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あとがき、うらがわ②「生活と演劇」


このnoteは、3/26~28に上演された配信演劇「反復かつ連続」(柴幸男原作)公演のマガジン記事です。公演の詳細はこちらをご覧ください。

※本公演は終演いたしました。演目全編のアーカイブ映像を1ヶ月限定で配信しております(2021年4月末まで)。バリアフリー字幕つき・なし、どちらもございますので是非ご覧ください。

アーカイブ映像はこちら

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本番直前1週間、会場であるお宅に寝泊りしながら稽古をしていました。
役者2人で生活をしながら、オンラインで演出家と稽古をする日々。

「小屋に泊まれたら、どんなに楽だろう。。」と劇場に1週間通っていた頃には思っていました。作業時間が増えるし、通うための労力も要らず、睡眠時間を確保できるだろうと。朝起きて階下に降りると稽古場がある、というのは演劇をやっている人からしたら夢のような状態なんじゃないでしょうか。

家で稽古?稽古場で寝泊り?


実際のところ、確かに稽古に充てられる時間は普段より長くなりました。
朝起きて、朝食を作って食べ、準備体操をして稽古。
昼食を作って食べ、洗濯を干し、稽古。
食材を買いに行き、夕飯を作って食べ、稽古。
お風呂に入って、稽古の振り返りをし、就寝。


生活に必須な時間以外100%演劇の稽古をしていると、「稽古場に寝泊まりしている」というより「家で稽古している」感覚に近くなってきます。

オンライン演劇は、役者が自宅からzoomなどで出演することが多いです。私も一度出演しましたが、それと同じ感覚かというとまた違う。デスクトップで出演する演劇は「画面の中に映る部分が舞台」という感覚です。それに対し今回の公演は、「自分が暮らしている空間が舞台」という感覚でした。

恋愛リアリティショーとかの方が、感覚は近いかもしれません。生活空間にカメラがあるのも含めて。ある一定時間は虚構の世界を作り出すために活動して、それ以外は自分の生活をそこでやる、みたいな。やったことないけど。


家と私がなじむ


だんだんと、会場として借りているお宅が「自分の家」になっていく感覚は、なんとも面白いものでした。
そもそも会場のお宅は、初めて訪れたときでさえ「親戚の家」くらいの居心地の良さで、「お邪魔します」というよりは「久しぶり」と言いたくなるような空気感を持っていました。

それが実際に生活していくと、体が家の空気に馴染んでいきます。気づくと買い物から戻ると「ただいま」と言ってしまうまでになっていました。もう一人の役者も「おかえりなさい」と違和感なく返していたから、それもまた面白い。
極め付けは、家主さんが一度荷物を取りにいらしたときに「お邪魔します」と言っていたこと。半分冗談みたいなものかもしれませんが、そこまで私たちが家に馴染んでいたのだろうか。「いや、家主さんのお家ですよ」とツッコんでしまいました。

空気感という抽象的な部分だけでなく、物理的な体も馴染んでいったように思います。
泊まり込み期間中、私は寝袋と枕を持参していました。
清潔かどうかというより、他人の家の布団に何日も寝るということに対する違和感が強かったから。
初日、家主さんが用意してくださった敷布団に寝袋を重ね、枕も寝袋の中に収まるようにして眠っていた。朝起きても私の体は寝袋から何もはみ出しておらず、自分のテリトリーの中で眠っていたようでした。
しかし何日か経つと、だんだん枕が寝袋からはみ出し、寝袋のファスナーが開いていき、とテリトリーの境界が曖昧になっていきました。起きたときに「しまった!」と思うこともないんです、しかも。


会場での生活と、脚本との親和性


このような私と家の関係性の変化は、演技にも作用していきました。
今回の脚本『反復かつ連続』は、「家族の朝の風景」を描いていました。舞台設定は家であり、登場人物たちはそこで毎日暮らしていることになります。
大抵の演劇では、役者はこの状況を想像して体現していきます。実際には暮らしていない場所で、毎日過ごしているかのように振る舞うのです。

しかし今回私は会場で暮らしていたので、本当にごく自然に振る舞えてしまうようになっていました。もちろん役はあるので、自分自身としてではありません。けれど「生活」を再現する上で、目線や体の動線に無駄がなくなりやすくなります。
また、登場人物たちの暮らしの想像が具体的に膨らんでいきました。
ここで暮らしていたら、この家族はこんな食事をしているだろうな、お風呂の順番で喧嘩したりするのかな、とか。家族とその家との生活の蓄積、みたいなものが劇場よりも鮮明に思い浮かんでくる。
このような状態だと、演技がどんどん自然でリアリティのあるものに変化していきます。意図せずそうなるなんて、役者としては有り難いような気持ちでした。

「アーティストインレジデンス」というものがあって、それに近い状態だったのかもしれないです。
ある場所に住んで、そこに住んでいるからこその作品が出来上がる、というもの。

今回の泊まり稽古では、そんな新しい感覚を得るとともに、「これってもしかして空き家問題の解決策の1つになるんじゃ。。?」と思ったりもしました。

今後、このような作品がまた作られたら面白いなと思います。
生活の跡が所々に見えるので、よかったらアーカイブもご覧ください。


次は、役者二人の現場の様子について、書こうと思います。

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