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だから何でも教えてあげようと思ってしまうんよ。

祖母が栗の渋皮煮を送ってきてくれた。ジップロックにぱんぱんに詰まった2袋の祖母の味だ。栗の皮むきを考えると、祖母の愛情の深さがうかがえる。甘くて美味しくて世界がとろけるような味がした。

祖母に栗の美味しさと感謝の気持ちを伝えると「食べ過ぎたらいけんよ」と言う。喜んでいる私の言葉を聞いても祖母は嬉しそうではなく、ただ心配そうに言う。

祖母は私が小さい頃によく海外へ旅行していた。イギリスの紅茶や、トルコの先のとがったスリッパ。ガラスの猫の置物、木でできた魔女の操り人形。祖母が送ってくれるお土産は、私の夢をどんどん膨らませていった。

難しそうな白黒の洋画や、トラムが走る街を紹介した番組など、祖母の腕の中で観ていたテレビはいつも海の向こう側の世界で、祖母は楽しそうだった。

最近は、フランス語の勉強をもう一度はじめたよ。パリに留学したくてたまらないと祖母に話す。祖母が知っている外の世界の話を聞きたかったからだ。「パリは危ないし、海外に住んでる知り合いの娘さんは苦労しとるんよ。日本がいいよ。」いつもの祖母の話が始まった。

でも、このパリの街並みを見て?この本すてきでしょ?「また本を増やして。物は増やしすぎん方がいい。それより、今日の晩御飯は何を食べたん?」

疲れたからうどんにしたと私が応えると「野菜をちゃんと食べんといけん。送った野菜で何か作りんさい。」と祖母は言う。それより私はパリの話がしたかったのだと、少し不機嫌になる。

海外の街並みが映ったテレビを一緒に観ていたころのように、祖母が見た美しい街並みをもっと教えてほしかった。なんで私が言うこと全て否定されないといけないんだろう。

私が東京の会社を受けると言ったときも、東京がどんなに危ない街で、どんなに貧しい生活になるか耳が痛いほど聞かされた。就職活動が辛くて大変だと弱音を吐いた私に祖母は「今すぐ東京での就職活動を辞めなさい」と言った。

祖母が私の夢を応援してくれることは一度もなかった。どうしてそんなに私を否定するの?と聞くと「知らないから教えてあげないといけない」と言う。

狭い1Rも満員電車も、23区内での犯罪も、うまく言葉を喋れない恐怖も、外国人の一人となって歩く空港も、私は覚悟しているのに。どうしていつも祖母は、私が嫌になることしか言わないのだろう。

心配してくれているのは分かっていた。祖母の言いつけを全て守れば、私は田舎の実家に戻って、部屋から一歩も出ずに一生を終わらせるのだ。外は危ないから。なにかあったらいけないからと。

そしてまた祖母は言うだろう。部屋に居すぎてはいけない。たまには運動をしなさい。太ってしまうから、筋肉をつけなさい。

祖母との会話は『全ての人を納得させる難しさ』と同じなのだ。それでも私は祖母が好きだった。理解はできなかったが、祖母は不安で心配性なのだろうと、これが祖母の愛情表現なのだろうと。

来年の2月にいとこが父になる。祖母にとっては初のひ孫だ。初孫の私は肩の荷が下りたような気持でいとこに感謝した。祖母と祖父にひ孫を見せてくれる感謝でいっぱいになった。

祖母に楽しみだねと話すと、祖母の返事は相変わらずだ。「大変よ。」とだけ応える。喜んでいるようには見えなかったため私は少し動揺したが、祖母の声は真剣だった。

昨日、いとこの子どもが男の子だと祖父母宅から電話がかかってきた。「箪笥の中にある着物はまだ私のものだね、安心した。」と私が応えると祖母は笑った。ふとそのとき、分かる感覚があったのだ。

これから生まれる0歳の命と、80代も目前の祖母、20代そこらの私を3人並べると、私はまだ赤ちゃんに近い人間なのだ。

「ねぇばぁば、ばぁばにとって私はまだ赤ちゃんに近いんだね。」

「そうなんよ。だから何でも教えてあげようと思ってしまうんよ。」

祖母がなんでも否定する、分かってくれない、応援してくれない。少しぐらい褒めてくれたっていいのにと、怒って泣いて数日口をきかなかった私を思い出す。全く、その通りだ。私は0歳の赤ちゃんに近い。

祖母にとって私は、生まれてたった20年の生き物なのだ。そばに置いて守らなければいけない、失敗する前に教えてやらないといけない。「ちゃんと話を聞きなさい」祖母は何度も言った。

大人であることを求められ、大人として振舞い、私はすっかり大人になった気分でいた。責任の取れるものも、責任の取れないものも見えているはずだ。自分でお金を稼ぎ、生活して。大人になったと思っていた。

祖母は「孫という存在を失う怖さ」で自分が不安になるから、過剰な心配をしているのだと思っていた。それは愛情ではなく、エゴだと私は理解ができなかった。祖母に少しでも信じてほしかったから。

祖母は私を信じていないわけではなかった。祖母の元を遠く離れていく私の夢が憎いわけでもなかった。「どうしてそう伝わるのか、わからない。」と泣いて怒った私に祖母は言った。

「ばぁばよりも、私は赤ちゃんに近いね。80代のおばあちゃんよりも、0歳の赤ちゃんの方に近いね。」電話越しでそう言いながら、私は面白くて笑いが止まらなかった。祖母は深くうなずいている。

やっと理解できた祖母の気持ち。私は嬉しくてたまらなかった。


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