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気怠さを身に纏っている

もう生きるとか死ぬとか、もうこの際どうだっていい。
人間は死ぬ時は死ぬし死にそうな時でもなんとか生きながらえることができる時だってある。
俺はいつも気怠さを身に纏って新宿を歩くが、周りの人間はそれを見ちゃいやしない。
誰も俺のことを知らない。俺も誰のことも知らない。
それ故の気楽さってものがあって、気怠さを取っ払うこともなくいっそ共存してやるかという心持ちで歩いている。

自身の生き死にについて、どうでも良くなったのはもう充分なくらい幸福を得てきたからなのかはわからない。ただ、これ以上幸福になることはあり得るのか?ここからは死まで緩やかな下り坂ではないか?と思うことはしばしばある。
絶望はしていないが、希望も持ち合わせていない。
気持ちは多少なりとも前向きになってはいるものの、俯きがちな心は健在。目だけが前を向いているような感じ。前を見ている目ですら、いつ頃からか死んだまま生き返りはしない。目に光を宿すことはない。

気怠さを纏っていても、それ相応に平均的な能力も持っていれば多少違和感を覚える程度で難なく生きられたのかもしれないが、あいにく能力も高くない。本当にどうしようもない人生だ。

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