人生流されまくったっていい

人生は、航海のようなもの

どうも、ナザレです。いつもお読みいただき、ありがとうございます!

10連休に突入して、ちょうど折り返し地点といったところでしょうか。
私も連休前半は実家に帰ったりしていましたが、後半は仕事をするつもりです。

今日は、連休中に考えたことについて、少し書いてみようと思います。

皆さんは、人生についてどういうイメージを持っていますか?
徳川家康はこんなことを言っていました。

『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず』

意味は、読んでそのままって感じです。
人生は重い荷物を背負って、遠くへ行くようなもの、ということです。

私もそのように思うこともあります。
荷物を背負って、地道に歩いて、目的地に行く。
確かに人生はそういうもんだとも言えます。

しかし、私が連休中に思ったのは、タイトルにあるように『人生は航海』ではないかということです。

航海、つまり船乗り。
自分で船を操縦して、目的地まで行く。

目的地へ行くまでに、嵐にあったり、海賊に襲われたり、いろんなことが起こると思います。
そういった困難を乗り越えながら目的地へ向かっていく。
まさに、人生と同じなんじゃないかと思いました。

また、航海というのは、進みたい方向に思うように進めないものでもあります。

風向きや潮の流れによって、まっすぐ進みたくても、横に行ってしまうことは多々あります。
場合によっては、後ろに戻ってしまうこともあるでしょう。
どんなに、万全の準備をして海に出たとしても、自然の力に逆らうことはできないのです。

航海の面白いところは、自然の力に屈し、目的地と全然違う方向へ流されたとしても、その先が必ずしも不幸ではないというところです。
流れ着いた無人島が、食料などに不自由しない楽園である可能性も十分にあるからです。

我々は、目標から遠ざかると、それだけで良くないと思ってしまいます。
目標から離れてしまった自分はダメな人間なんだ。
もう立ち直れない。
もう目標を目指すことはできない。
などと考えてしまうのです。

でも実際は、目的地から遠いところに行ってしまったとしても、その場所が居心地の良い場所である可能性は大いにあります。
そして、その場所が、新たな目的地を指し示すこともあります。

また、目的地へ向かう進路から大幅に逸れてしまったとしても、回り回って、結果的に目的地に着く、ということもあり得ます。

人生は航海のようなもの。
思い通りに目的地に着くことができるわけではない。
嵐に遭い、上手く目的地への進路を辿れないこともあるでしょう。
でも、目的地への道は一本ではない。
全く違う進路をとったとしても、結果的に目的地に着くこともあるのだ。
目的地に着かなかったとしても、その別の場所が自分にとっての本当の目的地だったと気付かされることもあり得る。

目的地を設定するということは、大事だと思います。
でも目的地に行けなくても、ダメじゃないんです。
着いた先に、また新たな出会いがあり、新たな目的が見えてくるはずです。

航海なんだから、常にまっすぐ進めるわけじゃない。
別に流されたっていい。
そのまま、全然違うところに行っちゃうこともある。
でも、それでいい。
きっと、流された先にも、必ず意味はあると思っています。

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