかせるから上手くなるのだと思う。ましてや好き嫌いなんて……習う方は趣味だが、指導側は趣味的ではならないと思う。

 2年目の違和感は、払拭できるどころか、時がたち膨満してしまった。
特に私が日本語教師になり、個性も能力を異なる学生を指導する立場になってから、それが増したような気もする。
  
  その② メンバーと気が合わなさ過ぎて…。
 まず、リーダー的存在に「いろいろな場所で踊りたい、平等に扱ってほしい」と悩みを相談したところ「そんなことを先生に言うなんてあり得ない」と、ガツンと反対をくらった。
 わかってもらえると思っていたので、信じられないことだった。
 平等を求めるのは悪か…。

 夫談「お習い事に、平等はないさ」

 メンバーはグループ化していて、行動をいつも共にしていて、ろくに話しかけてももらえなかった。これは私だけではなく、排他的で、新人さんに声をかけたりもほとんどしなかった。単に人見知りということもできるが、大人なんだから、いつもポツンと立たせておいていいのかよ…。
 当然、メンバー増加はほとんどなかった。グループごと入ってきた人たちだけ残ったが、あとの人は去っていった。
 レッスン後のお茶もグループで。イベントに踊りに行ったときの行動もグループで。その他とにかくグループで。グループ同士はゆる~くつながって…。
 孤立していた私はさびしかった。新人さんには声掛けしたが、残ってくれなかったし…。

 それでもレッスン時はまだよかった。行って踊って、さっさと帰ればよかったから。大きなイベントは一日ががりで、待ち時間も長く、いっそうさびしかった。
 みんなでほかの教室の人たちの踊りを、客席に見に行って、はっと気づいたら、一人残されていたこともあった。

 実は10年間、何もしないで、手をこまねいていたわけではない。自分なりに、仲良くする努力を重ねた。ピエロになり笑いを取ろうとしたり、逆に深い話題を提供してみたり、みんなが今さらできないような質問を、バカになってしてみたり。
(これは失敗。先生は、私のパフォーマンスは理解せず、本当に私だけダメなのだと決めてかかったかも)
  ランチ会で、向い合いの席の二人が、スマホを見せ合楽しげに話し込み、無視されたこともあったが「何見てるの~?」なんて笑顔で声かけしたり…。
(その前にため息をついたかもね)

 手作りのアクセサリー、手作りのお菓子を持参したりもした。

 すべてすべった。

 めんどうになり、そういった努力は、あるとき一切やめてしまった。

 たった一人、なんとか仲良くなった人がいて、その人も、私と同じような違和感を抱えて通って来ていた。その人とだけ話をした。
 その人がやめたとき、私もついにやめる決意を固めたのだが、実はその寸前に、やめる決定打となる出来事が、既に起こっていた。
 
 決定打。
 メンバーの一人のご家族が病気の後、亡くなった。
 私は知らされず「ご家族、いかが?」と聞いてしまったのだ! その人は何も非難などはしなかったが、情けない気分でげっそりしてしまった。

 メンバーのご家族の訃報すら知らされなかった。

これはもう、仲良しとかグループがどうので済まされる問題ではない。
私の生きる場とは、次元が異なる気がした。

 先生と意識の共有がまるでできない。
メンバーと話題が合わない、考え方が合わない、そして常識が合わない。
それを思い知らされるまで10年かかってしまったなんて、なんてマヌケ。

 はたして、やめますと挨拶をした最後の日、言葉をかけてくれた人はほんの一握りであった。みんな隅っこに立って見ているのみで。
 一人一人、握手でもすればよかったかな…そんな皮肉は通じないか…。

 人はさまざまな「場」にいて、ちょっとしたコツと努力により、それなりに良好な居場所にすることができるものだが、とことん合わせることができない場もあるもんだ、と痛感した人生体験となった。

 最後に言っておくが、彼女たちに、イジワルをされたわけではない。
話しかければ、それなりに会話はできたし、楽しくできたときもあった。
 私がこれだけ嫌がったのだから、彼女たちも、私のことを嫌っていたとも十分に推定できる。
 noteは偏った自分の場、いい子になろうとは思わないので、このへんで彼女たちを上げるのはおしまい。

 Hulaは良い。大好きだし、いつの日かまた踊りたい。
が、実は、ちょっと怖い、女の園ではあ~る。
 
 


 
 
 

 
 
 

 

 

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