見出し画像

雑記:しゃべれるけれども、書けないことのもどかしさ

こんにちは、しゃべれるけれど、書けないもどかしさをかかえたゆってぃです。いやー、コロナは恐ろしいですね。対面コミュニケーションが職場一択になると、とたんに「誰かとお話したいんじゃー」ってフラグがたってくるのですから恐ろしい。LINE電話でお話した人にしゃべくりまくってしまいました。私のくだらないお話をきいてくれてありがとう。そして、うん、私の話相手になってくれる人を探そう。

こんなに話したいのに、画面を前にすると書けないことのもどかしさ。わかっているんですよ。接続語が使いこなせていないし、まずは書きたい!ってフラフが先になってしまっていて、何をかきたいの?何を訴えたいの?が後回しになっているから、書きたいけれども書けてないという状態。

でも、いいんです。雑記だから1000文字以上、くだらないことをかきまくってやると開き直って書いております。一時はまじめに1000文字以上かきまくっていたのに、この低たらく。恥ずかしいのですが、恥ずかしくてもこれが私と棚に上げて書きまくりましょう。

最近は、裁判所からの連絡待ちの日々なので正直いろいろ身に入らないというか、心がここにあらず状態が続いています。時々SNSで若くして亡くなったお母さんのお話や、同い年の方がガンで亡くなった話、お子さんが病気や事故で亡くなった話を聞くと、病気知らず?の五体満足で生きているのに、感謝の心を忘れてしまったうちの家族ってなんやねんって思うこともあり、なんだかお天道様に顔向けしずらい生き方をしている気もします。うちの母いわく、ちゃんと地獄に落ちるから大丈夫というのですから、さらなる困難が私にも待ち受けているのか、それは神のみぞ知る世界でしょう。

日々、通勤途中で、今の状態に至った過程についてついつい考え込んでしまいます。ifはないともいいますが、もっと違うやり方もあったんじゃないかと。それでも、結論としては破綻にしかならず、自分の存在を全否定された日にはそれは、爆発もしてしまうよなって思ったり。何で仲間外れにしたのか、隠さねばならなかったのか、隠したところ問題解決できるわけでもないのに、どうして隠したのか、そんなことをうだうだ考えて数か月になりました。

今状況としては、過去も振り返りつつ、未来はもうちょっと明るい展望を望みたいなとそんなこんなで、1週間に1冊以上の本は読んだり、サークル活動でコテンパンにやられたりと、いろいろ多角的には活動中なゆってぃです。これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

それでは、また。

記事がお気に入りになりましたら、サポートおお願いします。良質なInputをするために本を購入します。よろしくお願いします。