宮崎大学(ってか宮崎)あるある

宮崎大学の卒業生です。(直近5年以内)
誰も書かないあるあるを書きたくて、筆を執りました。
木花キャンパスあるあるなのでそれ以外の方は馴染みないかも。
あと初めに言っておきますが私は宮崎(大学)大好きです。
自分語り含みます。

ではやっていきます~


新入生、最寄り駅の洗礼でひっくり返りがち

大学の最寄り駅にお世話にならない人間はいないでしょうが、その印象は地方と都市部でピンキリだと思います。言わずもがな、宮大はキリの方です。

宮崎大学木花キャンパスの最寄りは木花駅です。百聞は何とやらですしいきなり位置関係を見てもらおうと思います。

このローソン人生で一番通ったコンビニだろうなあ

ん…終わり。2.7kmは狂気の沙汰としか言いようがありません。陽光にだけは恵まれ、陽光を遮るものに恵まれない宮崎県でこれは拷問というほかありません。いやちょっと待て、最短は2kmじゃないか?と思われるかもしれませんが、それはあくまで平面で見たときの話です。次の図を見てください

地理院地図 色別標高図より

ジェットコースター??

第一にして最大の関門が画面右の坂です。どのくらい急かといいますと、8時間睡眠をとり、しっかり朝食を食べ、軽いストレッチをした朝でなお自転車を下りず頂上にたどり着ける確率が5割あるかというところでしょうか。。。

また小憎らしいのが大学正門前に勾配こそそこそこなものの人の心を折るに余るほどの長い坂があるところです。この坂が原因で落とされた単位の数は計り知れず、かくいう私もダルすぎて手前のジョイフル(最近潰れたらしいですね)でたむろして帰った日が両手じゃ数え切れません。

こんなわけで、入学一か月もすれば大抵の人間は遠回りだけど平坦な2.7㎞のルートを使うようになります。もちろん立地だけが木花駅をキリたらしめているわけではありません。ナメないでください。以下が木花駅の写真になります

時刻ギリギリに言って切符買えなかった経験一度はありますよね

何を隠そう無人駅そしてICカード非対応ときたもんだ。私は元々田舎の生まれだったのでうわっくらいのリアクションですぐ慣れましたが、ある程度の都市から来た人の目はそれはもう星すらない夜空みたいでした。ただこれらは誰でもいずれ慣れます。でも許せないのが電車の本数でした

私がいた頃のダイヤが載ってる記事を見つけました。南宮崎・宮崎方面を使う人がほとんどで、需要もそれなりな気がしますがこの有様です。特にヤバいと思っていたのは13時56分の次が16時02分のとこです。大学生なんてこの時間帯から休日動き出す人間も多いというのにこれはむごいとしか言いようがありません。そりゃあみんな車を持ちますし、それでさらに本数が減るというローカル線のサイクルが回っちゃってます。B1の頃は正直「俺何か悪いことしたか???」って乗るたびに思ってました。

しかし、人間の慣れというのはほんともうすごくて、入学してしばらく経てばどんどん環境に適応していきます

B2の夏休みあたりから足るを知りがち

宮崎・宮大の不便さに面食らってしばらく経った2年の夏休み、私の体にある異変が生じます。「全然いけるくね??」と。

なんというか、全ての幸せ・満足の閾値がいったんリセットされたような、そんな感覚に当時は陥っていました。具体的に言えばブックオフを見ただけで異様にテンションが上がったり、駅ビルがやっとできたり宮交シティにTSUTAYAができた日にはもう小躍りしているようなそんな感じ。

全然イメージできない人も多いと思うので、そんな方はハワイに行ったと想像してみてください。ハワイに丸善書店やジュンク堂が無くても多分みんな何も思わないでしょうし、仮に日本のコンビニなんて見つけた日にはとんでもなくテンションが上がり安心すると思うんです。いわば毎日がそんな感じでした。宮崎は日本のハワイなんですよ、本当に。(沖縄返還前は本当にそんな感じになっていたのでこの例えはややこしいですね)

