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ン十年たっても「?」

文字のある服は禁止……何のことだかわかる?

 世の中は男尊女卑+不況、若い頃から今まで、あまり変わらない気がするのは私だけか?
 私が高校から大学のころは、四年制大学を出ても、就職はまずなかった。女子の話である。当時で言う六大学以上に進んでも、募集がないのだからどうしようもなかった。今で言うGMARCH以上の大学である。
 しいて言うなら弁護士とか医師とか、当時の最高レベルの学力が必要な職業であるならめざす価値はあったかもしれないが、私にはそんな力はなかった。というか、今思えば、すっかりあきらめていた、というべきか。
 ということで、ろくな受験勉強もせずに、短大に進んだ。塾や予備校も行かなかった。
 短大なら、日本で有名な企業が軒並み募集があった。だからどこの短大でもいいと思い「友人が受けるから」という理由で選んだ。

 これが2年間の悲劇の始まりだった。いや喜劇かもしれない。後年、たびたびびっくり話のネタになったのだから。

 これは都内のそれなりに歴史のある私立女子大学の持っている短大の話である。ここでは「ン短大」と呼ぶことにする。
 校歌の歌詞に「〇〇年」と開校以来の年月が自慢げに入っていたが、それが私の通った幼・小・中・高と比べたら真ん中レベル。「そんなんで自慢するな」と思っていた。

(今は100年を超えた。ただし私の出た幼稚園・中学が75年くらい、小学校は150年、高校は230年超えである)

 まず入学式でショックを受けた。
 全部、女子しかいない!   あたりまえだ。でも、知っていても見るのは大違い。何百人もの女子の集まりは初めて見たのだからカルチャーショックに似た気分だった。人生その後も、あんなに女ばかりの集団を見たことはない。
 そして、式で行う礼「一同起立」とかそういうことだが、何とピアノで
ダーンダーンダーンって
。私にとっては、幼稚園に逆戻りだと思うと涙が出てきた。小学校から高校まで、先生がマイクでビシッと言っていたのだ。
「2年間なら我慢してみせる」というのが悲しい決意であった。

 詐欺か
図書館司書の資格を取りたかったのに、開講がなかった。受験要綱にはあったのに。今ならモンスター?ペアレントが出てクレームになりそうなことだ。 私にとっては、これでもう学ぶ意味はほとんどなく、あとは卒業資格&就職のみであった。

 座席表
 高校の教室より狭いくらいの教室にクラスが集まって授業を受けた。
ザセキヒョウ通りに。座席表だよ、大学で。お子ちゃまの管理だぜよ。

 服装
 当時、ジーンズはダメという大学はあった。お嬢様大学だったりすると。
ところが、ン短大は、ズボンはダメ、袖がないとダメ、襟がないとダメ、そしてそして、文字が入っているとダメ~!   ちっちゃなロゴだけOK。
 理由は聞くなよ、である。「学生らしい」というキーワードや「女性らしい」というキーワードが、学内で聞かれたような気もするが、異様すぎて理由など記憶なしである。
 文字がダメって、ヒエログリフも甲骨文字もダメだったよね、ね。
 ただ禁止なら、破る人もいるが、ン短大では破る人はまずいなかった。それはなぜか、停学・退学になるからだ。服で停学だよ。禁止の話なら愚痴で済んだとしても、ほんとうに停学や退学もあり得ると話すと、笑いは消えるよね。
 某優秀国立大学の卒業式など、全員、卒業認定取り下げだね。

 テレビ出演
 大学生が出演する番組があったが、それに出た学生は退学になった。

 トップの授業
 学校経営トップが、週に一度、講堂に学年全員を集めて授業をした。欠席すると卒業単位が得られない。出席番号順にギュウギュウにすわらされ、先生方が座席表を片手に「居るか居ないか」で出席をとっていく。ときには、知らない人が「〇〇さんの代理。よろしく」なんて。代返じゃなくてヒトが必要なのであった。

 数Ⅰを3年間
 実はここ、幼稚園から大学院まである。高校から外の大学に行かせないようにしていた。なんと数学Ⅰを3年間かけてやったそうだ。だから受験できなかったの~という嘆きの話を聞いたのだが、その人は、全国模試で社会科3位になった人だった。それだけの学力があるなら、どこでも入れたと思うよ、と言うと、信じられない風だった。ま、自力で理数を補うとしたら大変だったとは思うが、入試情報も与えない徹底ぶりにさ~すが~と軽蔑したものだ。

 カラス
 幼稚園から大学院まで通う人がいるという。大学でも黒服ですごすとか。その人を「〇〇〇(駅名が入る)のカラス」と呼んでいた。不気味である。なにが、その人の偏ったであろう精神がである。井の中の蛙どころか……。

 裏門
 裏門を通ってはいけないのだ。使うと停学・退学になった。駅への近道だが。理由は聞くな、パートいくつかな。

 文化祭
 模造紙に指示されたことを書くだけ。トップが回ってきて、字が気に入らないと遠慮なくやり直しになったとか。とんだキョーイクシャだ、と二十歳の私は思った。

 チクリ
 数々あった変なことだが、私が最も嫌ったのは、チクリである。今でも軽蔑の意識はなくならない。
 特に高校生が大学生をチクるのだ。服装にしても、テレビ出演にしても、裏門にしても、だ。
 それでチクられた方は、停学・退学になるのだが、高校生、楽しんでいたのかな。よくもまあ曲がったもんだと思った。

 久しぶりに思い出してみたが、やっぱりなかなかのン短大。
おかげで私は「普通」の大学生活を知らない。勉学はそれなりにしたと思うが、セイシュンはなかったと思う。部活動も同好会活動も、社会活動もボランティアも何かの研究会も、細々とは活動していたらしいが、興味をそそるものは見当たらなかった。近隣の大学を訪ねて参加したくても、もしもバレたら……。
 私はすべてあきらめてしらけた。2年間我慢することしか考えなかった。
 
 当時、親にとっては都合の良い、厳格に管理された学校だと言われていたが、高校時代、自由な校風の県立高校であった私にとっては、必要以上におかしなルールで縛られるのは、辛く異常なことだとしか思えなかった。禁止項目に意味も意義もなく、単に理不尽でしかなかった。
 印鑑を売って…とか、小冊子を配って…などに近い体験だったのかなとも思う。学生は金づる、抑え込みをして、学生は品行方正ですよ~と親にアピールしてお金を得ていたわけで、トップはぜいたくをしているのだと噂にもあった。
 そういう意味では、真似をして学校経営などやりたくなってくるが、私には黒すぎて手に負えない。
 
 今でも、あの学校に子どもを絶対に入れたくないと思う。開き直って我慢した私であっても辛かった。あの学校から得たものは、学業以外に何だったか……考えてみても「ない」。大学としてはあまりにも残念である。学業はある程度はできたかもしれないが、そのレベルはほかと比べて良いわけでもなく、それ以外は何も「ない」のだから。

 私の、黒とまではいかないグレー歴史の話である。恥ずかしくてあまりン短大卒だと明かしたことはない。その後卒業した放送大学には言及するが。

 あ、前言撤回、一つだけ、得たものがある。
トップの授業が、なんと良妻賢母教育だった。その一環で読まされた山本周五郎が、その後の私のお気に入り作家となったのである。
 だからといって、お江戸の良妻賢母をめざしたわけではない。良いものは良いものとして、判断できただけだ。

 「〇〇〇のカラス」より、町でみかけるハシブトさんだのハシボソさんだのの方が、賢くてかわいいと感じるのであ~る。

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