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ティーンエイジャーを被って破る日々

大人になった。華のseventeenをむかえブレザーを着て短いスカートをひらひらさせていた頃は、記憶の遠い宝箱の奥にあるおもちゃのように感じる。

6歳の自分を思い出すのも、17歳の自分を思い出すのもそうたいして変わらないようだ。香りも色も触感も同じで、鮮明に思い出そうとすればするほど、夢心地のような雰囲気にのまれていく。

ランドセルを背負っていた私も、下駄箱にローファーをしまっていた私も、もちろん私のはずではあるが、記憶の底から掘り起こした小さな女の子は本当に私なのだろうかと、うまくのみ込めない。

遠い記憶になってしまったからだ。私はもうティーンエイジャーではない。大人になった。特別落ち着いたわけでもなく、母になったわけでもない。ただ年齢の数だけを重ねて大人になった。

大人の中に混じれば子ども扱いされ、ティーンの中に混じれば大人扱いされる。なんだか所在が心許ない年齢の大人だ。

I wanna be like, look like
The girl in the mirror
Wanna act like, dance like
No one’s watching her 『Girl in the Mirror / Bebe Rexha』

鏡の中のこの女の子みたいになりたい。誰も見てないかのように、振舞って踊る鏡の中の女の子になりたい。求められた自分も演じることもなく、大人でも子どもでもない「何か」のままで自分を許したいのだ。

17歳でも感じた葛藤を、20代半ばで再度感じる羽目になるとは思わなかった。家の外に一歩出れば、大人と子どもを使い分ける年齢なのだ。その人に合わせた振る舞いに疲れて、毎晩部屋で踊り狂っている。

『Girl in the Mirror / Bebe Rexha』を響かせて両手を上げる。アイスを食べすぎてくびれなくなったお腹をつまんだり。マニキュアを乾かしながらInstagramを開けば黄色い声を上げて、顔の上にiPhoneを落とす。

遠い記憶のティーンエイジャーに戻ったみたいに。ドキドキするのだ。やっと自分の身体に心が戻って来たように。今なら何でもできそうな気がする、何にでもなれそうな気がすると。

I'm kickin' in the door now
Better get out my way
Never really saw me comin'
You left with nothing to say『Look At Me Now / Charlie Puth』

自分を取り戻した後はもう無敵に進むだけ。中指を立てて笑われようがかまっている暇もない。私から目を離せなくなるような世界をあっという間に創りあげてみせるんだから。

ニコニコするのだ。羽が生えて今にも飛んでいけそう。音楽に合わせて広がっていく私の文章が音符のように跳ねている。

「好き」を上回る「好きの表現」はたくさんあるだろう。世界で1番かかれているのはラブソングであり、これは有名な話である。

Do you love the rain, does it make you dance
When you're drunk with your friends at a party?
What's your favorite song, does it make you smile?
Do you think of me?『10,000 Hours r / Dan + Shay & Justin Bieber』

「雨は好き?」小学生のころから同世代として一緒に歳を重ねてきたスーパースターのラブソングは、大人になった今でも鮮度を落とさず甘酸っぱい。大人になろうともがいているわけでもなく、子どもっぽく振舞ったりもしない。

「お気に入りの曲は?それを聴いて笑顔になるのかな?」ありのままの自分で、ありのままの言葉で気持ちを伝えたい。「私のこと考えてるかな?」そんな風に浮かれながら毎日を過ごす。

大人だってスキップしたい。子どもだってショパンを聴いて得意になりたい。できるだけ、そのときに選びたい私でいよう。今日の私はどんな風に鏡を覗き込むのだろう。迎える私が笑顔だといいな。

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