宮崎県は上記の通り県内のアクセスもですが、九州山脈のせいで県外とのアクセスもえげつなく悪いことがハワイ化に一役買っているような気がします。なんせ隣の熊本県まで3時間半かかりますからね、飛行機はまあまあ飛んでいますが、学生がそんな頻繁に使えるわけもなく徐々にみんな観念(ポジティブネガティブどっちも)していくわけです。

鬼柳さんのこのシーンにいたく共感してました

幸運にもこういう精神状態になれたのは、十中八九気の合う仲間との出会いに恵まれたことがほとんどすべてな気もします。どんなに不便でもそれをネタにし合える人がいればどうにでもなりますしむしろそれが後々思い出をかみしめる際の味になったりしますよね。

なんやかんや名残惜しくなりがち

流石になんやかんやすぎますが本当にこうなったのだから仕方ないですよね。(もうお気づきでしょうが、これは宮大生でなく私のあるあるです)

今現在関東にいる私ですが、宮崎の暮らしを振り返るととにかく楽だったなーと思います。何が楽かって、決断するのが楽だったんです。「●●をしたい!」「××が欲しい!」なんて欲望に大体1対1対応でしか該当するものがないので、もう悩む余地がなかったんですよね。都会は便利でいろいろあって時間をかければ宮崎より良い選択ができる機会が多いとは思いますが、迷って、時間をかけた程の満足度が得られているかは正直わかりません。
少なくとも、B1のあの色々な意味で生硬だった自分が都会にいたとして宮崎の暮らし以上の満足度が得られたか?と問われると100%YESとは言えません。

これは別に宮崎最高!とか都会がアレとか言っているわけではなく体験してみないとわからないこと・100対0では語り得ないことが人生には多すぎるという意味です。就職等で都会に住む前に、田舎での暮らしを体力のある若いうちに出来たのは中庸を重んじている自分的にはまあまあ良かったのかもなと今は思います。

なにより本意でない選択をして来たここで、こういう学びを得られるまで成長できたのが良かったかなって感じです。

おわりに: お前だけのあるあるを聞かせてくれ

私がこの記事を書こうと思ったきっかけは以下の文章です。

京都はコンパクトシティな分様々なものへのアクセスが容易でそれが「文化的引き出し」を作ってくれたということ、この先どこに住んでも京都と比べてしまうだろうということをエピソードを交えつつ書いたとても素敵な文章です。

この文章以外にも、有名大であればその思い出だったりそれこそあるあるだったりに関する文章は結構見ます。んでもって、これは意地悪な感情ですが、「まあ書きやすかっただろうな…」と思ってしまう自分がいるわけです。だってそれらにはわかりやすいランドマークだったり文化がすでにあって、その文脈で書けばそれっぽくなるんですから。

(そういう中であらたな視点から書ける人ら(↑の人とか)は本当にすごいなと思います。)

私が読みたいのはもっと実感を伴った文章です。その視点でいえば書きやすい分実感を表現しづらいような気もしています。そこで、あんまりネットでは有名でない地域や学校を出ている人らに文章を書いてほしくて、言い出しっぺの法則としてこの文章を書いた次第です。私の場合のように分かりやすいものがない分その人の生の感性をのぞける文章が多くなるんじゃないかと勝手に思ってます。

朝5時半から食べられるゆるゆるに練られたうどんも、
友達が欲しくて非公式サークルを作ったことが友人にバレて微妙な空気になったことも、
イオンモールに本気で喜ぶ自分にどうしようもなく悲しくなった瞬間も、
落ち着くところがなさ過ぎてマックスバリュを3時間歩きながら友人と話したあの日々も、
南方駅の単線を眺めながら聴いたピロウズも、
青島のサウナで黄昏流星群を読みふけった日々も、
木挽ブルーの飲み過ぎで初対面の女の子の前で粗相してしまったことも、

全然なんてことない、フォトジェニックでもなくSNSウケもすこぶる悪いあの一瞬一瞬がいつか折り重なって自分になっていたことについぞ気づきました。

これが私の宮崎(大学)あるあるです。
あなたのあるあるは?














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