見出し画像

vol.3 光をよる糸

「絶対一度は行ったほうがいいよ」「あそこのセンスは本当に素晴らしい」「花を買うならあの店って決めてるんだ」…

個人経営の先輩や、花好きな友人たちが口々に言うので、那覇にある「Detail full」という花屋の存在は、早い内から知っていた。そして、初めてお店へ伺ったのは三年ほど前だ。

店内には花だけでなく、衣類やガラス製品、古道具にアクセサリー、焼き菓子なども美しく並んでいた。そして花に無知だった僕に、とても丁寧に接してくれたのが、オーナーの盛邦さんと綾乃さんだった。評判が高い店への初訪問という事で、初めは緊張していたのだが、お二人の話はセールストークでなく、「心底良いと思っている事を伝えたい」という気持ちに満ちていたので、安心する事ができた。そして店を出る時は、満足感に包まれていたのを覚えている。

画像1

それからしばらくお店へ伺っていなかったのだが、ある時「Detail fullが花を辞めた」という噂を耳にした。「花屋が花を辞めた?!」にわかに信じられなかった。何より、あんなに花への愛情の伝わるお店が、なぜ花を辞めなけらばならなかったのか。そして店はどうなっているのか。どうしても知りたくて、お二人に会いにいく事にした。

しばらくぶりに訪れると、外装は大きく変わっていた。以前はガラス張りの開放的な入口だったが、今は鮮やかな黄色い壁のエントランスだ。

画像2

扉をくぐると、お二人が変わらぬ笑顔で迎えてくれた。

そして変わらず繊細で、知性と品性に溢れる店内だった。すぐに店を見渡したが、やはり見当たらない。花が無いのだ。片隅に小さな花を見つけたが、それが売り物でない事はすぐに分かった。

画像3

ガラス製品の美しさに目が留まり眺めていると、以前の様に盛邦さんが気さくに声をかけてくれた。これらは県内の琉球ガラス工房と共同し、徹底した花目線で考案された花瓶だという事を知った。そして花に合わせた花器の選び方まで、分かりやすく教えてくれた。

画像4

しばらく盛邦さんとの会話を楽しんでいると、どこかで微かに、心地良い音が鳴っている事に気が付いた。

カタカタカタカタ…

店の奥で綾乃さんが、なにやら見慣れない木製の輪を回し、作業をしている。
これは「糸車」と言って、羊毛を紡いで糸をよる道具だそうだ。

画像5

売場のほぼ半分が、糸車や毛糸、その関連器具に埋め尽くされていることから、現在はこの「紡ぐ」ことが、Detail fullの核にあるのだろうと分かった。

画像6

綾乃さんが中学生の頃、家庭訪問に備えてお母さんが玄関にフリージアを生けた。

咲いては枯れて移り変わる表情と、豊かな香りに惹かれ、その姿を日々写生をするほど夢中になっていた。それからは、花の事が頭を離れなくなった。花屋を巡り、花を選ぶようになり、いつしか「花屋になりたい」と思うようになっていた。

高校卒業後は、東京にある研究所で花の基礎を学んだ。沖縄に戻ってからは花屋に就職したが、結婚・出産を機に辞め、三年ほど専業主婦をしていた。

そんな中でも花への想いは消えず、那覇の久茂地に「花教室 dau」をオープンした。ダウは、宮古方言で「満ちた状態」を表す言葉だ。

その後、お子様の通学距離や駐車スペースなどの利便性に合わせて移転を重ね、現在地に落ち着いた。dauに込めた想いはそのままに、店名は「Detail full」へ生まれ変わった。

画像7

ここまでお話を伺っていると、十代から願っていた夢が叶い、子育ては落ち着き、ファンにも恵まれ、全てが順風満帆に思えた。しかし、綾乃さんの心は「満ちた状態」であり続けられなかった。

「開店祝いで貰った花の管理が分からず、数日で枯れてしまった」「花の備品として付いてくる、スポンジやカゴの処分に困っている」など、貰い手側の言葉を、店頭で聞く様になった。

花の状態を最善に保つため、夜中0時過ぎに店へ戻って手入れする毎日を送るほど、心底花を愛する綾乃さんにとって、この事実は大きな悲しみだった。それに加え、様々な催しで飾られる花や備品が大量に捨てられる光景も、日々重く心にのしかかっていた。

「結果的にゴミを増やす事に加担してしまっていた」と自責の念を抱くとともに、本来大地に根差している花や土を、室内で管理している事に違和感を抱くようになっていた。

青空の下、美しく咲き誇る桜を見た春の日は、ただ涙が止まらなかった。

「うちの店へ迎えるからには、せめて美しく咲かせて、ちゃんとした提案をしなくては」責任感は膨らむばかり。少しでも長く楽しんでもらうための提案や、極力無駄の無い梱包などを、日々試行錯誤した。

そんなある日、綾乃さんは友人からリンゴを贈られた。この出来事が、新たな歯車を動かす事となる。

これまでDetail fullでは、花を束ねる際に「手紡ぎ糸」を使ってきた。輪ゴムや麻ひも、ラフィアなどを様々試す中、花に最もストレスをかけないのは、紡がれた糸だと見出したのだ。そう気が付いてからは、ニュージーランド製の糸車を取り寄せ、自ら糸を紡いできた。売るためでも、魅せるためでもなかった。ただ「花を優しく束ねる」ためだ。

画像8

友人から受け取ったリンゴのラッピングに使われていたのは、紛れもなく自身で紡いだ糸だった。リンゴを差し入れた友人は、それが綾乃さんが紡いだ糸だとは知らなかったと言う。そう、いつか店頭で購入された花を束ねていた糸が、捨てられずに巡り巡って、偶然にも友人の元に渡り、そしてつくり手の元へ帰ってきたのだ。

「ものが大事にされていた」この体験は喜びとなり、心を満たした。

綾乃さんが枝切りバサミの使い過ぎで手を痛めたり、ユーカリアレルギーの発症などで花に触れにくくなっていた事や、一人身になったお母様を支える時間がもっと欲しいと思う様になったのも、ちょうどこの頃だった。

「捨てられず大事にされるものを、自らの手で生み出していきたい」
羊毛に触れる時間を徐々に増やし、花の取扱いを減らしていった。
そして2019年3月、ついにDetail fullの売場から花は消えたのだ。

そんな思い出話をしながら糸を紡ぐ綾乃さんの姿は、穏やかで満ちていて、「子を抱くマリア像みたいだなぁ」なんて思っていると、「糸を紡いでいる時の感覚は、子供に母乳をあげていた時の感覚に似ているんです」と言うから驚いた。
「糸に生命を注いでいる気持ちで、希望が湧いてくるし、心が安らぐんです」と。

画像9

こうして紡がれた糸は、タペストリーやオーナメント、衣類などに姿を変えて店頭に並ぶが、毛糸の状態でも豊富な色で販売されていて、ラッピングやハンドメイドにと、買い求める人が後を絶たない。

画像10

「花屋の在り方を変えられなかったのは、今でも心残りです。でも、店の形態を変えて本当に良かった。花が、心を満たして日々を寄り添う“私のすべて”に戻ってくれたから。」
そしてこう言った。

「本当に自分を満たすものを見つけて、それに囲まれて生きてさえいれば、世界はきっと平和なのにね」。

生きる事、咲かせる事は、「それぞれが土壌を知り、耕し続ける事」それだけなのかもしれない。糸を紡ぐ綾乃さんを眺めながら、そう思った。

画像11


detail full
那覇市金城5-8-10 赤嶺ビル1F
open 木・金・土 10:00-19:00


【萩原 悠 プロフィール】
1984年生まれ、兵庫出身。京都で暮らした学生時代、バックパッカーとしてインドやネパール・東南アジアを巡る中、訪れた宮古島でその魅力に奪われ、沖縄文化にまつわる卒業論文を制作。一度は企業に就職するも、沖縄へのおもいを断ち切れず、2015年に本島浦添市に「Proots」を開業。県内つくり手によるよるモノを通して、この島の魅力を発信している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?